障害とともに生きる心を学ぶ会

いわゆる「障害受容」について再考する・・・


障害に目を向け,障害を治療するリハビリテーション医学にかかわりながら,常に疑問であったこと.それは,心の問題を避けているのではないか,あるいは,医療関係者が「障害受容」という判でも押すように安易に考えてはいないか,ということです.

現在,いわゆる「障害受容」について再考する会の設立を考えていますが,「心の問題を大切にする」ということが,障害者の方々に「医療者が心の問題にまで立ち入られる」ととらえられるのではないか,という危惧もあります.また,研究の方法論についても,医学,心理学的アプローチだけでなく,社会学,哲学的な観点も重要と思われ,私の能力を超えているために中途半端なアプローチはかえってマイナスではないかという心配もしています.そのため,今しばらくは,賛同して下さる方,協力して下さる方,逆に,ご批判をもたれる方などから,広く御意見を集めているところです.

私の立場を明確にしなければ意見も出しにくい思われますので,現状でのいわゆる「障害受容」に対する私見を記載します.

1.「機能改善への固執」と「障害受容」は分けるべきである.
  したがって治療側が,「機能改善への固執」からの「断念」ばかりを迫ることは慎むべき.
2.キューブラー・ロスの段階説をそのまま障害に適用した理論は誤りだが,対象喪失の過程としての「悲哀の仕事」についての議論は必要.
3.『障害を前提条件として内包し,障害とともにある自己の価値を肯定して生きることができること』が「障害の受容」ではないか.つまり,<障害とともに生きることへの自己肯定>と考える(私見).障害は個性である,という考えがあるが,同感である.
4.障害受容の経過は,段階的というより行きつ戻りつの連続過程である.
5.キューブラー・ロスの死の受容においても,受容に至るまでには「希望」が必要であるように,障害の受容においても「希望」はもう一つのキーワードであると思われる.

以上,どこにも発表をしていない私見を申し上げました.ご意見,ご批判をお待ち致しております.

                     道免和久(domen@neuro-reha.org)

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