■マイルス・デイヴィスはさっさと卒業しよう。



             目次

        1、現在ではマイルス・ファンこそが最も保守的なジャズ・ファンである。
        2、マイルス聴きのジャズ知らず。
        3、マイルスにハマると何も見えなくなる。
        4、マイルス聴きのマイルス知らず。




   1、現在ではマイルス・ファンこそが最も保守的なジャズ・ファンである。


 ぼくはジャズを聴きはじめる前にロックやR&B、ソウル、ファンクなどを聴いていた。過去に遡っても聴きまくり、どうやら自分の好きな部分を聴きつくしてしまったようで、だんだん心躍るような新しい発見がなくなってきてしまったため、別のジャンルも聴いてみようかとおもってジャズを聴きはじめたわけだ。
 たぶんこれは現在のジャズ・ファンにとっては当たり前の経路のような気がする。少なくともビートルズ以後にジャズを聴きはじめた人間は、ジャズを聴きだす前にロックやR&B、テレビ、ラジオで流れているようなポップスを充分に聴いている者がほとんどだろう。どうしたって、歌の入ったロックやポップスのほうが親しみやすい。ジャズを聴きだすのはその後ということになるのが普通だろう。それらを聴かずにいきなりジャズを聴きだす人というのは、現在ではかなり特殊な環境に育った人だけじゃないかとおもう。
 さて、そんなぼくが、最近いろんな人の意見などをきいているうちに気づいたのは、そうやってロックやポップス系の音楽から入ってジャズを聴きはじめた場合、もっとも落ちやすい最大の落とし穴がマイルス・デイヴィスではないかということだ。
 つまり、ジャズを聴きはじめていきなりマイルス・ファンになってしまうと、ジャズの魅力がなにもわかってないのに、すべてわかった気になって、何も見えなくなって、そこで終わってしまう場合が多いようだ。

 まず指摘しておきたいのは、現在ではマイルス・ファンこそが最も保守的なジャズ・ファンだということだ。
 こんなことをいうと、『ビッチェズ・ブリュー』や『パンゲア』などエレクトリック時代のマイルスを聴いているファンが「保守的」というのはおかしい。保守的なジャズファンとはフォービートのアコースティック・ジャズばかり聴いているファンのことではないかと言う人がいるかもしれない。しかし、そんなファンを保守的というのは、50年以上も前からジャズを聴いているような古いファンの場合だけだろう。
 つまり、ロックやファンクなどを経ずに最初からジャズを聴きはじめたのなら、先にフォービートのアコースティック・ジャズに親しみ、保守的になってそればかり聴くという人がいるというのもわかる。しかし先に書いたとおり、少なくともビートルズ以後にジャズを聴きはじめた人は、ジャズを聴きはじめる前にロックやファンクなどを充分に聴いている場合がほとんどだろう。そうして広くロック系の音楽を聴き込んでからジャズを聴いたとすれば、エレクトリック・マイルスのほうがむしろ自分がいままで聴いてきた音楽に近い、耳なじみのよい理解しやすい音楽であるのは当然だ。
 最初はぼくもそうだった。ジャズを聴きはじめた頃のぼくは『ビッチェズ・ブリュー』も『オン・ザ・コーナー』もいままで聴いてきた音楽に似た耳なじみのよい音楽に聴こえたし、逆にアコースティック・ジャズのほうが今まで聴いたことのない斬新な音楽に聴こえた。そしてそれは、それまで聴いてきた音楽の傾向からすれば、むしろ当然のことだろう。
 さて、マイルスはアコースティック・ジャズをやっていた時代もある。しかしロックを経由してジャズを聴きはじめたリスナーにとっては、実はアコースティック時代のマイルスの作品も、他のジャズマンのアコースティック・ジャズに比べて圧倒的に理解しやすいのが真実である。
 それはマイルスの音楽に対する価値観や発想が、ロックやポップスなどの価値観と案外近いところにあるからだ。リズムやサウンドが似ているというわけでなく、そういったものを重視する考え方そのものが似ているし、アルバム作りの考え方なども似ている。だからアコースティク時代も含めてマイルスの作品はすべて、ロックなどからジャズへ入ってきたリスナーには、わかりやすい音楽なのだ。



