ギル・エヴァンス
Gil Evans








    目次

   ■序
   ■ギル・エヴァンスの経歴
   ■ギルとマイルス
   ■ギルの風貌
   ■アルバム紹介



■序

 ショーターのインタビューなどを読んでいると、先輩編曲者の名前ではまずギル・エヴァンスの話がよく出てくる。もっとも、これはショーターに限った話ではなく、ハンコックや、その他編曲を行うジャズ系のミュージシャンのあいだで、広く手本となり、尊敬を受けているのがギル・エヴァンスという存在だろう。
 ギル・エヴァンスはそれほど有名で尊敬を受けている編曲者であるにかかわらず、実に45歳になるまでソロ作を作らなかった人であり、ギルがすべてを作った『Porgy and Bess』(58) がマイルスの作品中最も売れたアルバムであったのにもかかわらず、自己のバンドではほとんど商業的成功とは無縁で、死去するまで世界中のミュージシャンやファンから限りない尊敬をうけつつ、その名声に不釣り合いな少ない収入しか手にできずにいた人だ。
 ここでは少しギル・エヴァンスについて見ていってみよう。


■ギル・エヴァンスの経歴

 ギル・エヴァンスの経歴については『時の歩廊+α』に付いているフェルナンド・ゴンザレスのライナーノーツに詳しく書かれている。少しだけ抜き書きしてみる。
 ギル・エヴァンスは1912年生まれ、カナダ生まれのユダヤ系の人である。音楽教育の場はもっぱらラジオとレコードだそうで、正規の音楽教育を受けたわけではないらしく、編曲はレコードからアレンジを採譜することによっておぼえたようだ。20〜30年代はルイ・アームストロングの大ファンだったらしい。
 1933年に初めて自分のグループを結成、1941年にクロード・ソーンヒル楽団に編曲者として加わり、このあたりから独特の個性的な編曲によって頭角をあらわし始める。が、いよいよこれからという時にソーンヒルが海軍に入隊、ついでギルも兵役にとられる。時代は第二次世界大戦の真っ最中だった。
 ギルが3年の兵役を終えたのが46年、ギルは除隊するとすぐに「僕の(ビバップの)ヒーローたちに会いに」ニューヨークへ行き、ソーンヒル楽団に再入団した。この46年〜47年ぐらいのギルのソーンヒル楽団での録音は『The Real Birth of the Cool』というタイトルでリリースされている。
 その頃のギルのアパートの部屋はいまや伝説の部屋になっている。なんでもピアノとベッドとレコード・プレイヤーしかない地下のだだっ広い部屋だったというが、つねにドアは開け放たれてジャズ・ミュージシャンたちが自由に出入りできるサロンのようになっていて、多くの有名無名のジャズマンたちが年中音楽談義をしたりレコードを聴きあったりする、ジャズの大学院のような場所になっていたという。
 ここで個人的な意見をわせてもらうと、このような「場」が単なる遊びやバカ騒ぎの場になるか、それこそ大学院になるかは、その場の中心となっている部屋の主の人柄によって決まるのではないかと思う。たぶん、ギルの部屋がそのような音楽的刺激に溢れた大学院になったのは、その中心となっていたギルがそのような人であり、この部屋に集まってくるジャズマンたちは、そのようなギルを慕って集まってきていたので、自然に(あるいはギルがいない時でも)そのようなことを語り合い、刺激しあう場になっていったのではないか。
 さて、やがてギルはソーンヒル楽団と方向性が合わなくなって退団、その時、アパートのなかで討論していたアイデアをマイルスと一緒に実現しようという話となり、9重奏団を結成、その録音が有名なマイルスの『The Birth of the Cool』(49-50) となる。以上の経緯でもわかるとおり、『The Birth of the Cool』は人間関係上のリーダーシップをとっていたのはマイルスであっても、音楽的アイデアはギルのものである。マイルスのファンが『The Birth of the Cool』が好きになれなくても、むしろ何の不思議でもなく、実質的にこれはギルのアルバムといってもさしつかえないと思う。
 この後ギルはフリーランスの編曲者として様々な仕事をしていったらしいが、この時期のことはよくわからない。CDで聴くかぎり、その次にまとまったギルの仕事が聴けるのは、やはり50年代後半のマイルスとのコラボレーション作業によってということになるだろう。まず『Round About Midnight』(56) の表題曲のアレンジに始まり、何よりも『Miles Ahead』(57) 『Porgy and Bess』(58) 『Sketches of Spain』(59-60) の三枚が、ギルが編曲のすべてをコントロールした完全なコラボレーション作といえる。
 そしてそれと並行して、45歳にして初めてのソロ・リーダー作『Gil Evans & Ten』(57) 、そして『New Bottle, Old Wine』(58) 『Great Jazz Standards』(59) ……と順調にリリースしていく。
 その次にギルに転機が訪れるのはショーターが参加したアルバム『The Individualism of Gil Evans』(64) の頃だ。それまではギル・エヴァンスの編曲はスコアを緻密に作り、独特の個性的なサウンドを作り上げていくというスタイルだったが、このあたりから出来上がったスコアを崩していき、ビッグバンドでの集団即興という方法論をとりはじめる。
 さらには71年の『Where Flamingos Fly』ではエレピやシンセなど電気楽器、電子楽器の使用を開始してさらに斬新なサウンドの創造へ乗りだし、73年の『Svengali』ではロックのリズムを取り入れるなど、野心的な音楽創造を行っていく……。



