Svalbard Museum at Longyearbyen

[Causion]Museum は '05 Dec. に UNIS に移転、新装開店しました。
本頁の 説明は、すべて、旧建物でのものです。
最新の museum 公式ページ
[Front view of the museum] (Museum の正面から, 大きい写真は 15kbytes )
この museum の建物は元は豚小屋だったそうです。
左側に展示されているのは、坑内列車の実物 (大きい写真は 21kbytes )

館内の大雑把な配置図

A : 脱靴所。昔の石炭採掘権を示す数々の札, ソファなども

入口をそぉっと開けて中にはいると、靴を脱いで、スリッパに履き替える場所になっていました。それにしても、床や壁に使われている木材の立派なこと。
入って左側のショーケースには、石炭採掘権を主張する札のいろいろ。
右側にはソファ。

B : カウンタ, 入場料徴収

カウンタにおねえさんがいて、入場料 NOK 30 払います。
Dec., '03 に訪問した時はおばさんがラジオを聴きながら番をしていました。

C : 本を並べた棚

Svalbard 関連の書籍が並べられていました。Norwegian は棚の半分くらいを占める充実ぶりでしたが、他国語の本は少なかったです。英語のものが 1列分、Swedish, 伊, 仏, 独語のものが各 1/2 列あるだけでした。 ('99 当時には、英語のものは 3列くらいあったのに)。
どの本にも NOK の他、USD でも定価が表示されていていました。暗算するに、1 USD = 7 NOK 程度の換算率のようでした。
あおやまも最後にここで本を買いました。

4 : 絵葉書, 地図, guestbook

2F への階段の下には木製の丸い机と椅子があって、くつろげるようになっていました。机の上には guestbook が置いてありました。
絵葉書, 地図がこの区画に並べられていました。

5 : 鯨の髭, 石, 靴, 銛, 帽子, …

標題のものが展示されていた、という記憶しかありません。
あおやまは理科系のくせにこの手のものには興味がないようです。

6 : 鳥などの標本, 剥製

海や岩の模型に、Svalbard で生息している鳥, 動物の剥製 が並べられていました。

7 : Svalbard で採れた鉱物標本

Svalbard で最古の mineral として、Spitsbergen 北西で見つかった 32億年前の Zr が展示されていました (地球が誕生してから 45億年だったような気が…)。
さらに説明がありました。
「Svalbard は赤道から北に動いてきた」

8 : 昔の住居, 漁業道具

丸太組に低い戸、ベッドの上に毛皮、漁業道具, スキー。

9 : 石炭坑の利権を主張する札

「Mining boom at the turn of the century」
[Plate for a claim of a mining right]石炭採掘権を示す札 (大きい写真は 18kbytes )
[Plate for a claim of a mining right]石炭採掘権を示す粗末な標識 (柱等), (大きい写真は 13kbytes )
柱の周囲に、当時使われた、石炭資源の利権を主張する札がたくさん貼ってありました。
割合ずっしりした鉄板に会社名が刻まれたもの、白ペンキを塗った木の板にテンプレート越しに会社名の黒ペンキを吹き付けたもの、錆びた鉄柱に小さな会社の金属板が挟み込まれているもの、木の杭に会社銘の金属板を貼り付けたもの…
展示説明によると、扉に掛けた帽子さえ権利の主張として認められた、そうです。

10 : WWII の資料, 写真

[Photographs in 1941 (evacuation)]1941 年の Longyearbyen からの脱出当時を示す写真, (大きい写真は 21kbytes )
WWII の様子を写真と用いられた器具の実物で展示
写真内容には興味があるのですが、説明がどれも Norwegian のみなので、意味がしっかりとは把握できないものが多かったのは残念です。
当時の日記なのか、筆記体で書かれたものに至っては、判読さえ出来ませんでした。
'41 Sept. の住民の Scotland への脱出, '42 May の Norway による再占領, '43 Sept. の独海軍による艦砲射撃等。
銃, 電話機, 六分儀等も展示されていました。

11. Mine 1A 〜 7 の歴史

Longyearbyen の1A 〜 7 の各炭坑の歴史を短く展示。採炭開始, 中断, 終了年等と関連写真。
階段を上がったところには、これとは別に石炭を一杯入れたプラスチックケースが置いてあって、その正面には「Store Norske Spitsbergen kulkompani A/S 1916 - 1991」の文字と共に北極熊が 2匹描かれた logo が入っていました。(1916 は SNSK A/S が出来た年ですが、1991 に意味は?)

12 : 坑内の様子の展示, 体験コーナー

[Rack with equipments for miner] (棚に収められている、坑夫用の種々の道具。ヘルメット, 安全灯 他。大きい写真は 21kbytes )
木の棚に坑夫の備品が収納されています。
Green Helmet, white helmet, 黄色い箱は self rescue box。横には作業着が掛けてあります。床の上には靴, グローブ, 安全灯, 蓄電池。
これらを実際に身に着けて、床の白矢印に沿って進むと、狭い空間をあちら側に匍匐前進して抜けられるようになっていて、炭鉱内の窮屈さを実感できる仕組みになっていました。私は午前中に坑内に入ったばかりでしたから、もう試してみることはしませんでしたが。
写真ではよく分かりませんが、この位置の天井には炭坑の天井を実際に支えているルーフボルトが貼ってあり、「HENGBOLTING」と注が入っていました。

