Ilulissat

(69.10N 51.05W)

Ilulissat 日帰りツアー

2 月 25 日 (水曜日)

[Ilulissat Court of Arms] Ilulissat Court of Arms

私の名前は Mr. JAPANER

0915 に reception desk 集合ということになっていたけれど、指定時刻に行ってみたら、既に Jesper さんが check in してくれていて、搭乗券と航空券の帰りの券をくれました。搭乗券の方は、航空会社の logo 入りのボール紙に大きく数字が書いてあるだけでした。航空券は、このツアーの申込み時に会社側が私の名前を把握できなかったためでしょう、乗客名が「Mr. JAPANER」になっていました (^_^;)。
搭乗券を貰っても飛行機の出発予定時刻までには時間があり余っているし、乗るべき飛行機は目の前に駐機しているけれど、まだ人が乗り込み始める様子ではない。部屋に戻って寝転がってしまったけれど、こんなことが出来る transit hotel は他にはなかなかないでしょう。でも、搭乗案内を聞き逃したかと、ちょろちょろ出入りしなくてはなりませんでした。
[DHC-7 at Kangerlussuaq][DHC-7 at Ilulissat]
(左) DHC-7 全景 (Kangerlussuaq 空港) (大きい写真は 11kbytes)
(右) DHC-7 に乗り込もうとする筆者 (復路の Ilulissat 空港にて)(大きい写真は 14kbytes)

乗り込んだ機は DHC-7。外から見ると小さそうですが、機内は結構広かったです (最大 50人乗り)。座るべき席は指定されていなかったので、真ん中の適当なところに座ってしまいました。滑走路に出た機は、滑走距離も短く、軽々と離陸してしまいました。眼下の建物は大抵平屋建てなのに、その影がかなり長い。春の高緯度の朝がこんなところからも実感できました。
機は、フィヨルド上に出てから機首を北に向け、半島というか、海に溺れ損なった陸地の上を飛んでいきます。積雪は薄いようで、ところどころ岩が露出しているところだけが薄赤茶色に見えました。木がないから、森もなく、地面を全部見渡すことが出来ます。そんな中で、真っ白で真っ平らな、ひとまとまりの地面があるのは、水面に雪が積もったのに違いありません。それがあちこちにあって、白い大地からも複雑な地形が見て取れます。
そのうち、attendant が新聞等を持ってきてくれ、お茶を配りに来てくれ、航空会社の logo の包装紙のキャンディーが篭に盛ってあるのを「如何ですか?」と持ってきてくれました。
それが終わった頃に機長挨拶。操縦席の扉をみると、2人が kayak らしい船に乗ってオールを持っている絵が描かれていました。一番前の座席は非常口になっていて、脱出時の幅を確保するためか、4人向かい合わせの席になっています (最前列の席に座ると、後ろ向きになります)。機内の表示は大体が英語だけなのに、そこには英語とともに「緊急時引く」と日本語の表示が添えられていました。
[Iceberg in sea] (大きい写真は 17kbytes)
機はやがて海に出ましたが、海は氷で覆い尽くされているのかと思っていたら、黒い海面が現われ、氷山が浮かんでおり、氷の割れ目から白い湯気さえ立ち上っているのが見られるようになってきました。Jesper さんが Ilulissat の方が Kangerlussuaq よりも気温が 3〜5℃高いょ、と言っていたのを思い出しました。
北半球で最も活動的な氷河のうちのいくつかは北グリーンランドにある。だから、あらゆる大きさの氷山がいたるところで見られる。(FACTS ABOUT GREENLAND 1997/98. p. 61 (Greenland Tourism a/s))

