Pomor Museum
English short version
(Barentsburg の博物館)
角を曲がってすぐに museum があって、ここは館内を見学することになりました。
入口や傍らの看板に「POMOR MUSEUM」(またはそのロシア文字) と書かれています。「POMOR」は「(白)海のそばに住む人々」の意。傍らのロシア語の看板の方にはドリルや槌を構え、石炭を掲げる労働者、原子力マークをかざす女性の絵。その横の向日葵の置物 (プラスチック製) が印象的です。
【注】2001年には、この看板は新しいものと取り替えられてしまったようです。
ここでも入口のホールで靴を脱ぎ、館内の概要の説明を受けます。
靴を脱いで廊下に上がってところに女性が desk を構えていたのは、入場料の徴収です。
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入場券の表 | 同 裏 |
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見学終了後に買えたパンフレット表 | 同 裏 |
- 「9178」は Barentsburg を示す Norway 郵便の postal code です。
- 「Trust Arktikugol」はロシアの石炭会社の名前です。この博物館の運営にも当然参加しているのでしょう。
- 手書きの「936」は入場券の通し番号? (待てょ、この入場券はどうやって作ったんだ? コピー機くらいこの街にもあるんでしょうね)
- 裏には「РУДНИК БАРЕНЦБУРГ (鉱山 Barentsburg)」という紫色のはんこが捺されていました
広くてがらんとした陽当たりの良い部屋が cloak room にになっていて、各自コートをハンガーに掛けて、階段を登っていきます。
2階は 7部屋に別れていて、各部屋毎にテーマが決まっていました。
1. Nature
立ち上がった小型の北極熊の剥製が私たちを迎えてくれます。トナカイ、狐、岩の模型に並べられたいろいろな鳥の剥製。海草類の標本等もありました。
剥製上部の照明が消えています。また、ここには示しませんが、博物館入館前後に建物を外から写した写真を比較すると、入館前は全部の部屋の明かりが消えているのに対し、入館後は明かりが点いたままのところがあったことから、客があるときだけ、照明を点けると思われます。節約精神からすればこれでいいと思いますが、西欧諸国の博物館ならこんなことはしませんよね。この街で石炭を採掘し、発電所を動かしているのだから、電力不足とは考えにくいのですが。
2. Geology
テント、炊事道具、長靴は昔の探検の時に使われたものらしい。周囲の棚には、前カンブリア代の石等の鉱物の標本、発掘物が展示されていました。
3. XVI - XVIII B. B. Spitsbergen
発掘された釣針、銛、土器、木片、斧、櫛、縄。
中央に Svalbard 諸島の地図、周囲の壁にも発掘物が陳列されていましたが、説明がロシア語のみで、よくわかりませんでした。私以外のお客さんも皆興味が湧かない様子と見受けられました。
4. Barents expedition
5. Scientific exploration of Spitsbergen
立派な額にはロシア人極地探検家 V. A. Rusabov の写真と探検成果。
6. Barentsburg yesterday and today
この部屋は一番広くて、豊富な写真、パネル、資料 (模型, 勲章, 海老や蟹…) が展示されていました。
部屋の壁のパネル
- Barentsburg 1920 - 41年
海と船に関する写真が多く、氷に閉ざされた船の写真も見えます。露語解読は未着手。
- 戦争の時代
(パネルの露語の試訳)
艦砲射撃を受けて石炭倉庫からもうもうと上がる黒煙、海を睨む砲身、ノルウェー守備隊の写真。
- 復興 1946-50年
下部に赤旗を掲げた建物の模型があったほか、右上は当時珍しかったのではないかと思われるカラー写真ですが、私が撮った写真はぶれていて、判読困難。
- Barentsburg 1950 - 90年
(パネルの露語の試訳)
特に 70年代に出来た 住宅、産業設備、水道、スポーツクラブの説明が多かったようです。
- 科学的研究
何かの調査の写真が多いのですが、露語解読作業は未着手で、意味は不明のまま。
展示物品
- これは誰か有名人が訪問したときの報道を集めたもののようです。
パネルに写真が貼ってあるのは、今見ても何のことか分かりません。
右の写真は偉い人か有名人かが炭坑を見物した様子でしょう。左の写真は、珍しくもカラー写真のパネルと、同じくカラー写真入りの雑誌記事 (題が「Spasiba Barentsburg」とどちらの単語も英語表記, 相当黄ばんでいる) です。
下はお人形と、鴎の置物と、ジェット機の模型。
- Presents to Barentsburg
Norway とソ連との間の友好関係を示すためのものでしょうか。船の写真、パネル、絵皿、六分儀と船関係が多い。奥に「USSR NORGE」と書かれたペナント。
- これが優秀な元坑夫の持ち物だったと思われます
勲章やメダルが中央部のショーケースに多数収められていました。
後にお土産屋さんで買ったパンフレットに
- 興味を惹くものは、1911 年に出来た "Spitsbergen Radio" の写真、1930 年代、WWII の Barentsburg の写真
- 注目に値するのは優秀な元坑夫の持ち物、ロシア最後の蒸気船 "Kommunar" の舵と航海道具
- 高名なバレリーナ Maya Plisetskaya (彼女は幼少期を Spitsbergen で過ごした) の写真
