ジョン・コルトレーン
John Coltrane






    目次

   ■1
   ■2
   ■3

   ■アルバム紹介




   ■1

 ジョン・コルトレーンもまた、ウェイン・ショーターを語るうえで欠かせないミュージシャンの一人だろう。
 58年からコルトレーンの死までプライベートでかなり親しい友人であったようで、一時期は音楽においても相互に影響を与えあう関係だった。コルトレーンはマイルス・バンドを離れるとき後任にはショーターを推薦したというし、ショーターは初来日のときに自分をさしおいてコルトレーンのことばかり語っていたというし、エピソードにはこと欠かない。ときにはショーターはコルトレーン派のサックス・プレイヤーだという人もいる。
 しかし個人的には、ショーターとコルトレーンの音楽は、実はそんなには似ていないと思っている。
 コルトレーンの時代によって変化に富んだ作品を並べて聴いていると、ショーターと相容れる部分と相容れない部分があるのを感じるのだが、どうも相容れない部分のほうにコルトレーンの本質があるように感じるのだ。
 具体的にいえば、『Coltrane』(62) や『Crescent』(64) のような作品には同時期のショーターと似た気分を感じるのだが、『Giant Steps』(59) や『Live at the Village Vanguard』(61) の特に "Chasin' the Trane" や65年の半ばからのフリーに移行して以後の作品は、ショーターの世界とは相容れないものであると思う。そして、コルトレーンという人の本質は、この後者のようなタイプの作品にこそあるように思うのだ。
 後で詳しく説明するが、かんたんに言うとするなら、ショーターという人は基本的にクールな人で、音楽によって作品世界を創造することによろこびを感じる人だ。しかし、コルトレーンは基本的にはホットな人で、演奏をするという行為自体をつきつめていくことに「意味」を感じる人だと思う。つまり両者の音楽は影響関係によって表面的に似ている部分があるとしても、人間的な資質や目指しているものがかなり違うように思うのだ。
 とはいえ、コルトレーンにも演奏行為だけに没入するのではなく音楽世界を形成していこうとする面はあるし、ショーターにも演奏行為に没入する面がある。いわば、そういった副次的な部分で影響しあっていたように思えるのだ。
 とはいえ、先述したとおり、コルトレーンがショーターを語るうえで欠かせないミュージシャンであることには変わりない。ということで、ここでコルトレーンの音楽を見ていってみよう。
 しかし、ご存知のとおりコルトレーンもまた狭いスペースで簡単に語れるようなミュージシャンではなく、実力からいっても影響力から見ても20世紀のポピュラー・ミュージックの歴史のなかでも有数のビッグ・ネームである。ここではショーターとの関連を中心に、ほんのさわり程度だけ扱わせてもらう。


   ■2

 さて、ジョン・コルトレーンという人は1926年生まれで、くしくもマイルス・デイヴィスと同い年ということになる。
 しかし、チャーリー・パーカーに引き抜かれて早くから注目を浴びたマイルス(あんなヘタクソなトランペッターはやめさせろ! という「注目」だったとしても)と違って、コルトレーンは長い下積み生活を経験し、早くからプロとしては活躍していたようだが、ビックバンドのアンサンブルの一員など、ほとんどソロ・スペースを与えられない、いわばある程度サックスが吹ける者なら誰でもいいような仕事しかまわってこない時代が長かった。
 そのコルトレーンがようやくチャンスを掴んだのは、ご存知のとおり55年にマイルスがレギュラー・カルテットを組んだ時であり、この時マイルスが希望したソニー・ロリンズがマイルス・バンド入りを断ったためにコルトレーンに白羽の矢が当たったというのは有名な話。実に30歳を目前にしてようやく掴んだ千載一遇のチャンスだったといえる。
 コルトレーンはこのチャンスを根性でモノにした。参加当初は「あんなヘタクソなテナーはやめさせろ!」と、ちょうどパーカー・バンドでのマイルスのような罵倒を浴びていたものの、伝説的な猛練習によってメキメキと腕を上げていく。
 いまどき、たいていの業界なら30歳なら若いうちに入るだろうが、当時のジャズマンで30歳というとけっこうな高年齢だと思われていたろう。コルトレーンは遅咲きの努力型の人だったといえる。
 さて、ショーターとコルトレーンが出会ったのはショーターの大学時代(52〜56年)のことだというが、正確にいつなのかは資料がなくてわからない。当時から二人は一緒に練習をしたり、音楽について語り合ったりしていたという。
 コルトレーンはショーターより7歳年上だが、52年にはすでにレコード・デビューの話をもらい、それを蹴って大学へ進学したショーターに対し、先述のとおりコルトレーンはようやくチャンスを掴むのが55年のことであり、ちょっと微妙な関係ではある。たぶんこの時期であれば共に修行時代で、未来を夢見るミュージシャンの卵どうしのつきあいだったのではないか。

 その後のコルトレーンは、57年に一時的にマイルスのグループを離れ、セロニアス・モンクのグループに参加する。この時にモンクから受けた影響によってコルトレーンはついにジャズに開眼したと多くの評者が書いているし、自らも語っている。
 しかし、個人的にはコルトレーンがモンクのグループで得たものとは、影響というより、カルチャー・ショックに近かったように思う。つまり、たしかにコルトレーンがモンクと一緒に演奏することによって、いままでの音楽に対する固定観念を粉砕され、開眼したことは事実なんだろうが、音楽的にそれほど多くの実質的な影響をモンクから受けたようには見えない。
 たぶん資質が違いすぎたからではないか。これは、むしろコルトレーンのグループに一時期入っていたエリック・ドルフィーのほうが、モンクと直接の共演はないにもかかわらず、モンクの弟子のように感じられる面があるのと好対照だ。
 コルトレーンが多くの実質的な影響を受けたのは、やはり同じ努力型のジャズマンであるマイルスからのような気がする。
 さて、モンクとの共演が契機となって開眼したこの57年あたりから59年あたりまでの二、三年間がコルトレーンのハード・バッパーとしての絶頂期にあたる。この時期、コルトレーンは膨大な数のセッションに参加しており、ぼくは最初の頃はその数の多さからコルトレーンはずいぶん長い間ハード・バップをやっていたように錯覚していたのだが、調べてみればたった二、三年だったのだ。
 さてショーターは56年から兵役にとられ、58年にマイルス・バンドでのコルトレーンの演奏を聴いて感激し、さらに深い親交がはじまったという。客観的に見ても56年から58年にかけてのコルトレーンの成長はすさまじいものがあるわけで、この間兵役のためにコルトレーンの演奏を聴いていなかったとしたら、わずか2、3年の間にめざましく成長したコルトレーンの姿にどれだけ驚いたかということは、想像するにかたくない。
 ショーターはこの58年まで兵役をつとめ、翌59年にデビューすることになる。

