リットーミュージック「ギターマガジン1994年9月号」に掲載されたブルース・イグロアのインタビューです。


Interview by Atsushi Yokoyama
Interpretation : Mariko Kawahara
Photo Courtesy : King Rccords

 1970年2月のある日のことだったシカゴのサウス・サイドのフローレンス・ラウンジでハウンド・ドッグ・テイラーの演奏を観たひとりの白人青年がいた。彼の名はブルース・イグロア。ブルースに惹かれてシカゴにやって来てデルマーク・レーベルに勤めていた彼は、ハウスロッカーズの演奏にすっかり魅せられ、やがて彼らのレコードを出すために自らレーベルを設立した。〜70年代以降のブルース・シーンをリードしてきたシカゴのアリゲーター・レーベルのストーリーはこんな風に始まった。

★ここに掲載したのは一昨年の本誌5月号に登場したイグロア・インタビユーの未発表部分です。

◆ハウンド・ドッグ・テイラーの思い出についてお聞きしたいのですが?。
◇彼にはふたつの面があったんだ。ステージでの彼はすごくおかしな男で、面白い話もたくさんしたし、自分のジョークで笑ったりしていた。彼はオーディエンスを愛していたんで、みんなを喜ばせるために2、3時間はノン・ストップで弾いていたよ。ステージから彼を引きずり下ろすのは至難の技だったね。誰かひとりでも聴きたい人がいれば、彼は弾いたんだ。僕が初めて彼のプレイを見たのはサウス・サイドのフローレンス・ラウンジでだったけど、たいてい2時に始めてトイレヘ行く以外は何の休みもとらずに、7時まで弾いていたよ。彼にとって、それは当たり前のことだったんだ。そしてオーディエンスは、今君がいるくらいの近さ(1メートル弱)のところにいてね。みんな踊っていたよ。プライベートでの彼は他の多くのミュージシャン同様、自分にあまり自信がなかった。アル中だったし、夜寝る時も電気やテレビをつけっぱなしにしていた。恐かったからだよ。そして獰猛な犬に襲われる夢を見ていた。自分を愛してくれる人は誰もいないんだと、彼はよく僕に言っていたよ。もちろん僕はそれには同意しかねるけどね。彼の使っていたギターはかなりの安物だった。日本製のギターだったんだ。彼が亡くなったあと、彼の奥さんがその2本ともを僕にくれたんだけど、今は僕の家に置いてあるよ。弦もそのまま換えていない。弾かないで、ただ見ているだけなんだ。彼はイスの足でスライドを作った。それから銅管のようなものを持って来て、それを中に入れたんだ。そうすることによって、指にしっくりとはまったんだよ。彼には指が6本あったから、小指が長がったんだ。6本目の指は動かなかったけど、小指は長くて、薬指と同じくらい大きかった。だから手全体でスライドを支える必要はなくて、1本の指だけで弾けたんだよ。だからすごくいいビブラートが出せたんだ。1Stアルバムでは,ピギーバック(セパレート・タイプ)のシアーズ・ローバック/シルヴァートーン・アンプを使っていて、10インチのランシング・スピーカーが6発付いていた(ジェンセンという説もあり)。そのうちの2発はひどく傷ついていたけどね。その後彼はピギーバックのピーヴィーと、ワンフィフティーンという小さなべース・アンプを使っていた。でも後期はたいていはフェンダー・スーパー・リパープを使っていたな。僕が彼に2、3台買ってやったんだよ。彼はどのアンプを使ってでも素晴らしいディストーションを出すことができたんだ。わかると思うけど、彼のギターの弦高は高かった。親指はそのままで、金属製のフィンガーピックを使っていたと思うな。彼の親指は写真を見てもわかるとおり、ものすごく大きかった(左ぺ一ジ写真参照)。指もすごく長くて手が強かったんだ。彼の弾くキーは限られていて、たいていはEかAだったけど、耳で聴いてチューニングしていたんで、それはかなりアバウトだった。彼はめったに練習はしなかったね。シカゴでは週に6回もプレイしていたから、練習する暇もなかったんだ。バンドは週末にはひとり20ドル稼いでいたし……成功したあとも自分の音楽を変えなかった。性格もまったく変わらなかったよ。いいアパートに引っ越したわけでもなかったし、いい車を買ったわけでもなかった。どこにいようと、以前の彼そのままだったんだ。
