片麻痺上肢のフィードフォワード運動訓練
     (現代医療 特 集:『リハビリテーション医学の進歩と展開』より)道免和久


東京都リハビリテーション病院
リハビリテーション科科学技術振興事業団ERATO・川人学習動態脳プロジェクト
道免 和久
domen@neuro-reha.org
科学技術振興事業団ERATO・川人学習動態脳プロジェクト
大須 理英子
osu@erato.atr.co.jp

1. はじめに
 近年の脳科学の進歩の中で、この15年の間に脳の情報処理の観点から脳の本質にせまる計算論的神経科学Computational Neuroscienceという分野が発達してきた。神経解剖学や神経生理学などが主に脳の機能をそのハードウエアから解明しようとするボトムアップ的アプローチであるのに対し、計算論的神経科学は脳の情報処理を理論的に解明しながら脳の本質にせまるトップダウン的アプローチである。筆者らは、計算論的神経科学の立場から、随意運動制御を理論的に解明してきた(1,2)。そして現在、その臨床応用として、脳卒中による運動障害へのリハビリテーション治療への応用を試みている。

図1 フィードバック運動制御
実際の軌道の情報が逐次フィードバックされ、目標軌道とのずれからそれを修正するように
フィードバック運動指令が計算される。フォードバック時間遅れがなければ、この制御でも速いスムーズな運動も不可能ではない。

2. フィードバック運動制御
 遅い簡単な運動は、体性感覚や視覚のフィードバックによって遂行される。これを、フィードバック運動制御という。すなわち、計画した軌道と実際の軌道のずれを逐次フィードバックしながら、修正を加え、できるだけそられの誤差を小さくするように運動を行う(図1)。ロボットの場合、フィードバック時間遅れはわずかであるから、フィードバック制御でも、ある程度なめらかな速い運動は可能である。しかし、人間では、体性感覚で30〜50msec程度、視覚では100msec以上のフィードバック時間の遅れが生じるため、1秒を切るような速いなめらかな運動に対応することはできない(3)。

3. フィードフォワード運動制御
 フィードバック情報をうまく使えないような比較的速い運動の場合、フィードフォワード制御が必要となる。フィードフォワード制御とは、あらかじめ、目的とする運動に必要な運動指令を脳内で計算しておき、フィードバック情報に頼ることなく運動を遂行する制御である。この運動指令を計算するためには、中枢神経系内に筋骨格系のダイナミクス情報が前もって存在しなければならない。これを『内部モデル』と呼ぶ。内部モデルに相当する情報は種々の研究結果から主に小脳に保持されていると考えられており、内部モデルの情報を利用することにより、軌道に見合った運動指令の計算(逆モデル)や逆に運動指令からの軌道の推定(順モデル)ができる。

川人は、神経回路の理論を応用して以下の随意運動の制御モデルを提案した(3,4,5)(図2)。まず連合野から運動野に目標軌道が送られ、運動野から運動指令が脊髄へ伝えられる。実現した運動の情報は、大脳皮質を介するトランスコーチカルループによって運動野にフィードバックされる。このフィードバック回路でも運動は可能だが、上述の理由で、速い滑らかな運動はできない。そこで、小脳外側部-赤核系は、目標軌道と運動指令をモニターし、運動にみあった運動指令を出力する内部モデル(逆モデル)を学習によって小脳に形成する。学習がすすめば速いスムーズな運動がこの回路を用いて可能になる。目標軌道と実現軌道の間の誤差は、誤差信号(教師信号)として下オリーブ核から小脳に伝達され、小脳の内部モデルの修正が行われる。これをフィードバック誤差学習といい、運動制御と運動学習を統合した理論といえる。

図2 フィードバック誤差学習
フィードフォワードによる運動制御とフィードバック誤差情報による運動学習部分からなる。

運動当初は、フィードバックの回路が重要な役割を果たすが、学習が進むにつれて、
小脳を介したフィードフォワードの回路が主たる制御を行い、誤差信号は徐々に減少する。

つまり、運動中のリアルタイムの軌道修正にフィードバック情報を利用するのではなく、運動自体は内部モデルを利用して制御するが、運動後にフィードバック情報から内部モデルを修正し、次回からより正確な運動を行なえるようにするのである。小脳失調における振戦は、小脳内のフィードフォワード系の神経回路を利用できないために、フィードバック系だけに頼る結果、フィードバック時間の遅れなどから、振動が生じるためであろう。一方、感覚脱失の患者では、小脳が健常であっても、フィードバック誤差学習が成り立たないため、正確な内部モデルが形成されない。その結果、小脳失調に似た運動障害が生じるものと考えられる。

