リットーミュージック「ギターマガジン1994年9月号」に掲載されたHDTのインタビューです。


Winter l970〜1971
by jim O'neal and R.T.Cuniff
Reprinted with permission from LIVING BLUES Vol.1 #4
Photo : Peter Amft (c)l994
Translation : Megumi Ikegami
Courtesy:Kiyoshi Nagata from King Records

夜ベッドに横になってるだろ、レコードプレイヤーも何もないのに、頭の中で音楽が鳴り始めるんだ。翌朝起きたら、その曲を実際に演奏してみるのさ。

 ハウンド・ドッグ・テイラーの笑顔は,まるで今この世に生まれたばかりの嬰児のように無垢で新鮮だ。ハウンド・ドッグ・テイラーほど、陽気で躍動感に満ちた音楽を残したブルースマンはいないだろう。ハウンド・ドックテイラーは日本製のビザール・ギターとシルヴァートーンのアンプを好んで用い、魂の焦げるようなスライドをプレイした。2ギター&ドラムからなる、ベースレス編成の彼のバンド、ハウスロッカーズが弾き出すゴキゲンなロッキン・ブギーは、20年以上経った現在聴いてみても力強く猥雑な生命力で僕たちの心をとらえて離さない。というわけで、今月は久々のブルース特集だ。シカゴ・サウス・サイドのゲットーでの過酷な暮らしや、左右の手に6本指があるという身体的なハンディ・キャップにもめげずブギーひと筋に賭けた炎のスライド・ギタリスト、ハウンド・ドッグ・テイラーの魅力を探ってみよう。まずは彼の生前に行なわれた貴童なインタビューからだ。

 グッドタイム・ブルースということで言えば、私はハウンド・ドッグ・テイラーほど陽気にブルースを演奏するミュージシャンを観たことも聴いたこともない。私は何度かシカゴのサウス・サイドにあるフローレンス(ラウンジ)で、爽やかな日曜の午後のようにハウンド・ドッグ・テイラーが笑い、足を踏みならし、ギターでその場に居合わせたすべての人たちを陽気なプギー病に感染させていく様子を眺めた経験がある。“ドッグ”は、いつも楽しそうに笑いながら曲を演奏した。彼の演奏を聴いてまるっきり乗らない客というのは、そうざらにはいなかったのだ。
 また、ハウンド・ドッグにはブリューワー・フィリップスという優秀なサイド・ギタリストがついていた。歯を出し、にやりと笑いながら脚で空を蹴り、素早くしゃがれた感じのリフを発散する。テイラーとフィリップスは時には仲間割れすることもあったが、結局はいつも仲直りするのだった。ハウンド・ドッグ・テイラーとウマの合わないミュージシャンは数多いが、実際フイリップスほどテイラーとうまく調和のとれる人間はいないのだ。彼らの後方には常にガムを噛んでいるドラマーのテッド・ハ一ビーが控えていた。彼は2本のスティックでスネア・ドラムを打ち鳴らし“もう一杯おかわり!”と叫ぴながらドラムを叩く。
 バンドのまわりには大勢の聴衆が群がっている。彼らはハウンド・ドッグのプレイを何百回となくこれまで観ているにもかかわらず、そのプギーやボトルネック・ブルースには今だに驚かされる。皆、立ち上がって踊り、笑い、演奏を観ながら頭を左右に揺らしている。シカゴにいるすべてのブルースマンのうち、常に満員の聴衆を集められるのはハウンド・ドッグ・テイラーだけだ。
 おまけにハウンド・ドッグには、クラブからクラブへと彼を追いかける追っかけのファン、友人、そしてミュージシャンまでいる。恐らくテイラーは他の誰よりも多くのクラブで演奏しているだろう。例をあげるとフローレンス、ザ・ガーフィールド、ザ・エクスプレスウェイ、テレサズ、ペッパーズ、ビッグ・デュークス、ローズ・アンド・ケリーズといった店だ。昨年のメモリアル・デイ(戦没将兵記念日)には、テイラーは“俺はやる”と言った言棄どおりに、午前10時から午後10時までケリーズでぶっ通し演奏した。
