ヒマワリは歌う、「おお、私の太陽よ!」

─ 光合成から生まれた『オ・ソレ・ミオ』 ─

 夏を代表する花と言えばヒマワリ。いつも顔を太陽に向けている花という意味で、向日葵という漢字が当てられています。フランス語でもまったく同じ名づけ方がされており、トゥルヌソルと呼ばれます。もっとも、ヒマワリがいつも太陽のほうを向いているということはないそうですが。
 ヒマワリも含め、植物の働きとしては、光合成がよく知られています。つまり、二酸化炭素という原料を、太陽光のエネルギーを利用して、植物を生長させ維持するための有機物や、呼吸に必要な酸素に変えるという機能です。
 大部分の生物にとって、植物が光合成で生み出す酸素を利用した呼吸は欠かせません。その呼吸に深くかかわっているのが、それぞれの細胞に含まれているミトコンドリアという器官。ミトコンドリアは、呼吸を通じ、ATP(アデノシン三リン酸)という物質の形でエネルギーを蓄えます。必要とあらばいつでもこのATPを分解してエネルギーを取り出し、例えば動物であれば、体温の維持や筋肉の収縮といったことに利用することができます。このようにATPは、エネルギーを蓄えておいたり、消費して生まれるエネルギーを生物の体内のいろいろな活動に自由に使ったりできるという意味で、一種のエネルギー“通貨”といえます。

『オ・ソレ・ミオ』を歌えばエネルギーが補充される。

 ヒマワリの細胞にももちろん、ATPを生み出すミトコンドリアがあります。そのATPを作るのに重要な役割を果たすタンパク質がatp6。「そのヒマワリのミトコンドリアに含まれるatp6を盛んに合成させるメロディーに、『オ・ソレ・ミオ(私の太陽)』のまさに“オ・ソレ・ミオ”という歌詞に対応する部分が、そっくりそのまま再現されている」と、タンパク質の音楽を発見したステルンナイメール博士は語っています。ヒマワリが、夏の太陽に向かって、「おお、私の太陽よ!」と歌いながら一生懸命エネルギーを蓄えているなんて、考えただけでも楽しくなるではありませんか。
 『オ・ソレ・ミオ』は、皆さんご存じのナポリ民謡です。1898年、エドゥアルド・ディ・カープアが、父とともに滞在していたウクライナのオデッサで作曲したといわれています。ナポリに戻って、9月に開かれるピエディグロッタの歌謡祭に参加。そこで歌われたのが、一般の人に広まる最初の機会となりました。
 『オ・ソレ・ミオ』はコンテストで第2位でしたが、その後、世界に名を馳せたテノール歌手エンリコ・カルーソがレパートリーとしたこともあって、世界中に知られるようになりました。このコンテストからは、ほかにも『帰れソレントへ』など多くの名曲が生まれています。

ヒマワリのタンパク質からヒット曲が生まれた!?

  ディ・カープアが滞在していたウクライナのオデッサは黒海の沿岸にあり、一年中太陽の光に恵まれた温暖な気候が特徴です。豊かな農業地帯の中に位置する都市でもあります。この地で多く採れる作物が、何とヒマワリなのです。種子を食用にしたり、ヒマワリ油を採るために大量に栽培されていて、生産高は世界有数です。
 ちょっと市街を離れると、どこまでも続くヒマワリ畑が現れてきます。ディ・カープアもきっと、ヒマワリ畑を目にしたに違いありません。想像ですが、そのヒマワリが語りかけてくる言葉にインスピレーションを得て、“オ・ソレ・ミオ”という歌詞に対応する部分のメロディーが脳裏に浮かんだのではないでしょうか。
 ディ・カープアは、ナポリの劇場、カフェ、映画館などで演奏をして生計を立てながら、『オ・ソレ・ミオ』をはじめとするヒット曲をいくつも生み出しましたが、世間の事情に疎かったため金銭的には恵まれませんでした。
 「ピアノまで持っていかれるようなことがあるとしたら、それはオレの死ぬときだな」と妻に語っていた通り、彼は、お金に困ってピアノを売り払ったときに病気になり、極貧のうちに病院で死を迎えました。『オ・ソレ・ミオ』において、ATPという生体の“通貨”を盛んに生むメロディーを一方では作りながら、現世では生活に必要なお金にさえ縁がなかったというのは皮肉としかいいようがありません。