 コルトレーンが活動的にも音楽内容でもマイルスから離れて独自の道を進みだすのは60年からである。この年のコルトレーンのマイルス・バンドでの最後のツアーのライヴ音源のブートレグは数枚リリースされているが、聴いてみるともはやマイルスの音楽スタイルにはあきたらなくなったコルトレーンの演奏がうかがえる。
 この、コルトレーンがマイルス・バンドを離れて自己のバンドを組んだ60年の後半から、65年の半ばまでがコルトレーンのモード・ジャズの時代であり、ショーターとコルトレーンが互いに影響しあいながら新しい音楽を創造していた時期だと個人的には思っている。この時期の両者のアルバムを、当時オクラ入りされていたものを含めて年代順に聴いていくと、なかなか興味深いものがある。ある時はショーターのほうが先を行き、ある時はコルトレーンのほうが先へ出て……といった感じがうかがえるのだ。

 65年の半ばからはコルトレーンは一気にフリー・ジャズの時代に突入する。このあたりの急激な変化は当時ファンを戸惑わせたようだが、個人的にはここに至る道すじはけっこう59〜64年の間のいくつかのアルバム・演奏に見えていたように感じる。コルトレーンとしては必然的な変化だったのではないか。
 個々のアルバムを、自分(リスナー)が好きか嫌いかではなく、コルトレーンらしいからしくないかを基準に判断するとしたら、むしろフリー・ジャズ時代のほうがコルトレーンらしいアルバムが多く、モード・ジャズ時代は、あまりコルトレーンらしくないアルバムが多かった時期ではないかとさえ思える。
(しかし、自分が好きか嫌いかで判断するなら、個人的はあまりこの時期のコルトレーンは好きではなく、あまりアルバムも聴き込んでいないので、大きなことはいえないのだが)
 この65年以後もショーターとコルトレーンはプライベートでの友人関係は続いていたようだが、音楽的にいえば、もう両者が影響しあう関係は終わっていたと思う。
 そして67年、コルトレーンはガンによって死去してしまう。この後もコルトレーンが生きていたとしたら、それぞれの時代にどんな音楽を演っていたのだろうか。実に興味深いが、それは誰にもわからない話でもある。コルトレーンがジャズに与えた影響は計り知れないが、活動期間からすれば、わずか12年程度の活動だった。


   ■3

 さて、先にショーターとコルトレーンは資質的に違ったタイプのミュージシャンであり、かんたんに言うとするなら、ショーターという人は基本的にクールな人で音楽によって作品世界を創造することによろこびを感じる人であり、しかし、コルトレーンは基本的にはホットな人で、演奏をするという行為自体をつきつめていくことに「意味」を感じる人だと書いた。この二人の資質の差をもっと具体的に説明していこう。

