行間を読む力

 私はテレビの天気予報を見るのがとても好きです。難しい気圧配置とか、なんとか前線とか、そんなのは全然分かりませんが、世界中のお天気をぼんやりと見ているのが好きです。行ったことのある土地や国、知っている人の住んでいる土地や国のお天気を思いながら見ていると、空想の世界がどこまでも広がって心が満たされます。

 最近はこの天気予報のおじさんやおにいさんたちが、競ってすてきなミニ知識を教えてくれるのでものすごくすてきな番組になりました。

 秋になって葉っぱが色づいてきた頃に教えてもらったのは、「もみじ」と「もみぢ」という二つの言葉でした。赤い色の葉っぱをもみじと言い、黄色い色の葉っぱをもみぢと言っていたのは平安朝のころだというおじさんの話しは、何だかものすごくすてきに感じました。紅葉に表現の区別をつけるなんて、豊かな感性だなあと胸がときめきました。

 私は四十才になったときに、それまで手当たり次第に乱読していた本の整理を始めました。もうそんなにいっぱい本を読めるわけではないのだから、読む本を制限しようと思ったのです。どんな分野の本に限ったかというと、美しい日本語の本でした。奇抜な表現や小難しい言葉ではなく、日本人だけが持っている表現の豊さのようなものに無性に心惹かれました。

 日本人の言葉の文化は、行間にどれだけの言葉を込め、行間からどれだけの言葉を読みとれるかということかも知れません。行間を読む力。それは突き詰めていけば人間のエゴを克服することでもあるに違いない。全てを自分の物差しでしか測れない人間のエゴは、見えないものを見ることも、聞こえない声を聞き取ることも出来ません。

 アメリカで勉強をしている友人がふっとつぶやいた言葉が心に響いています。「日本語っていいね。」それは日本語がいいのではなくて、日本語という文化を産んだ母国への心の回帰なのかも知れません。「もみじ」と「もみち」という言葉が、あなたの心を日本の秋の色で染めてくれるようにと祈っています。

 落ち葉が敷き詰められた道を「浮き道」と言ったのも平安朝の人々でした。またお便りいたします。北海道の浮き道はまもなく雪に覆われます。