■ギルとマイルス

 さて、ギル・エヴァンスという人は、一般的なジャズ・ファンにはまずマイルスとのコラボレーション作業によって知られている。『Porgy and Bess』(58) や『Sketches of Spain』(59-60) のような完全なコラボレーション作以外でも、例えば『クールの誕生』(49) もモトはといえばギルのアイデアから発しているもので、ギルなしにはありえなかった作品であるのは周知の通り。しかし60年代半ばで袂を分かち、しかし別に仲が悪くなったわけでもないようで、『Star People』(82-83) や『Decoy』(83) では何曲か編曲しているようである。
 この2人のコラボレーション作業を見ていくことはギル・エヴァンスという人を見ていくうえで参考になると思う。いったい、なんでこの二人の相性は良かったんだろうか。
 結果から書いてしまうと、ギルとマイルスのコラボレーションがうまくいった理由は、この二人が共通な要素はもちつつも、ほとんど正反対な人だったからだと思う。
 ギルという人は才能も実力もあり、アイデアに溢れた人だったが、自己顕示欲がなく立身出世指向もない人だ。つまりビックになりたいとか、有名になりたい大成功したいとは思わない人である。かわりにあるのは、新しい音楽への興味とアイデア、創造のよろこびを一生感じていたい……という欲であり、根っからのクリエイターのタイプだと思う。
 そしてギルは、音楽を作り出す上では溢れるほどの才能を示すのに対し、そのアイデアを実現し、ビジネスに結びつけていく能力には欠けていたと思える。つまり、押しが弱く、自分を売り込むのが下手で、プロジェクトを引っ張っていく強力なリーダー・シップという点でも不安があり、自己の音楽活動をなんとしてでもビジネスとして成功させ、収入に結びつけていこうという経営者的感覚にも欠けていたと思う。一言でいえば「やり手」ではなく、世渡りがヘタなのだ。
 そのため、録音したアルバムをリリースすることができなかったり(つまりレコード会社にちゃんと売り込めない)、はたで見ていると、あれほど世界的に有名な人がなぜ……みたいなエピソードがたくさんある。
 いっぽうマイルスはというと、ビックになりたい、有名になりたいという自己顕示欲で音楽をやっている立身出世指向の人だ。そして押しが強く、しっかりと自分を売り込める。バンドを組んでまとめ上げていく腕力があり、プロジェクトを引っ張っていくリーダー・シップも抜群。そしてその作業をしっかりとビジネスに結びつけていくよう努力するタイプである。
 そして、ここが肝心なところだが、マイルスという人はギルのような斬新なアイデアを持った人の話に真剣に耳を傾け、ギルが自由にその音楽を創造するために協力し、共に作業をしていくような、進歩的な考えを持っている人だったことだ。つまり、いくら優秀なバンド・リーダーでもギルの考える新しい音楽が理解できず、いまやってる音楽をやり続ければいい……という考えの人であれば協力者にはならないが、マイルスは違ったのである。
 つまり、ギルのような人にとって、マイルスのようなビジネス・パートナーはまさに渡りに船なのだ。ギルは自己の斬新なアイデアを自分ひとりで形にするのは難しいが、マイルスと組むことによって、ずっと容易に実現することができたのである。
 しかし、二人のコラボレーション作業によってできたアルバムは、マイルスのリーダー名義でリリースされる。自己顕示欲の強いマイルスとしてはここはゆずれないところだ。だが、ギルにしてみれば自分の音楽が自分が思うとおりにできるのなら、そのアルバムが誰名義でリリースされようが、あまり関心のないことである。この点においても二人の性格は対照的であるために相性がいい。
 むしろ、これほどに相性のいいビジネス・パートナーであった二人のコラボレーション作業が、なぜ60年代半ばで終わったのかという点が気にかかるところだろう。何らかの意見の相違で仲違いしたのだろうか。しかしプライベートな面ではギルとマイルスの関係は良好だったようで、先述したとおり『Star People』(82-83) や『Decoy』(83) でも何曲か協力したりしている。しかし、ここでもごく小規模の協力に過ぎず、本格的なコラボレーション作業はしていない。(たとえばマイルスの『Aura』(85) なんかよりも、ギルのオーケストラをバックにした演奏が聴きたいファンがずっと多いのではないかと思うが)
 結果からいってしまえば、ギルがマイルスと袂を分かった理由は、ギルが60年代半ばから集団即興の方法を取り入れていったからではないか。
 つまり、マイルスはモノローグ型のソロしかとれない人だがら、集団即興や対話型演奏は無理である。しかしギルはそれ以後、集団即興や対話型演奏にこそジャズの新しい可能性があると見て、その方向へ進んでいった。そして、その方向性でいくかぎり、マイルスをソリストに迎えることはできない。
 そのような音楽的必然性で、ギルはマイルスと袂を分かつことになったのではないか。