と書かれていたのに、この中ではっきり記憶にあるものは 1930年代、WWII の写真程度なのは遺憾の極みです。坑夫の持ち物やバレリーナの写真も、あれだったのかなー、と思い出せる程度。
Maya Plisetskaya は相当有名なバレリーナのようで (2006年 に 第18回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞されました)、例えば、「白鳥の湖」で現在一般的になっている「垂らした手首、白鳥の肘、反り返った頭、後ろに投げ出した胴体、不動のポーズ」を初めて試みた人だったようです。あおやまはバレエに興味がないので、よく分かりませんが、手元の百科事典の「白鳥の湖」の項を見たら、彼女の写真でした。
この博物館は1963 年に設立されたそうですが、この部屋は出来てから 10 年とは経っていないはずです。それが、パネルとは少し古風ですょね。ずれているのがそのままになっていたりして、学校の文化祭って、感じです。しかも、その文字は別々の人が手書きで書いたようで、「Л」など、パネル毎に違う字体で書かれていました。貼ってある写真は興味ある内容であるように思われるのですが、表示がロシア語なので、まーったく意味が分かりません。ロシア語の辞書を持ち、1日程度の時間を掛ければ、もう少しましだったのでしょうが、辞書は重いし、時間は限られてますし…。
大抵のパネルに 1枚だけ、英語の説明文が貼ってあって、それでわかったような気分になれるのが、わずかな救いです。
帰国後、撮影したパネルを実体顕微鏡で拡大観察して、単語を書き写し、ロシア語の辞書と首っぴきで挑んだのですが、意味の通る文にすることはほとんど出来ませんでした。
7. Mine view
手前に坑夫の模型があり、坑道の実物大模型の中を通り抜けて、元の階段のところに戻るようになっています。絵と組み合わせて、奥行きがあるような錯覚を生んでいるのは面白い試みと思いました。
トイレの便器
1F に降りてきて、用を足そうとしたら、前の客 (たぶん、Norway 人) がトイレに向かってビデオカメラを構えて面白がっているようです。何事やあらん、と続いて入って撮ったのがこの写真。トイレの形式にロシア式とかがあるわけではなさそうです。便座が木製なのは、冬に冷たくないように、という配慮なのでしょうか。水が流れるであろうところが赤茶けているのと、壷の部分に紙が溜まっているのが印象的ではあります。横にバケツとたわし。
Guestbook
コートを置いていた cloak room に guest book が置いてあったので、サインだけは残してきました。'99 Apr. 以降の訪問者のサインだけで、その中には日本人らしき名前は見当たりませんでした。
お土産屋さん
1F の入口左横の部屋がお土産屋さんになっていました。小さい細工物がガラスのショーケースの中に並んでいて、女性係員が 2人います。あんまり欲しいものは見当たりません。他の客もつまらなそうに見ていて、係員に話しかけている客はいません。まして、買い物をしている人は見かけませんでした。
片隅では、絵葉書を売っていました。それもショーケースに入っていて、自由に手に取って見るわけにはいきません。しかも、通信文、宛名、切手に '91 の消印のある側が表になっています。どうも、ロシア本土からこの島の住民宛に送られた使用済み葉書をお土産として売っているようです。そんなもんまで売るか、の、この葉書の値段は 10NOK。
その横には、紙幣が並べられていました。む、これはソ連時代の Trust Arktikugol が発行したクーポンか、と近付いてみましたが、額面の数字が 10, 50, 100 で、'93 発行というのが変です。念のために訊ねてみると、やはりソ連時代のクーポンではなく、ベラルーシの紙幣だそうです。こんなところで本土の紙幣を買っていくのもばかばかしいので敬遠ですが、これらがまた、10NOK とは。さらに額面 50,000 のどこからの到来ものか分からないの紙幣もありましたが、これも 10NOK。
もっと入口に近いショーケースにこの museum のパンフレットがあったので、係員を呼んで取り出させ、これだけ買うことにしました (10NOK)。随分簡素なパンフレットで、もうちょっとなんとかならんか、と思いますけどね。
1350 背後で Anastasia さんが「Hurry up!」と言っているので、パンフレットを買うのがやっとでした。
Museum を出て、Hotel Barentsburg に向かいました。
この博物館の住所, 電話 は、英語表記で以下のようになるみたいです。
Barentsburg Museum, Kulturhuset, N-9178 Barentsburg, Svalbard.
Tel. +47-79-02-18-14
N-9178 が Norway 郵便網の郵便番号で、47 は Norway の国番号です。後で行く hotel の玄関にも Norway 郵便と電話のマークがありました。Barentsburg は May, '89 にNorway の電話網に組み入れられ、Apr. 3, '90 に Norway 郵便の支局が出来ました。
買ったパンフレットには次のような表示になっていました。
「Telephone and fax 8 104 7790 21 814」
番号は上記と同じようですが、区切り方が違うので、これでは Norway の国コードがはっきりしません。ロシア人のプライドが許さないんでしょうか?
でも、fax 兼用なんですね、ちゃんと文明の利器があるのかぁ、と言ったら怒られそうです…
Hotel Barentsburg
Barentsburg 上陸記
石炭会社通貨のオークション情報
Svalbard 旅行の目次
bluemt@lib.bekkoame.ne.jp
Last Modified : 18th July, 2011