 シカゴの小さな居酒屋ではすでに膨大な人気を誇っていたドッグだが、最近はブルース・フェスティバルで新たなファンを獲得した。しかし、ドッグは音楽界における本物の富と名声からは無縁だった。彼はシングル盤をわずか2枚出しているだけなのである。それも、いずれも弱小シカゴ・レーベルだった。マーシャル・チェスにも何曲かレコーディングはしたが、チェスはシカゴを去ってしまい、その後ドッグのもとには彼らからは何の音沙汰もない。
 しかしながら、別のレコードでハウンド・ドッグ・テイラーを聴くことはできる。例えば56年後半、ハウンド・ドッグは自分で「テイラーズ・ブギ」と名づけた乗りのいい、覚えやすい曲を演奏していた。あるパーティーでマジック・サムがドッグがこの曲を演奏しているのを聴き、のちに「ドウ・ザ・キャメル・ウォーク」という名で録音した(編注:『アウト・オブ・バッド・ラック』P-VINE PCD-2194に収録)。また,フレディ・キングもハウンド・ドッグのこのブギーをブルー・フレイム・ラウンジで聴いて、この曲を録音してもよいがと彼に尋ねた。ドッグは“どうぞ”と答えた。“俺は、あの曲でどうにかなろうなんて思ってもいなかったんだ”と、テイラーは説明する。“俺にはうしろ盾が誰もいなかったからな”。そこで、フレディはこの曲を「ハイダウェイ」という曲名で録音した(縮注:本誌4月号のフレディのインタビューを参照)。「テイラーズ・ブギ」は61年のビルボードR&B部門で売上第4位にまで上昇。また、ジミ−・マクラクリン最大のヒット「ザ・ウォーク」(57年)も、どうやらテイラーの曲の盗作のようだ(それともテイラーがマクラクリンを盗作したか)。いずれにしても「キャメル・ウォーク」と「ハイダウェイ」のもと歌はテイラーの作品である。しかし彼はこれらの曲の大ヒットによって、びた一文得ていないのである。
 それにハウンド・ドッグの言棄を借りれば、こんなことは以前にもあったらしい。ルイ・ジョーダンのインストにも自分の名をクレジットするよう要求したことがあるし、また、35年にミシシッピで自分が演奏していた曲………のちにエルモア・ジェイムズが「ダスト・マイ・ブルーム」としてリリースした曲………についてもクレジットを要求している。昨年、エディ・ショウは、テイラーがよくクラプで演奏するナンバー「オールライト」を録音した。テイラーは自分とフィリップスがしょっちゅう演妻する、このいかしたインスト・ナンバーがまたもや盗作されることを見越していた。“そのうちわかるさ。どうせまた誰かがパクるぜ。だからどうだってんだ。俺はそれについて何も言いやしないさ”。
“でもな”彼は笑った。“人生ってのは多かれ少なかれこんなもんさ、そうだろ?”
 以下は、最近、R.T.Cuniff(テイラーのトリオとときどき一緒に演奏するギタリスト)が行なったインタビューでテイラー自身が語った、ハウンド・ドッグ・テイラーのストーリーだ。

ハウンド・ドッグ・テイラー(以下、HDT) 俺の本名は、セオドア・ルーズベルト・テイラー、1915年4月12日ミシシッピ州ナッチェス生まれだ。今でも、現役バリバリだよ。
◆最初にギターを弾いたのは?
HDT 1935年頃、ミシシッピのチューラでだ。まったくの独学だよ。別の人が弾いているのを見ながら、その人の指の位置を見て、自分もそのとおりに指を置いてギターの練習をした。他のミュージシャンを真似して演奏すると、そいつの癖みたいなものが移るが、俺は誰からも教わっていないんだ。
◆影響を受けたミュージシャンは?
HDT そうだな、エルモア・ジェイムス、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII、サム(ライトニング)ホプキンスだな。それからカールスっていう、金曜・土曜に居酒屋で、日曜に教会で演奏していた友達にも、影響を受けたよ。そいつは本当にうまかったぜ。殺されちまったがね。
◆ミシシッピにいた頃、一緒に溝嚢していたミュージシャンは?
