HOUND DOG TAYLOR and the HOUSEROCKERS

ハウンドドッグテイラー&ハウスロッカーズ

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HDT&ハウスロッカーズのバイオグラフィー

 HDT達のプロフィールについて、いくつかのインタビューや、CDのライナーノーツか ら抜粋。

 HDTは、1917年(1915年って話もあるんですが)、セオドア・ルーズベル ト・テイラーとして、ミシシッピーのナチェスというところで生まれる。20歳の時にギ ターとピアノを弾き始め、ロバート・ロックウッド・ジュニアやサニー・ボーイ・ウィリ アムソンたちと、キングビスケットタイム・フロア・ショーで時々、演奏をしていた。そ して、1942年頃、地元で女性関係のトラブルから夜逃げ同然で、シカゴに行くことに なる。シカゴでは、トラクターでピアノを引っぱって、街に行き演奏していたっていう話 です。
 日曜日にチップ稼ぎの街角での演奏を続けながら、平日は、即席料理のコッ クやテレビのキャビネットを作る仕事をしていたが、その仕事の方で、1957年に失業。 フルタイムのミュージシャンになる。
 HDTは、自分のバンドに一晩、45ドルという、格安のギャラで仕事を取っていた。
「パーティ、結婚式、クラブには"ブルース&ロックンロール"を」と書いたブックカバー マッチに自宅の電話番号を書いて、配っていたらしいです。
  ブリュは、1924年、ミシシッピーのコタイアで生まれて、建設作業員をしながら、 シカゴで演奏活動し始め、1959年から、HDTと一緒にバンドをやることに。
 テッドは、1930年の生まれ。ジャズをやっていたり、エルモのバックをやったりし てたらしいです。そのエルモのバックをやっている時にHDTと出会い、エルモの葬式の 時に再会し、1965年にHDTのバンドに参加。
 1970年、シカゴのフローレンスというクラブあたりで演奏しているところをデル マークに勤めていたブルース・イグノアが見初め、自ら、ハウスロッカーズのレコードを 出すためにレーベルを立ち上げる。それが、アリゲーター。1971年にアリゲーターか ら、ファーストアルバムを発表。
 このHDT&ハウスロッカーズがアルバムを出した頃というのは、ビートルズも解散し た後ですよね。レッド・ツェッペリンあたりが出て来た時代。他のブルース御大は、半ば、 セミ・リタイア状態。白人ロッカーのパトロンでもいるか、1950年代のレア物でも出 していた御大なら、そこそこレコードも出せたんでしょうが、HDTには、後ろ楯なんて なかった。チェスでのレコーディングはお蔵入りしていたし、マイナー・レーベルから何 枚か出していたけど、まったく話題になっていなかった。そんなHDTのレコードを出す ために、レーベルを作ってしまったブルース・イグノアは、いったい、なにを考えていた んでしょう?。そのブルース・イグノアを突き動かした物は、HDT&ハウスロッカーズ のライブにあります。ライブ録音のアルバムは、アリゲーターからも出ていますが、LAST CALL(NEW ROSE)から1枚、WOLFから2枚。マサチューセッツのジョーズプレイスというク ラブで録音されたライブが出ています。これを聞けば、ライブのかっこ良さがわかると思 います。アリゲーターから出ているアルバムは意識的にHDTをメインに据えているよう なんですが、ライブでは、ブリュのリードをフューチャーしたナンバーも数多くあったよ うです。特に、LAST CALL(NEW ROSE)から1枚がお奨めですか。ブリュのリード・ボーカ ルもあります。ジョーズプレイスの録音のプロデューサーのロン・バトルッシという人も HDT&ハウスロッカーズの良き理解者だったようです。ライナーノーツにいろいろとエ ピソードが書かれています。
 ジョーズプレイスでのライブが録音された1972年、アンアーバーのブルース&ジャ ズフエスティバルにも出ています(1971年と1973年にも出てます)。このフェス のライブ盤にもHDT&ハウスロッカーズの曲が1曲入ってます。こういうブルースフェ スティバルなどに出演するこどで、アリゲーターでレコードを出すまで、シカゴ以外の土 地で、全然、知られていなかったHDT&ハウスロッカーズが徐々に知られていくように なり、アリゲーターからの2枚目も出ます。
 しかし、1975年、ブリュがバンドが離れ、HDTは、レフティ・ディズ、レフトハ ンド・フランクと言った、セカンドギタリストとライブを続けてました。そして、9月、 入院。肺癌でした。バンドを離れていたブリュが12月になってHDTを見舞に訪れ、2 日後、HDTは他界。
 1976年にアリゲーターから追悼盤として、ライブ盤が出ました。1982年には、 1枚目と2枚目のスタジオ録音からの未発表の曲を集めた3枚目が出ています。1997 年には、アリゲーター在籍のアーティストのベスト盤のシリーズの一枚として、ベスト盤 が出ています。
 HDTの死後もブリュとテッドは、ハウスロッカーズとしての活動を続けていました。 HDTの未亡人とも親交があったようです。
 その後のハウスロッカーズは、JBハットーやカブ・コーダとのライブの録音をウルフ から出しています。ブリュは1996年にデルマークからソロアルバムを出しましたが、 1999年に他界しました。テッドは、ジミー・ロジャースのバンドでドラムを叩いてま す。