1025 Ilulissat 郊外の町並みが見えてきました。背後に山を抱えた港町に家々が寄り添うように集まっているように見ました。良港なのだろうな、と察せられました。町並みを飛び越し、湾を渡って、
1028 対岸の丘の上の空港に着陸。Greenland で固定翼機 (ヘリコプターでない) が就航している最北の空港です。凍っている地面で滑らないよう注意しつつ、立派な空港ビルまで歩いていきました。
荷物受取所を出ると、ちょっと小太りの中年男性が迎えに来てくれていました。Mr. Silver。「イタリア人で、英語しか話せないけど、陽気だし、身振りの大きな人で、必ず意志は通じるからね」と Jesper さんに教えられていたとおりの人のようです。空港玄関に付けられていた車に一同乗り込みました。ここでも日本車 (TOYOTA のワゴン) でした。
空港のある側の丘を登り下り、湾の対岸に町の家並みが見えるところに茶色い壁の細長い 2F 建ての建屋が現われました。Hotel Arctic。泊まれば、さぞ眺めがよいであろう、と思われました。「Ilulissat には hotel が3軒あってね」「海氷は 5〜6 月には融ける」「対岸の港に建っている倉庫みたいなのは魚工場だよ」と Silver さんはいろいろ説明してくれました。
[Harbor, Royal Greenland] (大きい写真は 20kbytes)
それらを見下す丘が景色の良いお薦め場所のひとつらしく、車を止めてくれました。湾内の景色を背に思いきり背伸びして写真を撮ってもらいました。
魚工場 (上記写真左端中央の灰色の3F建てのひときわ横長の建物) には Denmark 王室の王冠の紋章と「Royal Greenland」の文字が見えました。このエンブレムと文字の入った魚肉製品は Kangerlussuaq の Butikken でもたくさん見かけたので、親しみが湧きました。このような鼠色 3階建てのしかも細長い近代ビル様建物は珍しかったような気がします。大抵の建物は、後述のように少し茶色がかった原色という派手な色の2F建てくらいで、日本の住宅程度の大きさだったので。
そうこうするうちに、湾の最奥の橋を渡って、市街地に入ってきました。
[Map of Ilulissat]
Ilulissat 市街地の地図。示した場所はこのページで訪問したところのみです。
赤, 黄, 青, 茶, 緑等の原色 (をすこし茶色っぽくした色) の壁に、切妻型の屋根の家々が目立ちます。ビルのような箱型陸屋根の建物はあまり見かけません。屋根の形だけとってみれば、私が今から25年くらい前に暮らした住宅街のそれを思い起こして、日本での自宅近所よりもよほど親しみが持てました。
でも、広告看板はたくさん出ていました。TV, ラジオ, 日本の電器会社, …。見たことのあるものばかりで、これは東京の住宅地あたりと変わりません。衛星放送受信のパラポラアンテナがあり、"TV Arctic" の看板が出ています。
スーパーマーケット、銀行、郵便局も現われました。通りを行き来する人々…。人影少ない極北の寒村を想像していたら、大きく違うようでした。
坂道にかかると、車の前を何頭もの犬が牽く長い犬橇が登って行きます。対向車も犬橇が登ってくるのを待っています。車よりも犬橇優先のようです。
Silver さんはあれは何、これを見ろ、と親切に色々説明してくれますが、メモを取るのが精一杯で、とてもカメラを手にする余裕などありません。
「学校が 2つ、保育園は 9つ」という説明を聞くうちに、校庭で子供たちが遊んでいる学校を横目で見、壁に花の絵を描いた保育園の建物も通り過ぎました。

Zion's Church

[Zion's Church] Ilulissat に 2つある教会のうちの一方、Zion's church にまず着きました。
この教会は 1777 〜 79 に Ilulissat の住民と Denmark 人が (80余頭の) 鯨を捕らえ、その油を売ったお金で建設されたそうです。Lutheranism の教会。
この頃の日本といえば、江戸幕府 10代将軍家治の治世下。『解体新書』の翻訳は終わり、平賀源内の「エレキテル」は完成し、天明の大飢饉がまもなく訪れる頃。1778 にはロシア船が蝦夷地で松前氏に通商を要求。
20世紀初頭には西端が病院として使われたこともあったけれど、1907 には建物が修復され、1929 には拡張されて、50m 内陸に移築されたそうです。
同行の Nさん夫婦は James さんの説明を聞くのもそこそこに、まず入口で写真を撮り、さらに何枚か写真を撮っていたようです。これに対して私の方は、「写真を撮るのは後でいいゃ」と教会周囲を歩き回っていました。そうしているうちに私以外の全部の人は Silver さんも含めて車に戻ってしまい、建物を背景に写真を撮ることは難しくなっていました。諦めて車に戻ると、待ってました、とばかりに Silver さんは次のところへと車を動かし始めるのでした。

Knud Rasmussen Museum

[Knud Rasmussen Museum] (大きい写真は 27kbytes)
1055 道を左に折れ、少し急坂を登って museum 着。切妻屋根, 赤い壁の2F建てで、入口には Knud Rasmussen の胸像。ここでも同行の Nさん夫婦は早速記念写真を撮り、私はまたも建物の写真を取り逃がすことになるのでした。で、少し離れたところにある井戸と鯨の顎骨のアーチの方がより印象に残ってしまいました。
Knud Rasmussen (1879 - 1933)という人は、その名前を知らないと、Ilulissat、というか Greenland に来たことにならないらしいくらい有名な、北極探検家、人類学者、作家です。確かに、ガイドブック, パンフレットには必ず紹介されています。"Give me winter, give me dogs; keep the rest ..." というのは、彼の有名な科白。
この museum は彼の生家です。Silver さんは 1F の左側の部屋 (壁一面にいろいろなものが貼ってあった) にいた管理人らしき人に声をかけ、部屋を順に案内してくれました。
Knud Rasmussenn の探検等の研究成果の展示に一部屋、Greenland の伝統, Greenland での Denmark 人の初期の生活, Inuit が昔作ったものとその歴史にもう一部屋。2F には北極探検の参考図書館がありました。
Rasmussen の研究成果の展示の部屋には、天井から木のスキーが吊り下げられており、 Greenland の鳥獣の剥製がところ狭しと並べられていました。雷鳥, 鷲, goose, 北極熊, Ox の骨…。カメラも展示されていたのは、彼が使ったものだったのでしょう。
次は、Greenland の伝統の部屋です。
[Many kinds of spear in Greenland](大きい写真は 23kbytes)
投げ槍が各地域、目的別にいろいろあるのをやはり天井から吊り下げていました。下の陳列棚に入っているのはアザラシの毛皮で覆われた舟です。舟も男女と目的で区別されています。
アザラシの胃を浮き袋に使ったりするのは Umiaq でも Kayak でも同じようでした。