13 : 坑道を模した中央通路

[Passage in 2F] (坑道を支えている様々な形, 大きい写真は 25kbytes )
[Frames in the tunnel with the various materials] (切羽を支えている木組, 角材が組み合わせの部分で歪んでいるのは地圧を表そうとしたものと思われる) 大きい写真は 14kbytes )
通路 (坑道) の作りは手前と奥とで構造が変えてあります。
手前は重要度が高い箇所の様子で、鉄柱と穴の開いた鉄帯 (ルーフボルト), 木の梁で天井を支えているのに対し、奥の方は汎用の部分で使われているような、切り出したままの丸太 の柱と梁です。(実際の坑道も地盤や維持期間の長短、施工費によって最適の構造が選択されています)
妹尾河童さんの部屋の見取り図をよく楽しんで拝見していますが、あれは天井には一番情報が少ないからという理由で、天井を外した形で描かれているのに対し、ここ坑道では、天井に最も重要な構造が集中しています。
床は、さすがに坑内とは違って、歩きやすい普通のものです。
床の脇に置かれてるドリルは採掘現場で使われていたものです。
その採掘現場の様子が左壁中央に実物大の模型として展示されています。

14 : 採掘現場の実物大模型

[Model of the pit-face with those of miners] (切羽での採掘作業の様子の実物大模型, 大きい写真は 14kbytes )
一人は小さく丸まった態勢で天井のカッペを支える摩擦鉄柱に楔を打ち込みつつあり、もう一人はやや仰向けでドリルで穴を開けています。
石が散らばる床にはハンマー, ドリル, 段ボール箱が散乱しています。狭い現場と苦しい姿勢がよく分かります。私自身、さっき Gruve 3 で見てきたばかり。往時の切り羽の様子はまさしくこのようなものだったのでしょう。
写真ではよく分かりませんが、左側では、角材を井桁に組んだ木積でごく狭い天井を支えています。木が押し潰されて変形している様子は地圧を再現したものと思われました。

15 : 昔の生活

Haugen, Nybyen 等昔の居住地の様子を示す写真や模型が展示されていました。
手前には古い snow mobile が展示されていて、犬橇生活から脱した当時の喜びが想像されます。奥の Norway 郵便のマークが見えている区画には郵便局に人が多数集まっている様子、荷物の集配をしている様子の写真がありました。皆、内地からの郵便を待ちこがれているようでした。電鍵を叩く方式の電信機、加入者毎の穴にケーブルの先のプラグを挿す方式の電話交換機も展示されていて、まさに、「博物館」でした。
BRAKKA (バラック) も建てられていて、そこにも写真が展示されていました。アコーディオンを弾く人、草地でギターを弾く人、焚き火の回りに集まる人々、短い夏を満喫しようとしているようでした。
これに対し、事故で亡くなった坑夫の葬式でしょうか、一面の雪の中を国旗に包まれた柩と、それを載せた橇を牽く馬、その後に続く人々の列、を写したものもありました。

16 : 昔のクーポン (石炭会社の代用通貨)

[Commissary Note 1] (1978 年発行の 5 〜 1000 NOK 札), (大きい写真は 19kbytes )
[Commissary Note 2] (1946 年発行の 50 ッre 札), (大きい写真は 16kbytes )
Svalbard へ行って是非見たいものがある、などというのは変ですが、そんなもののうちのひとつがこれ。現地の石炭会社が発行している独自のお札 (commissary note)。
Svalbard では、Norway 領になった後も本国の通貨の流通は行われず、引き続き石炭会社によるお札の発行が続けられました。
SNSK は 1916年からお札の発行を開始。簡素なデザイン、印刷のものでした。当初その有効期限はすべて 1年間とされ、毎年更新されていましたが、57年以降は何年も通用するようになりました。75年に空港が開港したため、Norway 政府は 80年より Svalbard でも本国通貨の流通を開始し、SNSK の通貨発行は停止されたそうです。
(独自通貨はソ連の石炭公社でも発行されました)
その SNSK のお札がガラスケースの中に、石炭, 古いレジスタと共に無造作に置かれていました。
ただし、説明の類は全然なくて、予備知識がないとなんだか分からないに違いありません。
展示されていたのは、78年発行の1000, 500, 100, 10, 5 NOK 札と、46 / 47 年発行の 50ソre 札でした。50ソre 札はセロハンテープでの修復 (つぎ貼り) 箇所が多く、右下隅が焼け焦げていましたが、よくぞ今日まで残った、というべきなのでしょう。
78年発行のお札に書かれている文字を丹念に写し取ってきたのですが、 Norwegian は難しくて、意味の通る日本語にはなりませんでした。
お札の文字の解析の試み
このお札を、お土産で売っているようなら、SNSK のものでも、ソ連のものでも入手して帰ろう、との魂胆でしたが、ここでこんな形で展示されているようでは、簡単に入手できるはずがなさそうでした。
帰国後、さらに調べてみたら、石炭会社のお札はオークションで取引されていることが判明。なるほど。

17 : 採掘現場の様子

[Photograph in the model of the stay room] (往年の待合室の模型の横に掲げられていた写真), (大きい写真は 23kbytes )
往時の控室らしき小部屋の中には入ることが出来ました。机上には煙草盆多数、林立する (といっても 3本だけですが) 飲み物の瓶、手擦れして表紙のまくれ上がったノート、正面にはダイヤル式の大きな壁掛電話機。
壁には、当時の控室の様子を写した写真が掲示されていました。もっと粗末な木の机に、乱雑に置かれた椅子。4人の作業員が煙草を吸い、お茶を飲んでくつろいでいます。お、若いのは green helmetter ですね。この壁には女性のポスターが 14枚貼ってありますが、一人としてパンツをはいているのはありません。
その奥の柱には、各工程の様子のスライド写真がぐるりと貼り出されていました。

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Last Modified : 18th July, 2011