ハウスロッカーズのサウンド

 ハウスロッカーズ以前のHDTの録音やHDTの死後のハウスロッカーズの録音も聞き ましたが、やはり、HDT、ブリュ、テッドの3人の演奏が一番良いです。シカゴのクラ ブでの演奏では、もう一人のギタリストやベースが加わることもあったようですが、HD Tとブリュのコンビネーション、そのバックでバンドのエンジン(タフなディーゼル)と いう感じのテッドのトリオがハウスロッカーズの独特のサウンドを作っていたと思います。
 HDTもブリュも、かなり、歪んだ音を出しています。それも、小奇麗なディストー ションじゃない。HDTの死後、パンクが出て来るんですが、その辺りのバンドにも通ず るガレージ系みたいな音。ギター2人にドラムというバンドの形態もガレージバンドに通 ずるものがあるし。ブルースとパンクが実は一本の線上にあると言うことがわかります。
 ジョン・スペンサー・ブルース・エキスプロージョンあたり、インタビューの中で、ハ ウスロッカーズをバンドのメンバーで、よく聞いていたと発言していたりします。
 ハウスロッカーズは、ビートルズやストーンズが出て来た時代、レッドツェッペリンな どのヘビーメタルの時代を生き抜いて、パンクの手前まで、活動していたタフなブルース バンド。ブルースが過去の遺物ではないことをわからせてくれます。


HDTのギター(参考:ギターマガジン1994年9月号)

 HDTの使用ギターについて、わかっていることをいくつか。

 アリゲーターのファーストのジュケットに写っているギターは、"KAWAI S-180"、
同じく、アリゲーターからのセカンドのジャケットに写っているギターは、"KAWAI SH-40V"。
どちらも、日本の河合楽器が輸出用に作っていたモデルで、アメリカでは、別のブランド 名で売られていたらしいです。HDT自身が、モデル名を知っていたか、どうかは、わか りませんが、日本製の安物だということは、わかっていたようです。そして、そのギター が素晴しいディストーションを鳴らすことを。
 その他、1972年のアンアーバーのフエスティバルのアルバムの内ジャケットには、
"TEISCO SPECTRUM5"を使ってる写真が載っています。

 アンプの方は、アリゲーターのファーストの頃は、シアーズ(カタログ通販?)で売っ ているシルバートーン製のチューブアンプ。その後、アリゲーターのブルース・イグノア が、フェンダーのスーパー・リバーブを買い与えたらしいです。パワーのあるチューブア ンプであることと、トレモロが付いていることが、重要な気がします。特にトレモロは、 なくても、なんとか気にしないかも知れませんが、"SADIE"、"FREDDT'S BLUES"や、ブ リュがリードを取る曲のベースラインにかけたりと、いくつかの曲で、効果的な使い方を しているので、やはり、あった方がいいかなと。

 ちなみに、ブリュのギターは、フェンダーの1954年製、ローズ指版のテレキャス ター。アンプは、フェンダーのコンサート(後期はHDTと同じスーパーリバーブかも) を、一貫して使用しているようです。


参考:ギターマガジン1994年9月号より