炭鉱内に入った後に、「町へ戻って坑夫達の食堂へ入つてみた」(p.109, l. 1)。昭和初年頃の東大の学生第一食堂に面影がよく似ている、と書かれている。東大食堂のコーヒーは「雑布水を沸かしたやうなの」だったそうだが、ここの坑夫食堂のは、「ちゃんと味も香もあるコーヒーを持つて來て呉れた」そうだ。
それはとにかく、「給仕の若い娘さん達」は飯塚の観察に依れば、「健やかな、スカンヂナヴィア的な、正にこれツォルン描く所の女性である」(p. 109, l. 3)。
また、坑夫食堂の男の話として、「此の食堂に働いてゐる娘達は孤兒院から連れて來たのだ。」(p. 110, l. 1)。
General Information "Longyearbyen" によれば、「'29 には女性 4人が mess-hall attendants として雇われ、わずか後に12人増えた」ことになっています。
当時、Longyearbyen 在住の女性は冬季に交通途絶する前に妊娠検査を受けなくてはならず、その検査を拒否したり、陽性であったりしたら、本土へ強制送還された由。