HDT サニー・ボーイ(ライス・ミラー)、ロバート・ジュニア・ロックウッドとペックだね。当時の俺たちは本当にストロングで良いバンドだった。俺たちも昔は1日1ドル50セントでキング・ビスケット製粉会社に雇われてたんだ。
◆“ハウンド・ドッグという名前の由来は?
HDT 俺も音は女と遊んでばかりいたからな。女遊びが盛んな奴のことを“ハウンド・ドッグ”っていうだろ?でもずっと“ハウンド・ドッグ”って呼ばれてたわけじゃないんだぜ。“ニラー(Niller)”なんて言われてたこともあるんだ。俺のオフクロがそんな名前をつけたんだけど、なんでだか理由はわからないな。
◆音楽をやるためにシカゴに来たのですか?
HDT いいや。ミシシッピで俺に無実の罪を着せようとする奴がいたんで、シカゴに来たんだ。身に覚えのないことを言いふらしやがって。俺はまさに罪を着せられるところだった。実際、その翌日、大目玉を食らったのさ。その晩、俺は森の中に隠れる羽目になったがね。だが、怖くはなかったぜ。俺はものを怖がったことはないんだ。とにかく、それでシカゴに来ることに決めたんだ。俺の姉がシカゴにいたんでね。俺は家から金をとって来るとシカゴに向かった。それで今日に至っているわけだ。
◆曲はどのようにして作るのですか?
HDT 頭の中で作り上げることがほとんどだね。夜ベッドに横になってるだろ、レコード・プレーヤーも何もないのに、頭の中で音楽が鳴り始めるんだ。翌朝起きたらその曲を実際に演奏してみるのさ。自分が知っている人や物について曲を書く時もあるよ。例えば「クリスティーン」(Firma 626)のようにね。クリスティーンはスタジオの中のすぐそこにいて、俺は彼女に向かって歌ったんだ。俺は感じたそのままを歌ったよ。俺の演奏している曲はほとんど全部、俺が作曲したものなんだ。他人のやっている曲を拝借することもあるけど、それはそいつら自身だってずっと同じことをやってきてるからな。つまり、彼らも他人の曲を拝借してきたってことだ。ブルースなんて大音からあるもんだろ。俺たちは、女、男、金、ギャンブル、泣き笑い、生き死にとかいった同じテーマについてず〜っと歌い続けてきたんだよ。
◆ギターの奏法について何か間かせていただけますか?
HDT 俺のチューニングはオープンEチューニングだ。使ってるスライド・バーはブラス製。ブラスだとあんまり錆びつかないからね。ギターは3本持ってる。フェンダーが1本と、あとの2本は安物だ。俺は安いうちの1本が気に入っててね(Telasco/編注:原注ママ)、こいつはスライドによく合うんだ。アンプは古いフェンダ−・スーパー・リバーブ。自分で聴きたいと思うサウンドを作るよう心がけてるよ。トライさえしてみれば、どんな風にだってできると思うが、俺は自分のやり方が一番気に入ってるんだ。多くの人は俺をエルモアの物真似だと言うが冗談じゃない、大嘘だ。エルモアの曲をやればエルモアに似て聴こえるんだろう。だが、俺には俺自身の曲もあるんだぜ。もし俺とエルモアの立場が逆だったら、エルモアが“音のハウンド・ドッグみたいな音を出すね”なんて言われることになってただろうよ。
◆ソウル・ミュージックについてはどうお考えですか?
HDT あまり好きじゃないね。中には本当にうまい奴らもいるけどな。でも、俺もときどきソウルをやらなきゃならないんだよ。ソウルを聴きたがる客もいるんでね。ソウルを弾いても、ブルースを弾いた時と同じフィーリングは得られないね。
◆白人が演奏するブルースについてはどう思いますか?
HDT いろいろうまい奴もいるようだが,ほとんどは“Oomph”(色気)が足らんね。演奏の仕方とが技術的なことはわかってるんだろうが、ブルースは自分の内面がら出てくるものだからな。肌の色なんて俺には関係ない
よ。もし俺と一緒にプレイしたい奴がいるなら、俺のところに来ればいい。俺はそいつを気に入らんかもしれないが、誰からも愛される奴なんていないからな。
◆黒人の客と白人の著では反応が違いますか?