■ギルの風貌

 どうも、多くのジャズ・ファンはギルの顔を見ると「知的な芸術家」という印象を持つらしく、ギルはその風貌でも人気があるらしい。
 ぼくはそのへん、ちょっと感覚が変なのか、ギルの顔を初めて見てすぐに「哀れな世捨て人みたいだ」とあまりよくない印象を持ってしまった。
 けれどギルという人間がわかってくると、「哀れな世捨て人」というぼくの印象も、それはそれであながち完全に間違いでもないような気もしてきた。
 いろいろ本などを読んだところによると、どうもギルという人は、どこか半隠遁生活を送っていた感じの人のようである。立身出世や、社会的成功、商業的成功といったことにはじめから関心がなく、どこか仙人のようにふらふら生きながら、好きな音楽だけ作っていたい……というタイプの人のようである。
 そのへん、マイルスや、あるいは同じ編曲者でもクインシー・ジョーンズのような、ビジネスマン的な才覚に恵まれたミュージシャンとはまったく違っている。
 ギルの生活は伝説的な困窮生活であり、バンド・メンバーに支払う金もなく、ライヴをやるといっても、宣伝活動といえば奥さんがチラシをコピーして街角に立って配るだけ……みたいな事をやってたらしい。
 あれだけ世界的な名声がある人なんだから、うまくやればどうとでもできるだろうと思うのだが、どうもはじめから「うまくやる」気なんてないような雰囲気である。
 バンドのメンバーも、ギャラなんてもらえなくても、まるで当然のように文句もいわず、ギルのバンドへの参加を続けたらしい。それだけギルという人間に魅力があったということかも、あるいはギルと一緒に音楽を作ることがそれほど魅力的なことだったということなのかもしれない。


04.12.23








      ■アルバム紹介 (今後とも紹介アルバムを追加していくつもりです)