 コルトレーンとショーターの違いを見る明確な例としては、コルトレーンの一世一代の名演という評もある『Live at Village Vanguard』の中の "Chasin' the Trane" が適当かと思う。この演奏をみていってみよう。
 実はぼく自身は最初に聴いた時、この演奏のどこが魅力的なのかわからなかった。確かにエルヴィン・ジョーンズのドラムは凄いが、コルトレーンはというと“ホゲッホゲッ……”と音楽にもならないような単調なフレーズを延々と吹き続けているだけで、おそろしくインスピレーションに乏しいアドリブとしか聴こえなかった。サックスの音自体も、コルトレーンにしては良くない音をわざと出しているように聴こえる。どちらかというとコルトレーンのなかでも最低の演奏に聴こえて、どうしてこれが名演として有名になるのかわからなかったのだ。
 もっと正直にいうと、現在でもぼくは "Chasin' the Trane" がそんなにいいとは思えない。が、いろんな人の意見を読んだり聞いたりして、これのどこが魅力的だと受け取られているのかはわかってきた。
 それはつまり(誉めている人も)コルトレーンのアドリブのフレーズが音楽として素晴らしいといっているわけではないということだ。どうやらこれを音楽として受け取る聴きかた自体が間違いだったらしい。つまり、フレーズが美しいとか、インスピレーションに富んでいるとか、そういった意味で名演だといっているわけではない。エルヴィン・ジョーンズの激しいドラムを浴びながらギリギリまで自分を追いつめ、追い込んでいくコルトレーンの演奏行為全体から発するオーラのようなパワーに、コルトレーンのファンたちは感動しているらしい。
 たぶんコルトレーンという人は音楽を超えたところにある「意味」というようなものを信じていた人なのだと思う。そしてギリギリまで自分を追いつめ、追い込んでいく演奏行為が、その「意味」へと到達する道であると信じていたのではないか。
 つまりコルトレーンの演奏は、素晴らしい音楽を演奏すること自体に目的があるわけではなく、その「意味」へ向かって自分を追いつめ、追い込んでいくための祈りや修行に似たものに、どこかの時点で変化していたのだと思う。そしてコルトレーンのファンは、コルトレーンの音楽というよりも、そのように自分を追いつめ、追い込んでいくコルトレーンの祈りの姿に感動しているのではないだろうか。
 コルトレーンがそのように自分を追いつめ、追い込んでいく奏法を最初に集大成したのは『Giant Steps』(59) だと思う。しかしこの時点ではコルトレーンの演奏行為はまだ音楽という枠内にとどまっていた。それがこの61年の "Chasin' the Trane" では音楽をも振り捨てたところで演奏行為自体が自律するところまでくる。たぶんそれがファンがこの演奏がコルトレーンにとっての決定的な名演と呼び、ファンでない人間が理解できなくなる理由ではないかと思う。そして65年以後のフリー時代にはさらに激しく自分を追いつめ、追い込んでいく演奏行為を行っていく……。たぶんこういった面がコルトレーンの本質的な部分なのではないか。
 ぼく自身の話をすれば、演奏の目的が「音楽を超えたところにある『意味』」に到達するためであるなどという信仰は、信じることはできない。演奏の目的はあくまで音楽であるはずで、その演奏行為がギリギリまで自分を追いつめ、追い込んでいった行為かどうかなんてどうでもよく、その結果生まれた音楽が素晴らしいかどうかが全てであると考えている人間だ。宗教的なエモーションがミュージシャンの音楽的創造力をインスパイアすることはよくあることだろうし、それが優れた音楽として結実した作品であれば賞賛するのに異論はないが、音楽というものを捨ててしまって、演奏行為が宗教的情熱と直結していると信じ、その結果生まれた作品が、音楽としてのレベルは低くても、その演奏行為が純粋で情熱的だからという理由だけで感動する気はない。
 ぼくがコルトレーンのさまざまな作品に魅力を感じはするものの、同時に魅力が理解できないコルトレーン作品も多く、究極のところでコルトレーンのファンにはなれない理由も、そこに理由がありそうな気がする。
 では、ショーターはどうだろうか。ショーターは「音楽を超えたところにある『意味』」に到達することが演奏の目的などとは思っていないだろう。ショーターはあくまでも自分の音楽世界を創ることによろこびを感じる人であり、作曲・編曲・そして即興演奏といった各要素を総合しつつ独自の作品世界を創り上げていくというのがショーターの方法であり目的である。
 例えば、ショーターとコルトレーンの差として、作編曲者型のミュージシャンか否か……という点がある。
 ショーターにとっては作編曲によって自分の音楽世界を創りだしていくことは重要な要素である。いっぽうコルトレーンはというと、たしかにコルトレーンも多くの曲を書いたが、コルトレーンにとって作編曲という要素はそれほど重要なものとは思えないのだ。コルトレーンにとって曲とはおそらく演奏の素材以上のものではなく、適当な素材であればどんなものでもよかったように見える。例えば "My Favorite Things" のように、コルトレーンの代表曲のなかにはオリジナルでないものも多い。
 コルトレーンという人は創り上げていくというよりは、削り落としていく人だと思う。どんどん無駄な要素を削り落として純粋さを目指し、やがては音楽を、自分をも削り落としていき、ついには音楽はぜんぶ削り落とされて無くなってしまい、コルトレーンという人間の芯の部分だけが残る……という状態を、むしろ理想としていたように見える。そして、音楽を演奏するということは、目的ではなく、その理想にいたるための手段となっていったのではないか。
 コルトレーンは生前、生まれかわったら聖者になりたいと語っていたというのは有名な話だが、確かにコルトレーンが生まれ変わりたいものはミュージシャンや芸術家ではないことはわかる。コルトレーンの関心は途中から「創る」ことではなくなっていき、いわば削り落とし、自分を追いつめながら進んでいくことに変わっていっているからだ。
 そのような音楽でなくなったものを聴き、祈りや修行にも似た演奏行為そのものに感動する者が、いわば真のコルトレーン・ファンなんだろうと思う。
 たぶんぼくは、そういった意味ではショーターはコルトレーンを本質的には理解できないかった人なのではないかと思う。そして、そういう意味でもコルトレーンを理解していたのは、たぶん資質的により似たところがあるマイルスのほうではないかと思う。
 マイルスの70年代の混沌としたサウンドのなかで音そのものを叩きつけていくような奏法を延々と続けていく演奏を聴くと、違うスタイルではあるがコルトレーンの遺していったものを、精神的に、ある程度受け継いでいこうとしているようにも見えるのである。



04.12.10




   ■アルバム紹介


 コルトレーンのアルバムは膨大な量がリリースされている。もともと多作な人ではあるのだが、早くに亡くなったこともあって、生きていれば本来リリースされていないような録音までが続々と死後アルバム化されている。当然、熱狂的なファンでなければ、まず最初に手を出すべきでないようなアルバムも多い。
 当然、ぼくも全ては聴いていないし、その全体像を紹介するのは無理なので、ここは特に60年代前半を中心に、代表的なアルバムだけを紹介してみる。



                      
John Coltrane "Blue Train"  1957.9.15 (Blue Note)
John Coltrane "Soultrane" 1958.2.7 (Prestige)
Miles Davis "Kind of Blue" 1959.3.2 /4.6 (Clumbia)モ★
John Coltrane "Giant Steps" 1959.5.4/5 /12.2 (Atlantic)
John Coltrane "Coltrane's Sound" 1960.10.24/ 26 (Atlantic)
Miles Davis "Someday My Prince Will Come" 1961.3.20/21 (Clumbia)モ★
John Coltrane "Ole" 1961.5.25 (Atlantic)
John Coltrane "Live at The Village Vanguard" 1961.11.2/ 3 (Impulse)
John Coltrane "Coltrane" 1962.4-6 (Impulse)
John Coltrane "Ballads" 1962.11.13 /61.12.21 (Impulse)
John Coltrane "Live at Birdland" 1963.10.8 /11.18 (Impulse)
John Coltrane "Crescent" 1964.6.1 (Impulse)
John Coltrane "A Love Supreme" 1964.12.9 (Impulse)
John Coltrane "The John Coltrane Quartet Plays" 1965.2.18/ 5.17 (Impulse)
John Coltrane "Meditations" 1965.11.23 (Impulse)
John Coltrane "Live in Japans, Vol.1" 1966.7.22 (Impulse)








  ■John Coltrane『Blue Train』     (Blue Note)

    Lee Morgan (tp) Crutis Fuller (tb) John Coltrane (ts)
    Kenny Drew (p) Paul Chambers (b) Philly Joe Jones (ds)   1957.9.15