HDT 違うな。俺のライプは常に黒人の客ばがりだったからな。しかし、最近のブルース・フェスなんかに来るのは白人のキッズばかりだ。奴らはブルースが好きなんだな。なぜだか俺にはわからんがね。
◆フェスティバルに出るのは好きですか?
HDT もちろんだよ。最近は人気も出てきているし、本当にブルースのわかる客に向かって演奏するのは大好きだからね。まるっきり様子がわからない場所で演奏する時は、この俺だって少しは不安になるんだぜ。つまり、外国なんかでやる場合だな。外国人てのは、何だってああ早口なんだろう。何をしゃべってるのかわかりゃしないね。ココ・テイラーと一緒にスウェーデンに行った時なんかは、“驚かないでね、ハウンド・ドッグ”って彼女にアドバイスされたよ。何か別の意味があるのかと思ったんだが、レストランに彼女と一緒に入っていったら、なんと!すべての人の動きが止まったんだよ。ある爺さんなんか、頭をががめてスープをスプーンで口に持っていきかけのまま止まっちゃってよ。俺はそいつに、“遠慮せずに食べなよ。お前のスープを取って喰おうってんじゃないいんだから”って言ってやったんだ。間もなくウェイトレスがやって来たんで、俺はべーコンエッグを頼んだ。ウェイトレスの奴、俺の言うことをまるっきり理解しないんだ。ココは、“この人たちはベーコンエッグなんて食べたことないのよ、きっと’と言うんだ。それで俺はその年とったウェイトレスのケツをつまんでこう言ってやったのさ、“この肉を少しくれよ”ってね。そしたらつまみ出されちまったよ。
◆もう一度ヨーロッパに招待されたら行きたいですが?
HDT もちろん。あっちではいろいろと楽しめるからな。リトル・ウォルターでさえ、ホテルから何度かつまみ出されたことがあるんだぜ。俺たちが皆、同じホテルに泊まっていたある時,ウォルターは掃除婦の女にしゃべりかけようとしてた。もちろん、彼女は奴がなんて言ってるかなんてわかりっこない。それでウォルターは彼女にちょっと好意を示そうとしたんだ。そうしたらその女、まるでホテルが火事になっちまったかのような、凄まじい叫び声をたてたんだ。俺たちもドアがら顔を出して覗いてみたら、支配人がやってきて彼女の背中をさすってたよ。支配人は俺たち全員に出ていけと言ったんだ。ウォルターだけじゃなく、俺たち全員を追い出したんだよ。
◆ブルース・フェスなどのおかげで知名度が増したと思いますか?
HDT そうだな。前よりも仕事の質と量、共に増えた。だが、これから先どうなるかはわからないよ。もう俺も若くはないからな。55歳だよ。これから先は、まったくわからないね。俺のことをうまく扱える人間がいて、俺ももう少しレコードを出したりしていたら、ある程度までは行けたかもしれなかったけどね。これから将来ってえと……さっぱり見当もつかないね。
◆まるで引退なさるかのような言い方ですね。
HDT 冗談だろう!俺は死ぬその日までジヤムを止めないぜ。もうすぐ「オールライト」ってレコードが発売されるんだ。俺の作曲した曲で他の奴らも大勢録音しているがら俺もやろうと思ってね。俺はやめないぜ。俺は音楽を愛しているし、大勢の人たちのために演奏するのが大好きなんだ。
◆演奏だけで生活が成り立っていますか?
HDT いいや、ほとんど無理だね。妻と5人の息子を抱えてるからな。息子は全員学校に通っているし、この世の中には“ただ”のものはないからな。日中は別の仕事をしてるよ。よほど大成功した人間以外は、ミャージシャンは皆俺と同じだよ。それにしても、バンドの他に仕事を持ってると、くたくたに疲れるな。
◆最後に何かおっしゃりたいことがあればどうぞ。
HDT オーケー。ブルースをやりたいなら、どんどんやればいい。ぐずぐずしちゃいけない。もし本当に助けが必要なら、本当に助けが欲しいと思えばそれを得られるはずさ。たとえ両手に1本ずつの指しかなくてもかまわない、なんとかなるものさ。生まれたからには頭を使え。それだけだ。そう、そして楽しむことだな。