第4試合

巽宇宙(K'z FACTORY) vs ジョアン・ホーキ(ルイス・ペデーネイラス柔術)

  昔、U2のボーノが来日したときに、京都観光をしたときに修学旅行の高校生が着ていた学生服を見て「おお、ストイックで、ファッショナブルだ」と感動したというのは、往年のロックファンの間では有名な話である。外人というのは往々にして、こうしたトンでもない角度から、日本人の常識を踏みにじってくれるものである。ボーノはさっそく一着購入して、その後の移動にずっと学生服を愛用していたらしい。(ステージでも着たのかも知れないが、さすがに記憶が無い)その写真をロッキンオンのグラビアで見たときには、僕も大爆笑してしまったものである。なにしろ、ヒゲ面にミラーのサングラス、そのうえ学生帽を逆さまに被って、前ボタンは全開放して、その下にはサイケな柄シャツを着ているのだ。気の狂った牧師か、タランティーのまがいの日本映画マニアが末期の日活アクションの不良映画モノでもまねして遊んでいるような感じであった。

 だが、これがジョアン・ホーキだったらどうだろう?

 絶対、似あう。これは断言してもいい。

 中学生の修学旅行に混じっていても何の違和感も無いだろうし、渋谷あたりでうろうろしたていたら、チーマー君(まだいるのか?)が有無を言わせずに活動資金を提供しろと言ってくるにちがいない。(その後のチーマー君の安否は保証の限りではないが・・・)なにしろ写真を見ていただければわかるとおり、丸坊主の頭に愛くるしいドングリ目、身長も165センチと小柄で、そのうえ肉付きもどこかの水泳部所属の中学生といった感じで、およそ”格闘家”のイメージからは程遠い。入場してきた彼を見るなり、ナインティナインの岡村そっくりだと思ったのは僕だけではあるまい。

 ホーキには大阪でも学生服を着ないように忠告しておきたい。大阪の人間は、特に不良でなくてもテレビタレントに絡みに行く一般人が多い。

「なんやー岡村、またどんべえ学園か? 何顔黒ぉ塗とんねん?カメラどこや、カメラ?」

 といいながら、すぐ肩を組んでピースサインである。

 日本語(大阪人の行動様式?)を理解しない彼なら、5分に一度はセルフディフェンスの技術を無料公開しなければならない羽目になるだろう。

 しかし、このブラック”岡村”が単なるとっチャン坊やなんかではなく、恐るべき使い手であることは、試合が始まるとすぐに判明する。何しろホーキは柔術の世界ではホイラー・グレイシーのクラスでナンバー2に属する選手なのである。(と真後ろの解説席で中井祐樹氏が言っていたのだからまちがいない(^_^;))

 開始早々ホーキのタックルをきれいに切って潰し、一瞬だがマウントまで持ち込んでしまったのだ。腰をはね上げて崩しに来るホーキ。横四方から上四方と、先手を打ってリードする巽。

 

 

 しかし、ホーキの冷静さは際立っている。

 猪木VSアリの猪木状態になっても、周りを動き回る隙を伺う巽にきっちり足の照準をあわせて蜘蛛のように動き回り、付け込む余地を与えない。奇襲を狙ってダイビングを敢行した巽を、きれいに迎撃して蹴り返して、上に乗らせない。素早く立ち上がると、低い姿勢になっていた巽にハイキックまで放つ。これが当たらずスリップダウンしたかと思うと、今度は寝そべったままの状態から、”アリキック”で巽にプレッシャーを掛けていくのだ。膝から先のちょんとした蹴りではなく、結構腰の入った蹴りである。この体勢は基本的に”アリ”側の出方待ちというか、ディフェンシブな体勢であると思っていただけに、意表をつかれた。とにかく対応が速く、次の手が縦横無尽に繰りだされる。さすがはブラジリアン柔術の高段者である。

 2Rに入ると攻勢が逆転し始めた感じで、ついにホーキのタックルが巽を捉える。一旦は腰で押さえて潰したかに見えたのだが、膝でいざって前進し強引にバランスを崩し、掬い上げてテイクダウン。巽は足がらみに捉えてハーフガードに入るのだが、足を抜いて上四方に回るホーキの方が速い。

 巽の防御も確実ではある。ホーキが脇を差しに横へ回ってきた所で、胴をさば折り状に捉えてくぎ付けにし、足を組んで高くピラミッド状にして壁を作る。ピラミッドの頂点になっている膝は、上にいるホーキのわき腹を押さえ込んで、マウントをゆるさない。よくパンクラスなどでは横四方から、無策にニー・イン・ザ・ベリーに行かれてしまう選手を見るが、この部分での対処が足りないからむざむざボディに膝を立てられるような圧倒的に不利な姿勢になるのである。その点、巽の防御はその一手先に対応している。

 しかし、VT(STもだが)の怖さは、ここで好きに打撃が打てることにある。下になってしまう事自体が”圧倒的に”ピンチなのだ。ガードにしろ、足ピラミッドにしろ、”絶対的に”不利なマウントを防いでいるだけの「次善の策」でしかない。いわば篭城して兵粮攻めを食らっているようなもので、この姿勢にいるかぎり敵が外堀を埋めてくるのを指をくわえて見ているしかないからだ。海外のヴァーリトゥーダーは、下からの攻めを忘れない。体力がそうさせるのかも知れないが、下からの打撃にも攻めの感覚があり、容易に防御一辺倒にならない。サッカーで言うところの、ゾーンプレスのようなものだ。攻めの姿勢で防御のラインを敵陣に押し込んで行くことで、敵に安易な攻めを許さない事が、実は最大の防御となるのである。攻防ではなく、常に攻撃の姿勢であること。これが必要なのだ。