 『Giant Steps』(59) をリリースする以前のコルトレーンは、おそらく中堅ハード・バッパーの一人であり、スケールの大きいテナーではあるが、ソニー・ロリンズと比べると決定打に欠ける……といった感じに評価されていたジャズマンだったろう。
 この時期もコルトレーンは多作で、リーダー作だけでもかなりの数にのぼるし、それにも増して数多くのセッションにサイドマンとして参加している。すべてを聴こうと思ったら気が遠くなりそうなほどだ。
 ぼくも全体を聴きとおしてはいないので大きなことは言えないのだが、おそらくこの時期のコルトレーンを聴くのにどれから聴き始めればいいかと言えば、まずは世評どおりこの『Blue Train』と『Soultrane』(58) の2枚でいいのではないかと思う。
 この2枚のうち、この『Blue Train』は特別なアルバムという色の強いアルバムだ。ブルーノートから出したコルトレーンのリーダー作はこれ一枚きりだし、3管の6人編成のアルバムもめずらしい。それに共演者もこの時期のコルトレーンのいつものメンバーとは違う顔ぶれが目立つ。
 ブルーノートは選曲からメンバー選定までコルトレーンに自由にやらせてくれたという話なので、このアルバムは、当時のコルトレーンにとっての夢を実現したアルバムだったのだろう。
 演奏も当然のように熱のこもった名演であり、コルトレーンの名演であると同時に、この時期のハード・バップの名演と呼べる演奏になっている。逆にいえば、同時代の他のどのミュージシャンの作品とも違う、コルトレーンだけの作品……という所にはまだ至っていないともいえるのだが。

04.12.11



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  ■John Coltrane『Soultrane』     (Prestige)

    John Coltrane (ts) Red Garland (p)
    Paul Chambers (b) Art Taylor (ds)   1958.2.7

 コルトレーンが初リーダー作を録音するのは57年の5月だが、つづく58年には実に単独リーダー作だけで9枚、双頭リーダー名義が4枚と多作し、その他にも数々のレコーディング・セッションにサイドマンとして顔を出すという活躍を見せる。
 そんな中の1枚である本作は『Blue Train』(57) とならぶコルトレーンの中堅ハード・バッパー時代を代表する人気盤だ。3管の6人編成の『Blue Train』に対してこれはワン・ホーンのカルテットであり、よりコルトレーンのサックスそのものを味わうことができる。また、共演者もこの時期のコルトレーンにとってのいつものメンバーであり、いわば普段着のコルトレーンが聴けるアルバムといってよい。
 この時期のコルトレーンのリーダー作はマイルス・バンドの同僚がバックを固めることが多く、ピアノはたいていレッド・ガーランドだが、どうもガーランドはマイルス・バンドよりコルトレーンのアルバムのほうがずっと生き生きとしているように思う。マイルス・バンドでは脅されながら弾いていたといっていたそうだが、なるほど本当だったんだな……と思う。
 これらのアルバムは当然コルトレーンの演奏を楽しむアルバムだが、同時にリラックスしたガーランドのピアノを味わうのにもなかなかいい作品となっている。

04.12.11



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  ■John Coltrane『Giant Steps』      (Atlantic)

    John Coltrane (ts) Tommy Flanagan, Wynton Kelly (p)
    Paul Chambers (b) Art Taylor, Jimmy Cobb (ds)   1959.5.4/5 /12.2

 タイトルどおり、コルトレーンが巨大な一歩を踏み出したアルバムである。これによってコルトレーンは初めてジャズ・ジャイアントになったといえるし、この後のコルトレーンの全作品を含めても、このアルバムこそがコルトレーンの最高傑作だという人もいる。
 これが最高傑作かという意見だが、実はぼくもそうかもしれないと思っている。それはつまり、コルトレーンがコルトレーンらしさを全面に出して、自分を追い込みながらガンガンと突き進む演奏をしているにもかかわらず、それが音楽という枠内にまだ収まっているという意味でだ。
 これ以後のコルトレーンはコルトレーンらしさを全面に出してガンガンと突き進むと、もはや音楽ではない域まで行ってしまうし、音楽の枠内に収まってる作品は、むしろコルトレーンらしくない抑制された表現を見せたアルバムということになってくる。
 もちろんそこがいいという人もいるだろう。実はぼくも個人的な好みでいけば、これ以後の抑制されたコルトレーンの作品がいちばん好きではある。しかし、コルトレーンを音楽の枠内で聴きたいと思っている(おそらく普通の)音楽ファンにとって、コルトレーンの本質・コルトレーンらしさが最もよく出ているアルバムといえば、やはりこれということになるだろう。
 コルトレーンの本作に賭ける思いはなみなみならぬものがあったようで、本作の各曲には数多くのボツ・テイクが存在し、アトランティックのボックス・セットに集成されている。何度もテイクを重ねて、時間をかけて磨き上げていった演奏なのだ。
 この後、62年のデューク・エリントンとの共演作で、コルトレーンはエリントンに「スポンティニアスな音楽は一回しか演奏できないものなんだ」と言われて再び開眼したようだが、たしかに一般論としてはエリントンがまったく正しいとはおもうものの、コルトレーンという人を見た場合、こういうやり方のほうがコルトレーンらしいのかなと思う気持ちはある。

04.12.11



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  ■John Coltrane『Coltrane's Sound』       (Atlantic)

    John Coltrane (ts,ss) McCoy Tyner (p)
    Steve Davis (b) Elvin Jones (ds)   1960.10.24/ 26

 コルトレーンは多作な人であり、作品をきちんと完成させてから発表するのではなく、未完成で中途半端な状態でも、どんどん録音しリリースしていくというのがコルトレーンのやり方らしい。
 ジャズマンが一度に沢山録音した例ではマイルスの有名なマラソン・セッション(2日間の録音でLP4枚分)にもコルトレーンは参加しているが、この後、レッド・ガーランドのマラソン・セッション(2日間の録音でLP4枚分)にも参加し、そしてコルトレーン自身のマラソン・セッション(2日間の録音でLP3枚分)も行っている。しかし、これはプレステッジとの契約をこなすために、短期間で多くの曲を録音しなければならなかったという事情もあった。
 そして、60年には黄金のコルトレーン・カルテットが結成されて1月もたたない10月末に、3日間の録音でLP3枚に収まりきらないほどの曲を録音している。これは別にそうしなければならなかった事情があったという話は聞いたことがないんで、コルトレーンの意志でそうしたんだろう。
 この時の録音されたアルバムの中で最も有名なのは、最初にリリースされたスタンダード集『My Favorite Things』(60) であり、ここで初めて吹いたソプラノ・サックスも評判になったわけだが、"My Favorite Things" の演奏では後の『Selflessness』(63) のもののほうがずっといいし、そもそもこの時点ではソプラノの演奏は下手くそで、まだ自分のものにしているとは思えない。もっと上手くなってから録音すればいいのに……と思うのだが、やはり未完成で中途半端な状態でもどんどん録音していくというのがコルトレーンのやり方らしい。
 個人的にはこの時録音されたアルバムのなかではオリジナル中心の『Coltrane's Sound』をまず第一に上げたい。ショーター作の "Yes or No" が似ていると評判の "The Night Has a Thousand Eyes" もここに入っているので、聞き比べるのも一興。
 しかしこの3枚、『Giant Steps』の後とは思えないほど緩んだ演奏である。つまりこの時点ではコルトレーン・カルテットはまだ試運転中で、一から始めて形にはなってきたものの、まだレベルに達してないという段階だったんだろう。なにも、まだこんな状態の時にこんなに録音しなくたって……と思うのだが、やはり未完成で中途半端な状態でもどんどん録音していくというのがコルトレーンのやり方らしい。

