Grumantbyen and Colesbukta
Grumantbyen の廃虚となった建物群 (大きい写真は 10kbytes)
上記写真左方部分の拡大 (大きい写真は 19kbytes)
Svalbard から Oslo までの復路の BU464 から眺め下ろした Colesbukta (大きい写真は 8kbytes)
- 1912 ロシア人によって、Colesbukta (Coles Bay) で石炭が発見され、翌年以降採炭開始。
- 1931 (Nov. 17) ロシアの会社 (Trust Arktikugol) が炭坑を譲り受けて、609 人を雇う。(この会社は、現在でも Barentsburg で採炭活動を続けていますし、1998 秋までは Pyramiden でも採炭していました)
- 1943 (Sept. 8) 独艦隊の艦砲射撃で壊滅。
- 1946 秋、同社によって再建。
- 1949 Grumantbyen と Colesbukta を結ぶ道路完成
- 1950 Grumantbyen と Colesbukta を結ぶ鉄道の建設開始。2年後に完成。
鉄道延長 約 8km, トンネル部分 1.4km, 雪覆い0.8km
- 1953 Colesbukta に埠頭と積み込み設備完成
- 1959 Grumantbyen の人口 1059人。
- 1960 Colesbutka に新しい発電所完成、Grumantbyen にも給電。
- 1961 断層と資源枯渇のため、採炭活動中止。Grumantbyen, Colesbutka に計 506人が残る。
- 1981 Colesbutka の建物が何軒か修理され、40 〜 50人のロシア人の地質学者と坑夫が住み着いた。
ソ連 (当時) はこの地域で採掘可能な石炭資源を捜すのにかなり努力。
- 1988 春、ソ連の資源探索は空しく、試掘終了。1989 までは数人が施設の手入れのために残留。
人口が 1000 人を越えたとは、Longyearbyen, Barentsburg, Pyramiden の現在の各街並みです。港湾設備、発電所まで作ったというのに、その後すぐに採炭中止に追い込まれるとは、Trust Arktikugol はさぞ残念だったでしょう。
しかし、断層や資源枯渇くらい、地質調査をしっかりやっていれば分かったはずですけど。採炭計画に地質調査は欠かせないと思うんですけどねぇ。
冷戦終結直前の '88 まで資源探索をした、というところに Trust Arktikugol の無念さというか、投資を回収するぞ、の執念が感じられるように思います。
Boat trip to Barentsburg
Barentsburg 上陸
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Last Modified : June 17, 2000