第5試合 ×エリック・パーソン(USA修斗) 1R 41秒 腕ひしぎ十字 カーロス・ニュートン(サバイバル柔術)○ フランシスコ・フィリョの顔はとタイガー・ウッズとよく似ている。それをを指して「ストレスのない顔」と呼んだのは角田信朗だった。恵まれた環境で、何の迷いもなく才能を延ばすことの出来た新世代の天才児達。イチローしかり、ベルマーレの中田しかり。昨今、若くして頭角を現してきたプロスポーツ選手はいずれも、”ノンストレス系”の顔をしている。
スポーツのジャンルとしての確立を、原野に道を作る作業にたとえるなら、創世記の先達達の仕事はうっそうと踞立する大木群を切り開き土地を均す作業である。未開地であるがゆえに外界との軋轢も多い。時として流血の抗争を経験したりしながら、道無き道を切り開いて来たわけである。そしてその苦闘を目の当たりにしながら成長した第二世代達は、その競技の基礎を豊かにするために路面を舗装し、車線を拡張しながら、先代の苦闘を引き継いでいく。こうして、安定した交通が保証された後、少年時代からそのスポーツの洗礼を浴て育った第三世代が生まれてくる。めぐまれた環境を空気のように享受し、すくすくと都市生活を満喫する若者たちである。いわばハイウェイの下に眠る多くの人柱の存在も知らず、スポーツカーを疾走させる新世代。彼らには開拓者の苦難も、成長期の苦悩も無い。団体の看板も、競技の社会的認知も彼らには関係ない。周囲の雑音も彼らの耳には聞こえてはこない。スポーツとしてアイデンティティ既に確立されており、教育の方法論や環境も整備されていて何の迷いも無い。天賦の才能がのぞむままに技能を延ばして行けばいいのだから、成長も早い。スポーツ選手としては理想の環境であるといえるだろう。
そこに僕はそこにカーロス・ニュートンの名前を付け加えてもいいと思う。
NHBの世界自体は勃興して数年の若い世界だが、既成の格闘技団体と違って競技自体を集団として維持していこうという意識が薄い。選手は興業の度ごとにショット契約を結んで試合をするだけで、練習場も違えば。団体に対する帰属意識もほとんどない。条件のいいマットがあれば迷うことなく団体を渡り歩いていく。いわば、一匹狼が試合ごとにあつまっているにすぎないのだ。この世界は興業組織が準備したまっさらのハイウエイを、一匹狼達がそれぞれの思惑をもって走っているだけともいえるだろう。帰属意識のない、無邪気な天才が登場する舞台としては極めてふさわしい舞台なのだ。
カーロス・ニュートンはカナダの柔術選手権に優勝した実績を買われてコンテンダーズに抜てき、そこで全米大学レスリング王者でもあったアマチュアレスラー、クリス・バーンズに一本勝ち。今回のVTJ参戦が実にNHBマッチ初体験という選手である。しかし、かれには全くその気負いも緊張感も感じられない。金髪のドレッドへアに褐色の肌、筋肉質の均整がとれた肉体に純白色のパンツが良く映える。にこにこと笑顔を振りまく表情はまったく平静な表情そのもの。下手をすればどんな大怪我を負うかわからないNHBマットの危険性がぴんと来ていないのか、それともものすごい大物なのか?