04.12.10



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  ■John Coltrane『Ole』       (Atlantic)

    Freddie Hubbard (tp) Eric Dolphy (as,fl) John Coltrane (ts,ss)
    McCoy Tyner (p) Reggie Workman, Art Davis (b) Elvin Jones (ds)   1961.5.25

 61年の5月から6月にかけて、コルトレーンはアルバム3枚ぶんの録音をする。『Africa Brass』と、その Vol.2 、そしてこの『Ole』だ。
 『Africa Brass』の2枚はビッグ・バンドによる演奏になっており、この『Ole』はツイン・ベースの7人編成というちょっと風変わりな編成。この時期にはコルトレーンのバンドにはエリック・ドルフィーがレギュラー・メンバーになっていたわけだが、ドルフィーを含むスモール・コンボによるスタジオ盤はこれ一枚しかなく、いろいろな意味で興味深い内容になっている。
 『Africa Brass』がタイトルどおりアフリカがテーマとなっている一方、このアルバムのテーマはスペインであり、この時期のコルトレーンはエスニックなものに魅かれていたようだ。
 中心となるカルテットの演奏は、さすがに『My Favorite Things』(60) の時期とは比べものにならないくらいまとまっている。ツイン・ベースは民族音楽の打楽器を思わせるような効果を上げていて、これもおもしろい。肝心のドルフィーだが、ぼくはコルトレーン・バンドでのドルフィーはどうだったか聴いてみたくて『The Other Village Vanguard Tapes』(61) なども聴いてみたのだが、どうもドルフィーとエルヴィンはあまり相性が良くないというのがいまのところの結論だ。悪いわけではないのだが、プラス・アルファの効果が生まれてない気がするし、両者とも名手なだけにプラス・アルファがない共演はそれだけで残念な気がしてしまう。早めにやめて正解だったのでは。
 この後、コルトレーンは本作で見られる様々な要素を削ってカルテットへとまとめていくわけだが、ツイン・ベースだけでももう少し続けてみたらおもしろかったのでは……などと無責任に思ってしまうのはぼくだけなんだろうか?

04.12.11



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  ■John Coltrane『Live at The Village Vanguard』    (Impulse)

    Eric Dolphy (bcl) John Coltrane (ts,ss) McCoy Tyner (p)
    Reggie Workman (b) Elvin Jones (ds)   1961.11.2/ 3

 このアルバム、とくに "Chasin the Trane" に対するぼくの考えは上に充分に書いたので、そちらを参照してほしい。最初に聴いたときから、とにかくどこがいいのかわからないアルバムだった。このアルバムより前のアルバムも後のアルバムも好きなのに、これだけがどこがいいのかわからないのだから気になる。しかも、これがコルトレーンの代表的名演として有名なのだからさらに気になるのだが、何度聴いてもどこがいいのかわからない……。そして結局現在でも実はどこがいいのかわからないアルバムである。
 わかったのは、どうやらぼくはコルトレーンという人の音楽が全体的には好きにはなれないということだ。好きな部分はあるのだが、どうやらコルトレーンにとって本質的な部分はむしろぼくが好きになれない部分であるらしいこともわかった。
 だから本作を否定する気はまったくないし、おそらくコルトレーンの代表的名演なのだろうと思う。しかし、個人的な趣味嗜好による感想でいわせてもらえば、どこがいいのかさっぱりわからない。これはもう仕方がない。

04.12.11



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  ■John Coltrane『Coltrane』        (Impulse)

    John Coltrane (ts,ss) McCoy Tyner (p)
    Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (ds)   1962.4-6

 静かな雰囲気のアルバムであり、この時期のコルトレーンのアルバムの中ではインパクトが薄く、知名度が低いほうなのかもしれない。しかし、ちゃんと聴けばコルトレーンのなみなみならぬ意欲が感じられるアルバムである。
 インパルスでの最初のカルテットによるスタジオ録音であり、『Coltrane』というタイトルにもコルトレーンの決意がうかがえる。ちなみに『Coltrane』というのはプレステッジから出した最初のリーダー作のタイトルでもある。62年の4月から6月にかけての3回のセッションで5曲だけ録音しているが、とにかく多作なコルトレーンにとっては、こんなに時間をかけて一枚のアルバムを作ったのはおそらく『Giant Steps』(59) 以来だろう。
 心機一転して、新しいコルトレーンの第一歩だと考えていたのではないだろうか。
 しかし、それにしては『Giant Steps』に代表されるように、普段のコルトレーンの意欲が強ければ強いほど熱くなってガンガンと飛ばす傾向に逆らって、抑制された静かな表現になっているのがポイントである。
 この62年から64年にかけては、とにかく多作で中途半端でもどんどん録音していくコルトレーンにしてはめずらしく(『Ballads』(62) 以下の企画モノを除けば)アルバムを一枚々々ていねいに作っていた時期にあたる。
 また、わりに熱くなってガンガン行くのが好きなコルトレーンにしては、このアルバムの他、『Crescent』(64) や『A Love Supreme』(64) の前半など、比較的テンションを抑制したクールな演奏が目につくのもこの時期の特徴である。
 個人的にはこの時期はショーターとコルトレーンがもっとも音楽的に近づき、相互影響関係にあった時期だと見ているが、特にこの時期のコルトレーンの抑制されたクールめな作品にショーターからの影響を感じる。単純に自分の好みでいうなら、コルトレーンの作品のなかではこれらのアルバムが一番好きだ。

