禁断の木の実が熟するとき

 ─ 『リンゴの唄』に隠された秘密 ─

 赤いリンゴに唇寄せて…。
 この歌詞を見てメロディーが浮かんでこない日本人はいないでしょう。それと同時に、この歌がヒットした時代のことも。
 この『リンゴの唄』について、フランスの物理学者であるジョエル・ステルンナイメール博士は、「出だしの部分をはじめ、アクロシン・インヒビターというタンパク質の働きを抑えるメロディーが何箇所も含まれている」と語っています。彼は、タンパク質をメロディーに置き換えるルールを発見したのです。         でき上がったメロディーは、対応するタンパク質の合成に影響を与えます。ですから、この発見により、どのようにして音楽が生物の体内深くの営みに影響を与えるかを説明できるかもしれません。
 タンパク質というのは、20種類のアミノ酸がいろいろな順番でつながって真珠のネックレスのようになったものです。そのタンパク質と音楽の関係について、ステルンナイメール博士は、「アミノ酸ひとつひとつに、ある方法で音符を対応させる。対応のさせ方にはふた通りあって、一方の方法によるメロディーは、対応するタンパク質の合成を盛んにし、もう一方は、それを抑える。ちょうど、楽器で一本の弦を鳴らしたときに別の弦が共鳴するのと多少似た共鳴現象によって、このようなことが起こる」と説明しています。

『リンゴの唄』は、勇気とヤル気をもたらした!?
 さて、『リンゴの唄』に関係するアクロシン・インヒビターというのは、精液中の物質です。その名からわかるように、アクロシンの働きを抑える機能があります。アクロシンは精子頭部に含まれており、卵子を取り囲んでいる透明な膜を溶かして受精へと結びつける重要な役割を担っています。そこでアクロシン・インヒビターの働きを抑えてやると、精子と卵子の結合が促進され、妊娠しやすくなるのです。
 ここで、『リンゴの唄』が世に出たときのことを振り返ってみることにしましょう。この歌は、戦後初めて製作された映画『そよ風』の中で歌われたものです。この映画は戦時中から企画はされていましたが、その段階で敗戦を迎え、改めてGHQの検閲を経て実現することになりました。すぐに撮影が開始され、10月11日にはもう封切りという素早さ。そのうち、『リンゴの唄』だけがひとり歩きして爆発的にヒットし、翌年にはレコーディングまでされました。レコードは、その年のうちに何と12万5000枚が売れたといいます。
 歌詞は、戦時中にサトウハチローさんが「こんな時代だから明るい歌がないといけない」という気持ちですでに書き上げていたものの、曲はつけられずに残されていました。『リンゴの唄』の場面の撮影が始まっても曲はできあがらず、結局はアフレコに。時間に追われながらでき上がったのが『リンゴの唄』のメロディーなのです。
 戦後すぐにベビーブームが来るのは世の習いです。そこに現れたのが、妊娠しやすくなるメロディーを含む『リンゴの唄』。作曲者の万城目正さんは、当時の日本人の間に満ちていた雰囲気を無意識のうちにすくいとり、音楽として残してくれたのかもしれません。
 戦後すぐに明るいメロディーの歌がヒットするのは当然でしょうが、そのような歌はいくらでもあります。そのなかで、『リンゴの唄』だけが、ベビーブームの間、日本中で愛唱され続けたのです。

タンパク質の奏でる音楽が人類の運命の“鍵”を握る。
 何十億年もの歴史を秘めた遺伝子の中の情報をもとにタンパク質が合成され、そのタンパク質に関係のあるメロディーがふとしたきっかけで生まれて一世を風靡する。
 ステルンナイメール博士は『リンゴの唄』の成功を分析して、「戦後すぐに子供を望んでいた日本人にとって、アクロシン・インヒビター抑制のメロディーを含むこの歌は、その欲求に応えるものであったに違いない。そのため日本人は、この歌を気持ちよく感じ、この歌に強く惹きつけられたのだ」と語っています。
 万城目さんは、「この歌は必ずヒットする。ただし5年間だけだよ」と語ったそうです。もはやかなわぬことながら、なぜそう思ったかを聞いてみたかったものです。