   2、マイルス聴きのジャズ知らず。


 さて、ロック経由でジャズを聴きはじめたファンにとって、マイルスがそんなにわかりやすいのであれば、マイルスこそジャズ入門用に最適ではないかという人がいるかもしれない。しかし逆にそこに落とし穴があるようだ。
 つまり、実はジャズの本質的な魅力とは、ロックやポップスなどとは別のところにある。そして新しいものと出会うことの意味は、本来はそのような出会いからカルチャー・ショックに遭遇すること、つまり、自分が旧来信じていた古臭い価値観や感性が壊されて、新しい価値観や感性に開眼し、その、いままで知らなかった価値観で世の中を眺め直してみることにあるのではないか。そしてそうすることによってその人の人生はずっと豊かになる。
 つまりロック系を経由して、新しいジャンルの音楽を聴いてみようとジャズを聴きはじめた場合、ジャズの魅力を知ることのよろこびとは、本来はロックやポップスにはなかったジャズ独自の考え方や魅力を知り、新しい価値観や感性で音楽を聴けるようになるところにあるはずだ。
 しかしマイルスの音楽はロックなどを聴いてきたときと同じ価値観や感性のみでかんたんに理解でき、楽しめてしまう。そのためジャズの本質的な魅力を理解できないままにマイルスばかりにハマってしまう人がけっこういる。そしてマイルスは一応ジャズの巨人といわれている者の一人なんで、マイルスを聴いていればジャズのすべてがわかるなどと言い出す大ボケまででてくる始末だ。
 しかしそういうリスナーというのは、ジャズを聴きはじめて以後もロックなどを聴いていたときの価値観・感性が捨てられず、その自分の保守的な価値観・感性からのみジャズを聴き、その価値観・感性で計れるジャズのみしか評価できないでいる人なのだ。つまりジャズをロック/ポップス的にしか聴けていないので、ジャズのなかでロック/ポップス的に聴いても楽しめるマイルスが最高だとおもってしまっているだけだ。



   3、マイルスにハマると何も見えなくなる。


 やはりジャズを聴くからにはジャズの本質的な魅力を理解できたほうがいい。
 しかしマイルスばかり聴いていてそれが理解できるかというと、ほぼ絶望的だ。それはマイルスという人自身があまりジャズの本質に位置する人ではなく、その周辺でロック/ポップス的な価値観をジャズに持ち込むことで存在意義を示した人だからだ。
 そんなことはない、マイルスは数十年ものあいだジャズの最前線を進み、ジャズを革新させてきた人だといろんな本に書いてあるじゃないか、と思う人がいるかもしれない。
 しかし、ジャズ評論家の書く文章を鵜呑みにしてはいけない。たいていはいい加減なものが多く、自分の勝手な想像や価値観を押しつけているだけのものが多い。それに、ジャズ評論の類もきちんと読めば、少数のちゃんと分かっている人は以上のような説明とさほど大差のないことを書いている。
 はっきり断言してしまえば、マイルスが数十年ものあいだジャズの最前線を進み、ジャズを革新させてきたというのは、ある意味では大嘘だ。マイルスはジャズの本質的な部分はほとんど革新させてない。マイルスがやってきたのはジャズにロックやポップスなどの要素を加味して、より多様で多彩な音楽を作りだすことだ。つまりジャズと他ジャンルの音楽との融合という面が大きい。
 それだって大したことじゃないかという人がいるかもしれない。ぼくも大したことだとおもう。だからマイルスも大した人だとおもう。でも、ジャズにとって本質的な人ではない。
 もちろん、それでもマイルスもジャズの巨人の一人といわれる人だけあって、マイルスの音楽にもそれなりの魅力はある。しかし、まずは落とし穴に落ちないことが大事だ。
 つまり、ロック等から入ってマイルスばかりにハマってしまうと、ジャズも自分の古い感性・価値観のまま理解できるものだという錯覚に陥ってしまう。そこが落とし穴で、その落とし穴にハマってしまうと何も見えなくなり、ジャズの本来の魅力がわからなくなってしまう。
 だから、ロック/ポップスから入ってジャズを聴きはじめた場合、まずマイルスは聴いたとしてもさっさと卒業したほうがいい。自分の保守的な感性に凝り固まっていないで、一度マイルスを卒業して、いろいろなジャズを聴き、もっと広い視野を得たうえでもう一度マイルスを聴けば、そこであらためてマイルスの魅力も限界も見えてくるというものだ。



   4、マイルス聴きのマイルス知らず。


 こういうことを書いていると、では、ぼくの場合はどうだったのかと聞かれそうだ。
 ぼくの場合は先にも書いたとおり、まずロックやR&B、ソウル、ファンクなどを過去に遡っても聴きまくり、どうやら自分の好きな部分を聴きつくしてしまったようで、新しい発見がなくなってしまった時に、新しい発見を求めてジャズを聴きはじめた。つまり当時のぼくは新しい発見に飢えていたのだ。
 そして、まずマイルスから入門した。書いてきたとおり、わかりやすかったからだ。でも、聴いているうちにすぐに、わかりやすすぎてつまらなくなった。つまり新しい発見を求めてジャズを聴きはじめたのに、マイルスでは新しい発見があまりないように思えたからだ。
 そしてすぐに、別のジャズマン、当時のぼくには何だかわからないことをやっている人たちのほうに興味が移っていった。そちらのほうが当時のぼくにとってずっと新鮮だったからだ。
 そしてしばらくいろんな人のジャズを聴いた後で、もう一度マイルスも聴きはじめた。
 結局のところ、そうすることでマイルスがやっていることもずっとよくわかったような気がする。
 逆に、マイルスばかり聴いているファンというのは、案外マイルスのこともよくわかっていないように感じることもある。つまり保守的な価値観に凝り固まりすぎているがために、視野が狭すぎて、「論語読みの論語知らず」みたいな状態におちいっているように感じる。



07.2.24





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