4. 従来の脳卒中片麻痺上肢の運動訓練
錐体路障害を主体とする脳卒中片麻痺患者において、運動障害が軽度であっても、実際に補助手レベルにとどまる患者は少なくない。片麻痺では、利用できる運動神経の減少、痙縮の増大等によって、筋骨格系の内部モデルは発症前と全くことなっているはずである。すなわち、同じ運動指令を出力したとしても、実際の運動は発症前と全くことなったものになっていると考えられる。運動制御理論を考えれば、当然のことながら、変化した内部モデルを再構築しなければ、スムーズな運動はできない。また、感覚入力が減少している分、より多くの学習をくり返さなければ、内部モデルの再構築はできないと考えられる。しかし、著しく変化してしまった内部モデルの再構築という視点で、運動療法がなされることはほとんどない。
多くの場合、ある程度運動障害が軽度の片麻痺上肢の運動訓練には、ペグボードなどの器具を使用した作業が利用され、その運動自体は遅いフィードバック制御が主体である。すなわち、動作のスピードやなめらかさより、逐次フィードバックによる動作の修正と正確さが重視される。その結果、かえって主動筋と拮抗筋の同時収縮が増加し、関節の剛性(スティフネス)が増大することも少なくない。
日常生活動作における課題を達成するためには、このようなフィードバック制御中心の運動療法の必要性は理解できる。しかし、フィードバック制御の運動だけに頼っていては、さらになめらなな運動、速い正確な運動を遂行することは困難である。内部モデルの再構築がなされないからである。

5. 脳卒中片麻痺上肢のフィードフォワード運動訓練
そこで、筆者らはある程度のスピードと正確さが要求されるフィードフォワード運動を片麻痺上肢の運動訓練に利用することを考案した(6,7)。フィードフォワード運動訓練によって、麻痺によって全く変化してしまった筋骨格系の入出力関係、すなわち内部モデルの再構築が可能と考えたからである。方法は以下の通りである(図3)。


図3 フィードフォワード運動訓練の設定

患者は椅子に座り、水平なテーブル上での患側上肢の運動を行う。このとき、手先位置を計測し、コンピュータ画面上に表示するようにし、画面上に別に表示される始点、(課題によっては経由点)、終点を見ながら患者は700msec程度の運動時間の速い運動を行う。運動時間には、ある程度の幅(数10msec)をもたせておき、その許容時間より短すぎても、長すぎても試行は失敗とみなされる。これは、一定の運動時間のもとでのなめらかな運動の学習過程、すなわち、一定の条件下での内部モデルの構築過程を観察するために必要な課題である。したがって、運動時間を測定する研究で多く利用されるできるだけ速い運動を行わせる課題とは本質的に異なる。
運動直後に、運動軌道のデータをもとに、運動の『なめらかさ』をあらわす評価関数(手先直交座標躍度(8)、関節角躍度、トルク変化(9))(これらの関数については、文献(10,11)あるいは付録参照)が、計算され表示される。また、指定時間で運動ができなかった場合や、経由点、終点からはずれた場合などは、患者にその都度、『失敗試行』として、フィードバックされる。そして、いずれの条件をも満たしたときのみ『成功試行』というフィードバックを受けられる。
以上の設定で、運動をくり返したときこの『なめらかさ』指標がどう変化するかによって、運動学習の推移をみた。この方法は、すでに健常人において、運動学習課程を評価する方法として報告している(12)。
対象は、すでに機能的にはプラトーとみなされている発症後6か月以上経過した上肢の麻痺のレベルがBrunnstromstageで5、Stroke Impairment Assessment Setで4程度の患者である。予備的検討の結果、感覚障害がない例では運動が上達するにつれて各評価関数が減少し、なめらかな運動が可能になった。一方、感覚脱失例では訓練効果を認めず、フィードバック誤差学習に必要な神経回路が残存する例では、たとえ、慢性期で機能的回復が困難とみなされる例であっても、『なめらか』な運動を学習によって獲得することが可能であることがわかった(図4)。これは、フィードフォワード運動により、麻痺のために変化した小脳内の内部モデルを再構築できたことによると考えられる。また、症例によっては、訓練によって運動中のスティフネスが減少していることが示唆された。
さらに、数日間にわたって、この訓練を実施した例では、運動学習とともに各評価関数の値が減少し、とくにトルク変化の値に明かな減少傾向を認めた(図5)。すなわち、数日にわたる訓練でも、同様に学習効果があることがわかった。