一方、エリック・パーソンはUSA修斗という団体に所属し、黎明期のこの団体の看板を背負った旧来の愚直な格闘家タイプの男である。修斗ライトへビー級のチャンピオンであるという事実のみならず、まだ柔術の黒船が格闘技界を席巻する以前の、修斗の代表的コンセプトであった「打・投・極」というスタイルにこだわる、実に帰属意識の強いファイトスタイルを身上としている。押し寄せるNHBの波に立ち向かうべく、修斗スタイルでエクストリーム大会に打って出たものの、グラウンドで馬乗りになってパンチを打つスタイルを良しとせず、USWFのポール・ジョーンズと引き分け。引き続いて今年八月のプロ修斗ではホームグラウンドではまさかの敗戦を喫してしまった。ウェットなストーリー好きの日本人にとって感情移入のしやすいタイプだが、冷徹な勝負の場は結果が全てである。第三試合の川口同様、時代の波が彼の存在を押しつぶしつつあるのは悲しいかな事実である。
この両者の対戦は、残酷なほど背景のコントラストが浮かび上がってしまうような展開となった。
ゴング早々、カーロスはタックルを仕掛ける。エリックはベテランの余裕で、受け流しながら相手の出方を見る作戦だったのか、ほとんど抵抗なくテイクダウンされてしまう。カーロスはすばやくマウントを奪取すると、パンチを打つそぶりも見せず腕を取りに行く。
従来のゼネラルスタイルなら問題のない攻撃だが、むしろエリックは驚いたのではあるまいか。
今や修斗もフリースタイルの時代であり、グラウンド打撃は当然の攻撃になっている。ましてやVTの場である。選手の神経はまずポジショニングとパンチ対策に集中してしまう。ましてやエリックはゼネラル時代からの選手である。自分の基礎にない技術には、後から身に付けた分意識的になる。パソコンが職場に導入されて、否応なしに身に付けざるを得なくなった中年社員が、なんでもない計算を汗水たらしてパソコンでやっていたら、新人の暗算に先回りされたようなものである。所詮、マウントパンチも相手を倒す為の技術なのだから、どうしてもやらねばならない訳ではないのだ。腕が取れそうならそれを素直に取る。時代に取り残されまいとするオトーサンが堕ちる罠に、エリックも嵌まってしまったといっていいだろう。
あわててロックしながら、上体を起こして追いかけるエリック。ゴッチスタイルというか、サブミッションの”極めっこ”を争う選手は、U系の選手やサンボの選手にも共通する技術なのだが、とにかく相手が仕掛けに入ったら、逆らわずに押し込んで極められないようにポイントを外すのが基本である。サブミッションは”てこ”の技術の応用だから、支点と力点が固定してしまったら、嫌でも”作用”してしまう。したがってキャッチされた選手は”ずらす””透かす””はずす”といった形で、相手の掛けた力が”作用”しない方向に「動き回る」。要は社交ダンスのように、相手が押せば引き、引けば押すような流れるような動きこそが最大の防御なのである。そして攻めもまた、相手が「動くこと」を前提にした技術なのである。ところが近年、柔術の躍進によって、まず相手を動けなく固定してしまうこと=ポジショニングが注目を浴びるようになると、サブミッションレスラー達の技術はその前に沈黙を余儀なくされるようになってしまった。「動く敵」を前提にして特化しすぎた技術は、「動けなくする技術」ポジショニングによって多くの部分を無化されてしまったのである。
しかし、カーロスの仕掛けは、股でエリックの右肩をがっしりと挟み込んで離さない形になっていた。上体を起こして、腕ひしぎの形から逃げようとしたエリックだが、カーロスはひっくリ返されながら、股の締めつけを緩めない。いわば「極まった」形のまま、自分の尻を支点に一回転しただけで、極めの体勢は全く崩れていない。いわば上下が裏返っただけだったのである。起き上がってカーロスの上に乗った所までは逃げられても、そこから先は自分の体がつっかえ棒になって、カーロスの力を逃がすことが出来ない。固定されたエリックの体を軸に、カーロスの「力」が「作用」する。
エリックに出来るのはギブアップだけであった。
しかし、そこからのカーロスの反応が良かった。エリックの体の下からひょこっと顔を上げると、何があったんだと言うようないぶかしげな表情を浮かべ、目でレフェリーに勝利を確認するとにかっと笑み崩れたのだ。その表情がまた良かった。まさに無邪気。まさにノーストレスの男。
果たしてカーロス・ニュートンは、総合格闘技の世界のタイガー・ウッズになれるだろうか?
(無頼庵)
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