John Coltrane (ts) McCoy Tyner (p)
Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (ds) 1962.11.13 /61.12.21
古本屋で古いジャズ関係の本を見つけて読んでいると、おもしろい記述にぶつかることがある。1982年に角川文庫から出ていた相倉久人という人の『現代ジャズの視点』という本を読んでいると、このアルバムについておもしろい記述をしている。それはコルトレーンはこのアルバムで原曲のメロディを忠実になぞっているだけのように見えるが、実はそうではなく「メロディーそのものを正確に追うことによって、その背後の存在に光をあてているのである。それはバラードという形式を介して宇宙の存在につながろうとする儀式であり、形式においてバラードでありながら、単なるバラードの域をはるかに超えている」というのである。
現在ではこのような感想を持つ人はまずいないだろう。本作はレコード会社側が企画したものであることが知れ渡ってしまったからだ。つまり当時コルトレーンの先鋭的なジャズが聴衆になかなか受け入れられず、売り上げが不振だったことから、誰にでもわかりやすいスタンダードのバラード集でも出せば売れるんじゃないかとレコード会社がもくろみ、当時リードの調子が悪くて思うように演奏ができなかったコルトレーンがこれに乗って、サラッと作ったアルバムである。つまり、単なるバラード集なのだ。
しかし、ぼくは先述の相倉久人という人の意見をトンチンカンだと批判したいわけではない。人というのはそう思い込んで聴けば、そのように聴こえてくるもののようで、思い込みの力というのは計り知れないものがあるようだ。
ぼくが言いたいのは、こういうこと。つまり、たしかにこのアルバムは過去の人々の強い思い込みにもかかわらず、実はたいした内容のアルバムではないのだが、マイルスの『Kind of Blue』(59) だって似たようなもんじゃないかということだ。ぼくは本作を企画モノだと否定したあとで『Kind of Blue』がジャズの最高傑作であるかのようなことを言う人の耳が信じられないのだ。
どちらも静かでムードのある曲ばかりで構成された、BGMに最適なアルバムであり、そのために長く人気盤でありつづけるアルバムだ。そして本作は企画モノ、そして『Kind of Blue』はマイルス本人の弁によれば失敗作である。
しかし『Kind of Blue』ばかりがいまだに誉められる理由は、実は多くの人が本作をもう上記のような思い込みでは聴かなくなったのに対して、『Kind of Blue』はまだ思い込みで聴いているからではないのか。
もちろん本作も『Kind of Blue』も、ぼくは否定する気はない。どちらもBGMに最適であり、その理由でこれからも聴かれつづけるだろう。しかし、本作をコルトレーンの代表作のように言ったり、『Kind of Blue』をジャズの最高傑作などと言ったりするのは、そろそろやめたほうがいいのではないか。
John Coltrane (ts,ss,as,per) Pharoah Sanders (ts,as,bcl,per)
Alice Coltrane (p) Jimmy Garrison (b) Rashid Ali (ds) 1966.7.22
フリーへ進んで以後のコルトレーンは当時のファンにどう受け入れられたのだろうか。
マイルスは自伝で、この時期のコルトレーンは当時の黒人の若い知識層のシンボルであり、誇りとなっていたと書いている。しかし以前見たアメリカ制作のテレビ番組では、フリー転向後にはコルトレーンの人気はアメリカでは落ち目になり、それ以後のコルトレーンを最も歓迎したのには日本のファンだったと言っていた。しかし、それにしてはこの66年の日本公演はそれほど盛況ではなく、空席も目立ったそうだ。
よくわからないが、客観的な事実として、バンドを去っていったエルヴィンとマッコイと、その後任者との実力の差を見ると、さほど順風満帆だったようには見えない。一部の熱狂的な支持者はいたが、全体的にはファンは減り、音楽活動もたとえ技術的には劣ろうとも自分の音楽を理解してくれる少数の共演者とともに続けていくほかない状態だったのではないか。
さてこの日本公演のライヴ盤は本来はラジオでの一回のみの放送を目的に録音された音源だそうで、コルトレーン自身は録音されていることすらも知らなかったのだという。すでに癌に冒されていたコルトレーンはこの日本公演の後にヨーロッパ・ツアーの予定をキャンセルし、以後ライヴ活動から離れていく。つまりこのライヴ盤は文字どおりコルトレーンの最後期のライヴの記録ということになる。
コルトレーンの死後、この録音がリリースされる運びになり、当初はこの22日の録音が『Live in Japan』としてLP3枚組で、さらに7月11日のライヴの録音が『Second Night in Tokyo』としてやはりLP3枚組で出て、CDではそれぞれ2枚組で『Vol.1』『Vol.2』としてリリースされ、後に全部集めた4枚組CDも出ている。個人的にはCD版の『Vol.1』しか聴いていない。
コルトレーンの最後期のライヴがこれほどのボリュームで、またコルトレーン自身が録音を知らないという、いわば録音・リリースをまったく考えてないライヴという状況で記録できたことは快挙といってよく、実に貴重なアルバムだと思う。
さて、ではどのような内容なんだろうか。
個人的にはこのライヴ演奏は少なくとも『Meditations』(65) あたりよりは理解しやすく、ある意味『Live at Village Vanguard』(61) の素直な延長線といえるかもしれない。
コルトレーンが最後期のライヴで到達した演奏とは、一言でいえば(こんなことを言うとミもフタもないとファンに怒られるかもしれないが)ソロを長く演奏するということだったと思う。
本作では各曲の演奏時間がとにかく長いが、かといって大曲として複雑な構成・編曲がなされているわけでもない。ただ、ソロ演奏が延々と長いのだ。例えば一時間近くある"My Favorite Things" では14分にもおよぶ無伴奏ベース・ソロから始まる。無伴奏ドラム・ソロが延々と続く曲もある。また、バンド全員による演奏の部分でも、とくに変化のないバッキングがつけられているなかを、ホーン奏者がとにかく延々とソロを続けるという演奏だ。長いわりにこれといった展開はなく、つまり同じような状態の演奏が長く長く続いていく。同じようなフレーズをくり返しているだけのような部分も多い。
しかし、これを冗長な演奏、ただダラダラと長いだけ……と批判するのは間違いだろう。コルトレーンの狙いはこの冗長とも思える長さのなかにあったはずだ。
しかし一方、このコルトレーンの方法が袋小路にはまりこんでいたことも確かだろう。当時コルトレーンはすでに一曲を二時間も演奏していることもあったというが、常に前進することを身上としているコルトレーンは、もっと長生きしたとすればこの先どこへ進めばよかったのだろうか。今度は一曲に三時間、四時間……十時間、とかけていけば前進といえるのか。そういうことでもないだろう。
おそらく晩年のコルトレーンは、これ以上前進しようとすれば、いままでの方法論を一度全部捨てて仕切り直しをするようなことをしなければならない所まで差し掛かっていたような気がする。