◆あの強烈なサウンドはどうやって出していたんでしょう。エフェクターは何も使っていなかったんですか?
◇そうだ,エフェクターはまったく使わなかった。
◆それで、どうして彼のサウンドはあんなに強烈に歪んでいたんでしようか?
◇安物のギターに安物のアンプを使って、すごくラウドに彼が弾くとああなるんだよ。彼の使っていたオープンEにチューニングすると、低音弦をああいう風にサスティンさせることができるんだ。あと、彼はフラット・ワウンド弦を使っていた。なぜか知らないけど、あれが好きだったんだ。少なくとも後期はね。初期の頃は手に入らなかったけど、72年か73年頃から出まわるようになってね。彼はそれを低音弦に使うのが好きだったんだ。というわけで、あの音はすべてアンプだけで出していたんだよ。本当だよ!僕はそこにいたんだからね。知っているんだ。
◆プギー・ボーイ・イクトの推測によると、彼はテレビのキャビネットの組立工をやっていたから、多少の電気知識があったかもしれないので、自分でブースターか何かをアンプの中に付けていたのではないかと言っていたんですけど。そういう形跡はなかったんですか?
◇それはなかったね。確かに彼はテレビ会社に勤めていたことはあったけど、テレビを作っていたのてはなくて、キャビネットを作っていたんだ。音のテレビって大きかっただろう?彼は本製の箱を作っていたんだよ!僕が彼のアンプをほとんど買ってやったんだから、知っているんだ。彼はどのアンプを使ってもあの音が出せたんだ。それが彼にとっては自然だったんだよ。信じてくれよ!シルヴァートーンからフェンダーに替えた時だって、彼は何もしなかった。僕が買ってきたフェンダーに彼はプラグを差し込んで、ただ弾き始めたんだから!ハウンド・ドッグ・テイラーの1stアルパムには「フィリップのテーマ」という曲があるんだけど、ここではバンドのもうひとりのギタリストのプリューワー・フィリップスがリードを弾いているんだよ。フィリップスはいつもはフェンダー・コンサートを使っていて、ハウンド・ドッグはシルヴァートーンを使っていたんだけど、この曲では逆にしたんだ。フェンダー・コンサートの方が低音が効くから、ハウンド・ドッグがベース部分がうまく弾けるようにだよ。あと54年製テレキャスターも、ハウンド・ドッグが使っていたのと同じアンプに通しているんだ。
◆それにしても歪んでいますよね。
◇そうだね!そのとおりだ。彼は歪んだ音が大好きだったんだよ。だから歪んでいて当然なんだけど、レコーディング自体は歪んではいなかった(質が悪くはなかった)。レコーディング状態は良好だったんだ。
◆彼はなぜ日本製のギターを使っていたんでしょう?
◇その1枚目のアルパムの時に使った最初のギターは、僕が彼と会った時にすでに持っていたんだ。それが日本製であることを知っていたのかと彼に聞いたことはなかったけど、それが安いギターだということは知っていたね。気に入っていたよ。彼が選んだんだがら、他に何が言える?他にも、もっと安いギターを持っていたけど、名前は忘れてしまったな。でもこっちの方はあまりディストーションががけられなかったんだ。オーバードライブさせることができながった。それで捨ててしまったんだ。彼はディストーションがかかりやすいギターが好きだったんだな。そうだ、忘れていたけど、彼がレス・ポールJr.を弾いているのを観たことが一度あったな。でも、これもしっかり歪んでいたよ。いい音を出していた。1回だけギグで使った惜り物だったんだけどね。
◆だけど、フェンダーやギブソンをいつも使っていたことはなかったんですね?なぜ他のギターは使わなかったんでしよう?
◇ます第一にディストーションの問題があったし、第二に、覚えておいてほしいんだけど、僕が初めて彼と会った時、彼はとても貧乏だったということだ。金がなかったから安いギターを買ったんだよ。あとアクションが高かったこともあったと思う。スライドが好きだったからね。それから、英語の言い回しで、“壊れても直すな”というのがあるんだけど、彼もあのギターで成功したんだから、変える必要なんかないと思ったんだろうね。