図4 フィードフォワード運動訓練による『なめらかさ』の関数の変化


図5 4日間にわたるフィードフォワード運動訓練の効果

6. 今後の応用
フィードフォワード制御による運動によって、小脳の内部モデルが正確に形成されていくことは、基礎研究から証明されている。これを片麻痺にも応用したのが、今回紹介した訓練方法である。筆者らは、フィードバック制御を軽視しているわけではなく、訓練においては両面が必要であることを主張している。
また、フィードフォワード制御においても学習が進むためには、運動直後の軌道情報等のフィードバックが必要であるが、どのような情報が学習に効果的であるか、学習した運動が他の運動にも影響するか、効果の持続性、日常生活動作にどのようにつながるか、などについて現在、研究をすすめている。


文  献

1)大須理英子、道免和久、五味裕章、吉岡利福、今水寛、川人光男:運動学習時における筋活性の変化、信学技報、NC96-139、201 - 208、1997

2)大須理英子、道免和久、五味裕章、吉岡利福、今水寛、川人光男、筋電図による運動学習時の腕の硬さの変化の推定、第20回日本神経科学学会、1997

3) 川人光男:脳の運動学習. 日本ロボット学会誌 13:11-19, 1995

4) Kawato M, Furukawa K, & Suzuki R. A hierarchical network model for motor control and learning of voluntary movement. Biol Cybern 57: 169-185, 1987

5) 川人光男:脳の計算理論, 産業図書,東京,1996

6) Domen K, Osu R, Yoshioka T, Kawato M , Decrease in optimal performance indices for trajectory planning during motor learning. 27th Annual Meeting Society for Neuroscience, 1997, New Orleans

7) 道免和久、大須理英子、川人光男、吉田直樹、千野直一、小脳の内部モデルの再構築をめざした片麻痺上肢のフィードフォワード運動訓練の検討. 第36回 日本リハビリテーション医学会学術集会、1999

8) Flash T & Hogan N: The coordination of arm movements: An experimentally confirmed mathematical model. Journal of Neuroscience 5: 1688-1703, 1985

9) Uno Y, Kawato M, Suzuki R: Formation and control of optical trajectory in human multi-joint arm movement - minimim torque-change model. Biological Cybernetics. 61: 89-101, 1989

10) Kawato M: Trajectory formation in arm movements: minimization principles and procedures. In Zelaznik HN (ed.) Advances in Motor Learning and Control. Human Kinetics Publ. Chanpaign Illinois, 1996

11) 大須理英子、宇野洋二、小池康晴、川人光男: 運動軌道データから計算される評価関数による軌道計画規範の検討. 医用電子と生体工学 vol. 34 394-405, 1996

12) Domen K, Rieko Osu, Yoshida N, Kawato M , Evaluation of motor function using optimal performance indices for trajectory planning in hemiparesis patients. 28th Annual Meeting Society For Neuroscience, 1998, Los Angels.


付  録

軌道計画軌範のための評価関数
比較的速い腕の多関節運動は、脳によってフィードフォワード制御されていると考えられている。フィードフォワード制御のためには、脳はあらかじめ軌道計画を行う必要がある。ところが、3次元空間内の狭義の軌道だけでなく、関節角における軌道、筋張力における軌道が無数に存在するため、基準なしに1つの軌道を選択することは不可能である。これは、随意運動における不良設定問題とよばれる。したがって、最適な軌道を選択するためには、脳は何らかの基準を用い、その基準を最適化するように軌道を選択していると考えられている。これまで、軌道計画のための最適化理論に基づく評価関数として、躍度最小、トルク変化最小、運動指令変化最小などの評価関数が提案されている。
躍度最小の評価関数は次式で与えられる。
     
ここでX、Yは外部座標における手先位置、tfは運動時間である。躍度は加速度の微分であるから、躍度が小さいということは加速度の変化が小さいなめらかな運動であることを意味している。最適な運動は、躍度が最小になるようにあらかじめ脳が計画するという立場である。
角躍度最小の評価関数は次式で与えられる。
     
ここでθiはn個の関節のうちi番目の関節の角度を表わす。躍度を関節角レベルにあてはめた関数である。
トルク変化最小の評価関数は次式で与えられる。

     
ここでτiはn個の関節のうちi番目の関節に与えられるトルクを表わす。関節トルクレベルでその変化が最小になるように軌道が計画されるという立場である。
運動指令変化最小の評価関数は次式で与えられる。
     
ここでMiはi番目の運動指令を表わす。運動指令を直接測定することはできないため、Koikeらの表面筋電からローパスフィルタを用いて擬似張力を推定する方法に基づき、各筋毎の運動指令を推定する方法が用いられる。
以上、4つの評価関数はそれぞれ運動制御の異なった理論と結びついているため、歴史的に多くの議論がなされている。今回はこれら4つの関数を評価関数のうち、運動指令変化以外の3つの関数を利用して、実際の運動からその値を算出し、運動の各レベルでの「なめらかさ」の指標として利用した。


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