 巽の意識はここで、ホーキにマウントさせない事に集中していた。ガードラインを下げて、がっちり守りに入ってしまったわけだ。判定のある修斗なら、それもひとつの作戦である。ポイント制の明快なU系のルールなら、もっと有効かもしれない。しかし、VTは試合開始からずっとサドンデスなのである。一点を守りきるようなディフェンシブな意識では勝てない。

 

 ホーキはどんどんゴールにボールを蹴り込んでくる。まず、差した右手を抜くと、ピラミッドにしていた巽の膝を抱え込んで半身に起こし、無防備な脇にがんがん膝をぶち込んでいく。巽の胴クラッチを切ると、上四方からアームロックを狙ってくる。取れないとなると、また横四方はチェンジ。この隙に立ち上がろうとした巽の動きを読んでいたのか、あるいはそれ自体”撒き餌”だったのか、すかさず顔面にキックを放つ。やることなすこと、全てがそつなく攻撃に結びついてくるのだ。再びホーキのタックルが決まり、ガードの上からパンチを打っているところでゴング。巽にすれば、電激イライラ棒を8分間延々やりつづけているようなもので、神経の休まる暇もなかった事だろう。

 3R。ホーキの攻めは続く。再び掬い上げのテイクダウンからサイドへ、膝をすくって半身にしながら、ひっくりかえそうとしたりもする。芸が細かい。下から抱きつく巽の防御を逆手に取って、肩固めに入り、レフェリーにチェックを要求するホーキ。入れられないと見るや、エビで巽をリング中央に運ぶ余裕を見せる。まるでむずかる子供をあやし付けるようにパンチの雨を降らせるホーキ。

 腰を浮かせてなんとかガードに捉える巽。

 しかし、ホーキは逆にパンチを打ちやすくなったとばかりにがんがん上からのパンチを撃ち込んでいく。抱きついて密着しようとする巽を、抱えあげてその場飛びパワーボムで何発もマットに叩き付ける。たまらず巽がクラッチを離すと、上半身を押しはなして腰をあげるホーキ。パンチの距離になってしまっているから、いいパンチが入る。頭を抱いてガードするしかない巽。流れるような追い込みである。

 

 ここでゴング。

 立ち上がって勝ち誇るホーキ、頭をかかえたままうずくまってしまう巽。

 判定こそ無かったものの、この対象得的な両者を見ればおのずとゲームを征したのはどちらかは明白であった。うずくまった巽は、泣きながら消え入るような声で「ごめんなさい、ごめんなさい」とうめいているではないか。何故の謝罪か、誰に対する懺悔なのか。

 

 マットに頭をなすりつけて泣きじゃくる巽は、健闘を讚えようとするホーキが抱き起こそうとしてもなかなか起きようとはしなかった。

 違和感が残る。

 巽といえば、頭をスキンヘッドに剃りあげたその容貌や、宇宙という奇妙な名前、そして東大生といういくつかのちぐはぐなファクターが相まって、勝手に色物というかユーモラスなイメージが独り歩きしている。しかし、彼の言動や表情にはそういう要素とはまるで正反対の、苛立ちや性急さが垣間見えることが多い。過剰に求道的であったり、人の思惑までどんどん背負ってしまう性急さが感じられるのだ。例えば、先日の後楽園大会で秋本じん選手のセコンドについた時も、巽選手は相手選手の腕をキャッチした秋元選手に「折っちゃえ! いいから折っちゃえよ!」と叫んでいた。あの声をを聞いた時の違和感は、この日の号泣にも共通する感覚であった。この選手の勝負に対する感覚は、他の人間と次元が違う。確かに、関節技を使って戦う場合、一気に極めなければ隙が生じてカウンターを食らったり、逃げられたりする場合が多い。だから、キャッチしたらもうその先は「折る(つもり)」で行かなければならない。しかし、それと、本当に「折って」しまうのとは全く意味が異なる。同じ大会で、佐藤ルミナはアラン・フリード腕を折ってしまったことをしきりに気にしていた。

 修斗もVTもどこまで行っても、最後はスポーツの範疇で収まる性格のものである。勝負に敗れたとしても、人格を問われたり生死を賭けたりするものではない。勝つためには「死ぬ気」で戦うべきではあっても、「死んで」はならないのだ。紙一重ではあるが、明らかに違う。それが何であるのか、僕には気になる。

確かに今回のVTJは修斗オールスターズVS海外選抜という構図があった。いわば団体対抗戦である。しかし選手は持てる力を発揮すればそれでいいのではないのか? 

 無論プロスポーツの選手である以上、応援してくれる観客や仲間の期待を意気に感じて頑張るのはいい。己を捨てて大儀に殉ずるという考え方も、格闘技選手には必要な部分ではある。しかし、勝てない自分を自から罰するような感覚は、決して褒められたモノではない。ある意味で、背負いきれないような重荷を自ら望んでいるような、マゾヒスティックなヒロイズムを感じる。責任をわが身にせおいすぎた苦しみと切迫感が、いずれ彼を殺してしまうような気がしてならない。泣き崩れた巽宇宙には、東京オリンピックでの円谷句幸吉幸吉選手を連想させる暗い影があったからだ。

(無頼庵)

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