                      
Claude Thronhill
Orchestra 
"The Real Birth of the Cool" 1946-7 (Sony)
Miles Davis "Birth of the Cool" 1949-50 (Captol)
Miles Davis "Miles Ahead" 1957.5 (Columbia)
Gil Evans "Gil Evans & Ten"  1957.9-10 (Prestige)
Miles Davis "Porgy and Bess" 1958 (Columbia)
Gil Evans "New Bottle, Old Wine" 1958   
Gil Evans "Great Jazz Standards" 1959   
Miles Davis "Sketches of Spain" 1959-60 (Columbia)
Gil Evans "Out of the Cool" 1960 (Impulse!)
Gil Evans "Into the Hot" 1961 (Impulse!)
Gil Evans "The Individualism of Gil Evans" 1964 (Verve)モ★
Gil Evans "Blues in Orbit" 1969 (Ampex)
Gil Evans "Where Flamingos Fly" 1971 (Artists House)
Gil Evans "Svengali"  1973 (Koch Jazz)
"Gil Evans' Orchestra Plays the Music of Jimi Hendrix" 1974 (RCA)
Gil Evans "There Comes a Time(時の歩廊)"  1975 (RCA)
Gil Evans "Priestess" 1977 (Antilles)
Gil Evans "Live at the Public Theater"  1980 (Black Hawk)
Gil Evans "Live at Sweet Basil, Vol. 1 & 2" 1984 (Evidence)
Gil Evans & Steve Lacy "Paris Blues" 1987 (Owl)

















  ■Gil Evans『Gil Evans & Ten』       (Prestige)

      Gil Evans (p,arr) Steve Lacy (ss) Jimmy Cleveland (tb)
      Paul Chambers (b) Louis Mucci (tp) Dave Kurtzer (basson)
      Lee Konitz (as) /他    1957.9-10

 ギル・エヴァンスの編曲はスコアを緻密に作り、独特の個性的なサウンドを作り上げるところから出発し、60年代半ばあたりからは、出来上がったスコアを崩して集団即興性を取り入れていくに至る。
 その、緻密にスコアを作っていた時代の代表作としては、有名なマイルスとのコラボレーション作よりもむしろ、この初ソロ・リーダー作をあげるべきだろう。タイトル通り11人編成の小ビック・バンドで、総演奏時間も33分と控えめな作品だが、内容は圧倒的に濃い。
 やわらかで静かなタイプの曲と、ちょっと古めかしいスイング感のあるナンバーが混在しているが、これまでギルが辿ってきた道のりを見るようでもある。ソプラノのスティーヴ・レイシーとトロンボーンのジミー・クリーヴランドをメインのソリストにもってくるあたりも独特かもしれない。57年といえば当然、コルトレーンがソプラノを吹きはじめる前である。
 また、ギルが編曲・指揮だけでなく自分でピアノを演奏しだしたのもこのアルバムからではないかと思う。ギルはいわゆる華麗なテクニックをもった……という意味でのうまいピアニストではないが、音楽を指で手探っていくようなピアノはそれはそれで魅力的だ。


04.12.23



リストに戻る。



  ■Gil Evans『Where Flamingos Fly』   (Artists House)

      Gil Evans (arr,key) Billy Harper (ts)
      Howard Jonson (bs) Johnny Coles (tp) Joe Beck (g)
      Airto Moreira (per) Flora Purim (vo)    1971

 ギルが初めてエレピやシンセを導入した、いわばギルのフュージョン宣言ともいうべきアルバム。エレピはともかく、シンセサイザーの使用はジャズ界ではかなり早い導入といえる。この時代のシンセは多重録音しなければ和音も出せない楽器であり、即興演奏に向いた楽器とはいえなかった。しかし、新鮮で多彩な音色にこだわるギルの作風を考えれば、シンセの導入は遅かれ早かれ必然だったとは思う。
 不気味で神秘的な雰囲気で始まり、全編がダークな緊張感に満ちたサウンドだ。71年ということはウェザーリポートの1st と同じ年であり、並べて聴けば時代の空気が感じられる。シンセの導入でサウンドはよりカラフルでダイナミックになり、斬新な実験や突然の激しい展開など様々な仕掛けもおもしろい。
 個人的にはギルのアルバムのなかでも特に気に入っているアルバムだ。しかし、万人向きかといわれれば、たいがいの人にとってはそう親しみやすい内容ではないかもしれない。


