ニューヨーク・タイムズ196716日の記事より


プリンストン大学の物理学者の歌に、
フランス人もビックリ

 プリンストン、ニュー・ジャージー州、4月15

 小柄な24才のプリンストン大学の物理学者が、常人の理解を超える難しい内容の歌を作曲し、プリンストン大学のトレーナーを着てデビューしたことで、フランスのレコード業界始まって以来のセンセーションが起こっている。

 この若き学者は長髪であり、素粒子物理学の研究をしているのだが、2月22日、フランスのテレビショーにエヴァリストという名前で歌手として出演したことがきっかけとなって、スターダムにのし上がった。ペトゥーラ・クラーク、ハーマンズ・ハーミッツ、フランソワーズ・アルディ、ザ・フォー・トップス、ポール・アンカといった錚々たる顔ぶれの中で、エヴァリストだけが唯一無名の人物であった。その彼が普段通りのプリンストン大学のトレーナーを着て、自作の曲である「積分の計算を発明した動物を知ってるかい?」のパフォーマンスを行なったところ、それがたちまちヒットしてしまった。

 翌日、フランス最大の新聞である『フランス・スワール』は、エヴァリストのことを“一大事件”と書き、フランスの最も権威ある新聞、『ル・モンド』は、彼のパフォーマンスに聴衆は“狂喜した”と報道した。

 その曲というのは、誰が積分を発明したかに関してアイザック・ニュートン卿とゴットフリート・ヴィルヘルム・フォン・ライプニッツの間で行なわれた想像上の論争を扱ったものなのだが、その曲を収録したレコードが、一週間と経たないうちに、フランスのレコード・ベストセラー・リストの第7位に登場した。これは、最初のアルバムとしては、フランスのレコード業界始まって以来の快挙である。レコードの発売に加えて、5つのテレビ局に出演し、映画も1本撮影するといったすべてのことが、エヴァリストのデビューから2週間のうちに起こった。『パリ・マッチ』という雑誌が彼について2ページの特集を組んだほか、フランスの多くの新聞や雑誌が彼の経歴と歌についての記事を載せた。

 エヴァリストは、こうして突然に脚光を浴びるようになったため、ちょっとした恐怖を感じている。ところでこの名前は、21才で決闘に倒れた19世紀フランスの数学者エヴァリスト・ガロアに由来する。なお本名は、彼の要望により秘密にされている。それというのも、彼の学術論文がエンターテイナーのやった仕事であることを、学者たちが嗅ぎ付けるのではないかと恐れているからだ。

 彼は、最近のインタビューで、最初にテレビ出演してからの数日間について、次のように語っている。「どこに行っても、大声でボクを追い掛けてくるんだ。女の子たちは、学校の勉強を教えて欲しいと手紙を書いてくる。母親たちはボクを見ると、子供に向かって、「いま一生懸命勉強すると、エヴァリストのようになれますよ」とよく言っていたものだ。ちょっと静かにしておいて欲しくなったんで、プリンストンに戻ってきたというわけさ」。

 エヴァリストは、リヨン近郊のモンリュエルに生まれた。数学の修士号と理論物理の博士号を持っているが、音楽に関してはまともなトレーニングを受けたことはない。彼の父は、第二次世界大戦中にアウシュビッツの収容所で殺された。母親のほうは、弁護士をしている。

 彼が歌い始めたのは、プリンストン大学で研究を続けるためのお金を稼ぐ必要があったからだ。

 「ベトナム戦争のおかげで、アメリカ政府は理論物理学に向ける研究資金を減らしているところだった。それでボクは実験の仕事をやらざるをえなくなったんだ。まったく向いていなかったんだけどね…。ある教授にそのことを話していると、「キミは長髪なんだし、代わりに歌でも歌ってみたらどうかね」と言われたっていうわけさ」と彼は語っている。

 エヴァリストは、フランスのレコード業界に知り合いが何人かいたので、去年のクリスマス休暇中にパリの実家に戻ったとき、ほとんどジョークで書き上げていた4つの曲をレコーディングした。

 2月、彼は再びパリに戻った。第一の目的は、彼が以前に指導を受けていたあるフランス人物理学者に会うことだったが、彼が新しくリリースしたレコードのプロモーションも兼ねていた。このキャンペーンのおかげで、彼はテレビに出演し、急速にスターダムにのし上がっていくことになったのだ。

 エヴァリストのこれからの計画は、フランス語で書かれた自作のヒット曲を英語に翻訳すること、21才未満の数学賞を創設すること、プリンストン大学で素粒子物理学の研究を続けることである。

 「プリンストンで気に入っているのは、自由と、リスと、一晩中開いている数学物理学図書館なんだ。フランスの図書館は、夜の7時には閉まってしまうんでね」と彼は語っている。