04.12.10



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  ■John Coltrane『Ballads』      (Impulse)

    John Coltrane (ts) McCoy Tyner (p)
    Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (ds)   1962.11.13 /61.12.21

 古本屋で古いジャズ関係の本を見つけて読んでいると、おもしろい記述にぶつかることがある。1982年に角川文庫から出ていた相倉久人という人の『現代ジャズの視点』という本を読んでいると、このアルバムについておもしろい記述をしている。それはコルトレーンはこのアルバムで原曲のメロディを忠実になぞっているだけのように見えるが、実はそうではなく「メロディーそのものを正確に追うことによって、その背後の存在に光をあてているのである。それはバラードという形式を介して宇宙の存在につながろうとする儀式であり、形式においてバラードでありながら、単なるバラードの域をはるかに超えている」というのである。
 現在ではこのような感想を持つ人はまずいないだろう。本作はレコード会社側が企画したものであることが知れ渡ってしまったからだ。つまり当時コルトレーンの先鋭的なジャズが聴衆になかなか受け入れられず、売り上げが不振だったことから、誰にでもわかりやすいスタンダードのバラード集でも出せば売れるんじゃないかとレコード会社がもくろみ、当時リードの調子が悪くて思うように演奏ができなかったコルトレーンがこれに乗って、サラッと作ったアルバムである。つまり、単なるバラード集なのだ。
 しかし、ぼくは先述の相倉久人という人の意見をトンチンカンだと批判したいわけではない。人というのはそう思い込んで聴けば、そのように聴こえてくるもののようで、思い込みの力というのは計り知れないものがあるようだ。
 ぼくが言いたいのは、こういうこと。つまり、たしかにこのアルバムは過去の人々の強い思い込みにもかかわらず、実はたいした内容のアルバムではないのだが、マイルスの『Kind of Blue』(59) だって似たようなもんじゃないかということだ。ぼくは本作を企画モノだと否定したあとで『Kind of Blue』がジャズの最高傑作であるかのようなことを言う人の耳が信じられないのだ。
 どちらも静かでムードのある曲ばかりで構成された、BGMに最適なアルバムであり、そのために長く人気盤でありつづけるアルバムだ。そして本作は企画モノ、そして『Kind of Blue』はマイルス本人の弁によれば失敗作である。
 しかし『Kind of Blue』ばかりがいまだに誉められる理由は、実は多くの人が本作をもう上記のような思い込みでは聴かなくなったのに対して、『Kind of Blue』はまだ思い込みで聴いているからではないのか。
 もちろん本作も『Kind of Blue』も、ぼくは否定する気はない。どちらもBGMに最適であり、その理由でこれからも聴かれつづけるだろう。しかし、本作をコルトレーンの代表作のように言ったり、『Kind of Blue』をジャズの最高傑作などと言ったりするのは、そろそろやめたほうがいいのではないか。

04.12.10



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  ■John Coltrane『Live at Birdland』       (Impulse)

    John Coltrane (ts,ss) McCoy Tyner (p)
    Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (ds)   1963.10.8 /11.18

 前半がタイトルどおりのライヴ、後半はスタジオ録音で構成されたアルバムである。
 『Ballads』に始まった一連の企画モノは63年3月の『and Johnny Hartman』で終わり、本作から『Crescent』(64) 『A Love Supreme』(64) と本気のアルバムが続く。
 この時期は多作なコルトレーンが例外的に一枚々々ていねいに、少数のアルバムだけを作っていた時期だが、とくに63年は録音が少なく、スタジオ録音は企画モノの『and Johnny Hartman』を除けば本作の後半くらいしかない。ライヴは本作の他にも、『Selflessness』に収録された"My Favorite Things" の決定的名演や、その他にもいろいろあるようだが。
 さて、この62〜64年の時期はコルトレーンがスタジオ盤では抑制のきいたクールな奏法を見せていた時期だが、ライヴでは『Selflessness』の "My Favorite Things"、本作の "Afro Blue" など、やはり熱い演奏も見せていたようだ。本作はその熱いコルトレーンとスタジオ録音曲の静かなコルトレーンの対比が聴きどころとなっている。
 その他、まあ、ほんとうは何も書くことなどないのだ。この63年後半から64年はコルトレーン・カルテットが充実しきっていた時期であり、企画モノにも手を出さずに本気の演奏を繰り広げていた時期だから、このジャズ史上屈指の名グループの演奏をただただ賞味すればいいのだと思う。

04.12.11



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  ■John Coltrane『Crescent』    (Impulse)

    John Coltrane (ts) McCoy Tyner (p)
    Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (ds)   1964.4.27 /6.1

 たぶんこの64年あたりがグループとしてのコルトレーン・カルテットがもっとも充実していた時期ではないだろうか。
 この年はコルトレーンを離れてもリズム・セクションのエルヴィン+タイナーはショーターの『Night Dreamer』や『Juju』、ジョー・ヘンダーソンの『Inner Urge』等で活躍しており、時代の最先端に位置するリズム・セクションと意識されていたことが感じられる。もっとも、タイナーの背後にはもうヒタヒタと追ってくるハービー・ハンコックの足音が、エルヴィンの背後にはトニー・ウィリアムスやジョー・チェンバースの足音が聞こえていたろうが。
 この『Crescent』はそんな最も充実していたコルトレーン・カルテットを代表するアルバムであり、全体的に抑制がきいてクールだった時代のコルトレーンの最後の一枚ともいえるアルバムだ。次作の『A Love Supreme』の後半からコルトレーンはまた燃え上がりはじめるのだ。
 バラード中心のアルバムだが、50年代のコルトレーンのバラードや、あるいは『Ballads』(62) とは比べものにならないくらい深くて切迫した重さがある。個人的には『Coltrane』(62) や本作あたりの、抑制のきいたクールなコルトレーンのアルバムがいちばん好きである。
 しかし、コルトレーンらしいかどうかといわれれば、やはり本作のような抑制のきいたクールな演奏は本来のコルトレーンのものではないだろう。本作をコルトレーンの代表作として上げるのは、やはりおかしいような気がする。
 しかし、好きかどうかという話をするなら、個人的にはこういったコルトレーンがいちばん好きだ。それはおまえがコルトレーンの本当の魅力がわかってないからだ! と言われるなら、もちろん否定する気はない。