04.12.23



リストに戻る。



  ■Gil Evans『Svengali』        (Koch Jazz)

      Gil Evans (arr,key) Billy Harper (ts) Ted Dunbar (g)
      Howard Johnson (tuba) David Sanborn (as)
      Hannibal Marvin Peterson (tp) /他     1973

 ロックのリズムの導入により、リリース当時は賛否両論を巻き起こしたアルバムだったらしい。現在ではかなりの人気盤になっているようだ。理由は単純にいって、わかりやすくて親しみやすい内容だからではないかと思う。
 73年という録音年を見ればわかるとおり、このアルバムはチック・コリアの『Return to Forever』(72) 以後の、より気持ちよくてノリがいい音楽がもてはやされるような時代の風を受けたアルバムなのだ。リズミカルで躍動的な曲とともに、後半にはドラマティックなバラード演奏もあり、いわばノレるし泣けるアルバムとなっている。
 親しみやすいギルのアルバムが聴きたいという人は、このアルバムあたりから聴き始めるのがいいかもしれない。しかし、個人的な嗜好でいえば、かならずしも好きなアルバムでもないのだが(もちろんこれは単なる個人的な嗜好だけの話なので、否定する気はない)。


04.12.23



リストに戻る。



  ■Gil Evans『There Comes a Time(時の歩廊)』    (RCA)

      Gil Evans (arr,key) David Sanborn (as)
      Hannibal Marvin Peterson (tp) Billy Harper (ts)
      George Adams (ts) Tony Williams (ds) /他    1975

 ギル・エヴァンス・オーケストラのレコーディングとしては、最後のスタジオ録音にあたる。70年代に入って以後で、ギルがもっとも条件に恵まれて仕事ができたのは、この時期だったようだ。このアルバムは未発表テイク含めて複数の編集のCDが存在し、どれが一番いいのかは聴き比べてないのでわからない。
 内容はこの時代のギルの到達点といっていい演奏だ。表題曲や "Meaning of Blues" などの一種異様なサウンドと即興演奏が融合していくあたり、かなりスリリングだ。現在聴いても、そのへんの最近の音楽など問題にならないほどのギラギラするほどの刺激を秘めている。
 個人的にはトニー・ウィリアムスとのからみなど、かなり好きだ。演奏者に自由に演奏させながら編曲するギルの真骨頂がここにある。


04.12.23



リストに戻る。



  ■Gil Evans『Live at the Public Theater』    (Black Hawk)

      Gil Evans (arr,key) 菊地雅章 (syn) Arthur Brythe (as)
      Hannibal Marvin Peterson (tp) George Lewis (tb)
      Billy Cobham (ds) /他        1980 

 『There Comes a Time(時の歩廊)』(75) 以後はギル・エヴァンス・オーケストラのレコーディングはライヴによる一発録りとなる。経済的な問題などから思うようにスタジオが使用できなくなったという理由からだが、ジャズ/フュージョンというジャンルを考えれば、ライヴという録音方法がわるいとはいえない。
 このアルバムはもともとLPで Vol.1 と Vol.2 の2枚に分けてリリースされたものだが、現在では2枚組CDとしてリリースされている。
 ビックバンドによる集団即興という方法論がライヴという真剣勝負の場で実現されており、もはや何もいうことがないレベルで達成されている。ビックバンド全体が空中に浮遊するように沸き上がり、森の木々のざわめきのように個々に自由に歌いだしていく様はまさに壮観だ。ひょっとするとこの頃、ギルのオーケストラはピークを迎えていたのかもいしれない。
 個人的にはギルのアルバムのなかでも特に好きなアルバムだ。


04.12.23


リストに戻る。

『ウェイン・ショーターの部屋』


このホームページに記載されている内容の無断引用・無断転載等を禁じます。
(c) 2004 Y.Yamada