みずからを心身の癒しへと導く“音薬”

─ パッヘルベルの『カノン』はストレス解消になぜ人気? ─

 ストレスが多い現代社会、音楽で心身をリフレッシュさせようと、多数のCDが市場に出ています。しかも、環境音楽、クラシック、独自の作曲など、バラエティに富んでいます。中でもよく用いられるのが、ドイツ・バロック時代の傑作、パッヘルベルの『カノン』。特にストレス軽減によいと言われていますが、効果に科学的な根拠はあるのでしょうか?
 都合のよいことに、音楽が肉体に及ぼす影響についての実験結果が、数年前アメリカの著名な医学誌に掲載されました。被験者は男性外科医50人。連続して引き算をさせるというストレスを与えながら、(1)パッヘルベルの『カノン』を聞かせたとき、(2)被験者が自分で選んだ曲を聞かせたとき、(3)音楽なしのときの3つの場合で、血圧、心拍数、皮膚の電気抵抗がどう異なるかを調べたのです。
 すると、(1)の『カノン』を聞かせたときには、(3)の音楽なしのときと比べて明らかにストレスが減ることがわかりました。

ガン原遺伝子と関係がある『カノン』のメロディ。

 この『カノン』の特徴は、出だしの8つの音符にあります。これが形を変えながら、何回も繰り返されます。このメロディに関係するのは、GTP分解酵素活性化タンパク質(GAP)です。このタンパク質のメロディの主題が、パッヘルベルの『カノン』の特徴的なメロディのバリエーションになっているのです。
 GAPには、ラスというグループのガン原遺伝子を不活性にする働きがあります。このガン原遺伝子は細胞分裂に関与しているので、その一部に異常が起こると細胞の増殖が止まらず、ガンになると考えられています。このガン原遺伝子に変異が起こっているケースは、肺ガンで30%、大腸ガンで40%、膵臓ガンでは80%にも上ります。ですから、GAPの合成を盛んにしてやると、このガン原遺伝子の活性が低下し、腫瘍が抑えられることになるのです。
 ところで『カノン』を使っている音楽療法家の観察によると、ストレスがこのガン原遺伝子を刺激し、その結果、腫瘍が発達する場合があるとのことです。またこのガン原遺伝子は、腫瘍以外の多くの病気に関係があるらしいことも観察されています。こういったことはまさに、最近になって生化学者たちが学問的に明らかにし始めたことでもあります。
 このようなわけで、パッヘルベルの『カノン』には、確かにストレスを減らし、ある種のガンと、ストレスに関係した病気の発生を抑える働きがあるのです。

心地よく感じる音楽には実は深い意味がある。

 しかし、冒頭に述べた実験でより興味深いのは、同じ音楽でも(1)の『カノン』より(2)の自分で選んだ曲を聞くほうが、ストレスが顕著に少なくなるという結果です。ちなみに、好きな曲としては、46人がクラシックを、2人がジャズを、そして残りの2人がアイルランド民謡を選びました。
 ステルンナイメール博士は言います。「この事実から、ストレスといっても人によって千差万別で、自分の好きな曲を聞くのが重要であることがわかる。これは、関係するタンパク質がさまざまであることを意味している。だから、聞いた人が心地よく感じる曲を分析してストレスにはどのタンパク質が関わっているかを知ると、より適切なストレス軽減ができるはずだ。このことは、ストレスだけでなく病気にもあてはまる。
 だが、症状が同じだからといって、関係するタンパク質も同じとは限らないことに注意すべきだ。逆に、ひとつのタンパク質が、多くの症状に関係していることもある。だから、個人個人の症状に合わせて、問題のあるタンパク質を特定することが重要なのだ。
 実際に行うのは単純な方法で、関係すると思われるタンパク質の音楽をいくつか聴き比べて選び出してもらうだけでよい。通常は医者が診断をして薬を処方するが、タンパク質の音楽は、患者が聴いて自分に合った“音薬”を選ぶ。
 “音薬”は、遺伝子の発現やタンパク質合成のレベルに直接作用するため、しかもその作用を患者が自分で感じ取って選び出すため、効果は通常の薬よりも優れている。従来にない、まったく新しい医療の可能性が開けてきたのだ。」
 自分の体や心のことを本当に正しく理解できるのは自分だけ。だからこそ、タンパク質の音楽が大きな意味を持ちます。タンパク質の音楽で自分自身を感じ取り、そして自分の病や心を癒すことができるから…。今、医療の主導権が、医者の手から患者の側に取り戻されようとしているのです。