04.12.11



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  ■John Coltrane『A Love Supreme(至上の愛)』       (Impulse)

    John Coltrane (ts) McCoy Tyner (p)
    Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (ds)   1964.12.9

 言わずと知れた有名盤であり、個人的には最初に聴いたコルトレーンのアルバムはこれだ。そして、すぐ好きになったし、しばらくの間は『Blue Train』(57) などハード・バップ時代のアルバムをコルトレーンの代表作に上げる人の気が知れなかった。これこそがコルトレーンであり、ハード・バップ時代の作品なんてここに至る途中経過としか思えなかったからだ。
 現在では、もうちょっと複雑な感想をこのアルバムにはもっている。このアルバムについてはもう様々な場所で書かれすぎるほど書かれているので、ここではぼくの個人的な感想を書かせてもらう。
 このアルバムはコンセプト・アルバムであり、全体が4つの曲(というか、部分)で構成されている。簡単に言えば1曲めは静かで、何かが始まるという不気味な期待感に満ち、2曲めで少し燃え上がり、3曲めがクライマックスで最大の盛り上がりを見せ、そして4曲めが完全燃焼した後の静けさと余韻……となっている。となると、とうぜんコルトレーンの意図としては後半の3、4曲めが一番の聴かせどころであるはずで、1、2曲めはそこに至る導入部であるはずだ。確かにこのアルバムはそのように作られている。
 しかし、ぼくはどうも最初に聴いた時から現在に至るまで、前半(A面)の1、2曲めが大好きで、クライマックスであるはずの後半にはさほど魅力を感じないのだ。嫌いとか、理解できないとかは思わないが、まあ、普通にいい演奏という程度で、前半部分のように好きではない。
 とすると、コルトレーンの意図は失敗しているのだろうか? いや、ちゃんとしたコルトレーンのファンは、やはり後半に感動しているようであり、どうもぼくのほうに問題があるらしい。
 つまりはぼくがコルトレーンのファンにはなりきれない理由がここにあるようだ。つまりは本作の前半ではコルトレーンが(後半に盛り上げるために)まだ抑えた演奏をしており、そのため前作『Crescent』の色調にも近く、ショーターの世界と地続きになっている。しかし後半はそうではないということだ。しかし、広いスパンでコルトレーンの作風を見るならば、やはり後半の燃え上がった演奏によりコルトレーンらしさがあるといえる。
 そして、『Coltrane』(62) 以後、少なくともスタジオにおいてはクールに抑制された表現のなかに「本気」を見せていたコルトレーンが、再びこのように熱く燃え上がる演奏を始めたということは、コルトレーンのなかで一つの時代が終わり、新しい時代が胎動し始めてきたことを意味している。それはもちろんフリーへと突き進む65年以後の時代の胎動だろう。


04.12.10



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  ■John Coltrane『The John Coltrane Quartet Plays』  (Impulse)

    John Coltrane (ts,ss) McCoy Tyner (p)
    Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (ds)   1965.2.18/ 5.17

 コルトレーンの『Coltrane』(62) 以後のスタジオ盤の録音年月を見ていくと、その『Coltrane』が62年の4月〜6月、62年の9月から63年の3月にかけて一連の企画モノが録音され、63年の11月に『Live at Birdland』の後半。64年の4月〜6月に『Crescent』、12月に『A Love Supreme』、この『Quartet Plays』が65年の2〜5月……と、だいたい半年くらいの間隔を開けて、つまりコルトレーンにしては一枚々々じっくりと作っていたのが感じられる。
 しかし、この『Quartet Plays』以後は、同じ65年の5〜6月に『Transition』、6月に『Ascension』、6〜10月に『Kulu Se Mama』、8月に『Sun Ship』、9月に『Meditation (for Quartet)』、10月に『Om』、11月には『Meditation』……と、ものすごい勢いでスタジオ入りし、ひと月に一枚くらいのペースでアルバムを作っていく。
 つまり本作の前後で、コルトレーンの内で何かが変わったのだろう。
 コルトレーンはもともと多作な人なので、再び多作に戻ったのは、つまり元に戻ったといえる。どちらかといえば62〜64年のほうが特別な時期だったのだ。
 そしてこの65年以後は作風自体も62〜64年のように抑制された静かな演奏ではなく、『Giant Steps』(59) や "Chasin the Trane" (61) のような、とにかくガンガンと突き進んでいくといったふうな演奏に戻り、いわば "Chasin the Trane" よりさらに突き進んだような演奏をおこなっていく。多分こちらのほうがコルトレーンの本来の姿のような気がする。しかし、個人的な嗜好でいうならば、ぼく自身はやはり62〜64年のガラにもなくクールなコルトレーンのほうが好きであり、65年中盤以後のコルトレーンにはついていけない部分が多い。
 さて、このアルバムはそのちょうど狭間にある作品で、デイヴ・リーブマンによれば、コルトレーンの中期の最後の作品だそうだ。しかし、聴いていると後期の雰囲気ももう既に出てきているように思う。正直なところ、ぼくがコルトレーンを興味をもって聴けるのは、このアルバムくらいまでだ。これ以後のアルバムはちょっと音楽ととらえることには難があるような気がする。

04.12.10



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  ■John Coltrane『Meditations』    (Impulse)

    John Coltrane, Pharoah Sanders (ts,per) McCoy Tyner (p)
    Jimmy Garrison (b) Elvin Jones, Rashid Ali (ds)   1965.11.23

 全5曲からなる組曲で、たぶん『A Love Supreme』と同じようにコルトレーンが強い意欲を込めた作品なのだろう。デイヴ・リーブマンが全曲をカヴァーしてアルバムを作っているが(『John Coltrane's Meditations』(95) )、熱心なコルトレーンのファンであり研究家でもあるリーブマンがあえてこれを選んだ点からいっても、重要な作品なのだろう。しかし正直いってぼくには、とくに一曲めなど、音楽には聴こえない。デイヴ・リーブマンによるカヴァー・ヴァージョンのほうがむしろ音楽に聴こえ、好きになれる。
 もちろん、だからといってコルトレーンを否定する気はない。単にぼくが理解できないというだけの話だ。しかし、ここに至るとコルトレーンの演奏は、もうぼくのようなジャズを音楽として楽しみたい人間には理解できない、過剰な思い入れや、ある種の信仰がないと価値が見出せないところまで至ってしまったということではないか。
 黄金のコルトレーン・カルテットとは実質的にはコルトレーンとエルヴィン・ジョーンズの双頭グループだったというのが一般的な説である。しかし、その一方の頭たるエルヴィンはついに「もう、ついてけん!」とばかりにこのアルバムを最後にバンドをやめてしまう。マッコイ・タイナーもやめてしまう。まあ、ここまでよくガマンしたといっていいのではないかと思う。コルトレーンには申し訳ないが、ぼくはエルヴィンのほうに共感する。
 コルトレーン・カルテットの息が合っていたのは『Quartet Plays』までだろう。

 一応書いておくが、ぼくはべつにフリー・ジャズが嫌いなわけではない。オーネット・コールマンはじめ、好きなフリー・ジャズ系のミュージシャンは多くいる。しかし、オーネットのフリー・ジャズとコルトレーンのフリー・ジャズは別物だ。
 たいていのフリー・ジャズ系のミュージシャンは、従来のジャズの枠にとらわれない「音楽」を目指しているだけであって、「音楽」を捨てて演奏行為そのものに「意味」を見出そうなどとはしていない。


04.12.10



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  ■John Coltrane『Live in Japan, Vol.1』    (Impulse)

    John Coltrane (ts,ss,as,per)  Pharoah Sanders (ts,as,bcl,per)
    Alice Coltrane (p) Jimmy Garrison (b) Rashid Ali (ds)   1966.7.22

 フリーへ進んで以後のコルトレーンは当時のファンにどう受け入れられたのだろうか。
 マイルスは自伝で、この時期のコルトレーンは当時の黒人の若い知識層のシンボルであり、誇りとなっていたと書いている。しかし以前見たアメリカ制作のテレビ番組では、フリー転向後にはコルトレーンの人気はアメリカでは落ち目になり、それ以後のコルトレーンを最も歓迎したのには日本のファンだったと言っていた。しかし、それにしてはこの66年の日本公演はそれほど盛況ではなく、空席も目立ったそうだ。
 よくわからないが、客観的な事実として、バンドを去っていったエルヴィンとマッコイと、その後任者との実力の差を見ると、さほど順風満帆だったようには見えない。一部の熱狂的な支持者はいたが、全体的にはファンは減り、音楽活動もたとえ技術的には劣ろうとも自分の音楽を理解してくれる少数の共演者とともに続けていくほかない状態だったのではないか。
 さてこの日本公演のライヴ盤は本来はラジオでの一回のみの放送を目的に録音された音源だそうで、コルトレーン自身は録音されていることすらも知らなかったのだという。すでに癌に冒されていたコルトレーンはこの日本公演の後にヨーロッパ・ツアーの予定をキャンセルし、以後ライヴ活動から離れていく。つまりこのライヴ盤は文字どおりコルトレーンの最後期のライヴの記録ということになる。
 コルトレーンの死後、この録音がリリースされる運びになり、当初はこの22日の録音が『Live in Japan』としてLP3枚組で、さらに7月11日のライヴの録音が『Second Night in Tokyo』としてやはりLP3枚組で出て、CDではそれぞれ2枚組で『Vol.1』『Vol.2』としてリリースされ、後に全部集めた4枚組CDも出ている。個人的にはCD版の『Vol.1』しか聴いていない。
 コルトレーンの最後期のライヴがこれほどのボリュームで、またコルトレーン自身が録音を知らないという、いわば録音・リリースをまったく考えてないライヴという状況で記録できたことは快挙といってよく、実に貴重なアルバムだと思う。

 さて、ではどのような内容なんだろうか。
 個人的にはこのライヴ演奏は少なくとも『Meditations』(65) あたりよりは理解しやすく、ある意味『Live at Village Vanguard』(61) の素直な延長線といえるかもしれない。
 コルトレーンが最後期のライヴで到達した演奏とは、一言でいえば(こんなことを言うとミもフタもないとファンに怒られるかもしれないが)ソロを長く演奏するということだったと思う。
 本作では各曲の演奏時間がとにかく長いが、かといって大曲として複雑な構成・編曲がなされているわけでもない。ただ、ソロ演奏が延々と長いのだ。例えば一時間近くある"My Favorite Things" では14分にもおよぶ無伴奏ベース・ソロから始まる。無伴奏ドラム・ソロが延々と続く曲もある。また、バンド全員による演奏の部分でも、とくに変化のないバッキングがつけられているなかを、ホーン奏者がとにかく延々とソロを続けるという演奏だ。長いわりにこれといった展開はなく、つまり同じような状態の演奏が長く長く続いていく。同じようなフレーズをくり返しているだけのような部分も多い。
 しかし、これを冗長な演奏、ただダラダラと長いだけ……と批判するのは間違いだろう。コルトレーンの狙いはこの冗長とも思える長さのなかにあったはずだ。
 しかし一方、このコルトレーンの方法が袋小路にはまりこんでいたことも確かだろう。当時コルトレーンはすでに一曲を二時間も演奏していることもあったというが、常に前進することを身上としているコルトレーンは、もっと長生きしたとすればこの先どこへ進めばよかったのだろうか。今度は一曲に三時間、四時間……十時間、とかけていけば前進といえるのか。そういうことでもないだろう。
 おそらく晩年のコルトレーンは、これ以上前進しようとすれば、いままでの方法論を一度全部捨てて仕切り直しをするようなことをしなければならない所まで差し掛かっていたような気がする。

 おもしろいのは、ウェイン・ショーターが2001年からのカルテットで始めたアコースティック・ジャズ演奏で到達したスタイルは、このコルトレーンの到達点とは真逆だったということだ。
 つまり、ショーターにおいては演奏者の単独ソロは極限まで短く、ホーン奏者がほんの一音を発すれば、すぐに他の演奏者がこれに応え、対話のなかで演奏が進んでいく。曲は変化に富み、どこまで編曲され、どこからが即興かわからない複雑な構成をしている。


05.1.8



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『ウェイン・ショーターの部屋』


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