[National costume](大きい写真は 19kbytes)
案内書等でよく見かける Greenlander の民族衣裳です。
右側の彩り鮮やかなのは女性用です。面白いことに、Greenland 内での地域差はあまりなく、どこでも同じようなものだそうです。小さなガラス球をたくさん縫いつけた襟、襟を中心とする赤を基調とした同心円状の飾り、胴回りの飾り… 「作るのに 3カ月はかかるょ」と Silver さんが説明してくれます。それに大変高価でもあるようです。美しい模様に縫われたアザラシの皮が特徴のズボン部分、レースと花柄の刺繍のある靴 (kamiks)
それに比べれば、左の男性用は上は白のコート、下は黒のズボン、と色彩的には単純です。
写真で右に切れて写っているのは、女性用の子供服。

狩猟用の衣裳, 普段の衣裳も展示されていました。
「靴も地方によって違うょ。南の方の靴は、踝くらいまでしかなく短いけれど、北の方のものは膝下をすっぽり覆えるくらい長いょ」
[Knives in Greenland]
ナイフ (皮をなめす等、いろいろな目的に使われる) にも男女の区別があるようです。上記の男性用ナイフは、あとで Silver さんのお店で売られているのを見かけました。大きさによって 350 〜 450 Dkr でした。
針や櫛も展示されていましたが、Silver さんがなんと説明してくれたか全然記憶がありません (^_^;)。
部屋をぐるっと回っていくと、何台かのミシンが並んでいました。足踏み式の大きなものから、小さな卓上式、日本製の電動式まで展示されていました。
Silver さんの説明を聞き、手帳にシャープペンシルでごちゃごちゃ書き付けていると、それを Silver さんが横から覗き込みます。「ウミアック」とカタカナで書き込むと、「自分の説明をわかって聞いているのか」といった顔をするので、横に「Umiak」(と聞き取れた) と書き足します。「そうそう、womens boat で…」と安心した表情で次の説明に。それでも、次々と説明の対象が移っていくので、追いかけるのは楽ではありません。Nさん夫婦はひとわたり見て、さっさと階下へと降りていきました。Silver さん「あの人たちは全然興味ないみたいね…」
1F 階段登り口のところの guset book にサインをし、1125 museum を出ました。
「病院が出来たのは、Greenland ではここが最初だ」という病院横の岬の先端まで行きました。海面から水蒸気が立ち登り、水平線を靄でぼや〜っと覆うかのようでした。ぽつぽつ浮かんでいる氷山もおどろおどろしい。

お買い物

[Tourist Nature](大きい写真は13kbytes)
(Silver さんのお店 "Tourist Nature"。画面左端遠方は Hotel Arctic)
ツアーには付き物の (契約) お土産店でお買い物、であるけれど、今の場合、ガイドの Silver さんがお土産店の経営者でもあるから、このお店は当然で、こちらも何か買いたい潮時です。Credit card も VISA, JCB 可。
「中国語のパンフレットはあるんだけど、漢字わかるか?」と Silver さんは取り出してきてくれましたが、「ははは、わからん」「あぁ、そうか」

お食事

お買い物を終わり、Hotel Hvide Falk へ向かいました。料理は 生鯨, Halibut のフライ, Ox と Broccoli。それが一皿の他、巨大なバットにバターライスが山盛り。その他にパンも出てきました。
美味しかったのですが、バターライスは、4人がかりでも 1/4 程度しか片付けられませんでした。
[View of Disko Bay from Hotel Hvide Falk] (大きい写真は 7kbytes)
食堂からの眺めは素晴らしい。
素晴らしい理由は? と尋ねられると、青と白の 2色でほとんど覆われただけの景色であるから、説明が難しい。遮るものとてなく、氷の海が真っ白な平面となって広がっています。遠くに浮かんでいる氷山が平面を乱しています。右側の奥の港には小さな漁船が寄り添うように固まっています。対岸の丘は荒涼としています。空は薄青く、雲ひとつありません。
「冬は、対岸まで犬橇で渡っていくょ。夏はいい。鯨が見えるょ。Cruise もあるし。海で泳ぐ奴がいるかって? いるょ。でも泳ぎに行くのは、大抵は山の上の湖の方だ。」
食事をしていると、沖から漁船が戻ってきました。氷で覆われている海に一条の通路があるようです。船の後ろを鳥の群が追ってきていました。
「魚はいろんなものが採れるょ。鱈, 鮭, halibut, 海老…」と言いつつ、Silver さんは胸から A4 程度の紙を取り出してきました。
Halibut オヒョウ Ohyou
Salmon サケ Sake
のような英日辞書でした。私も、話題に上った名前を中央当たりの余白に付け加えてきました。
Shrimp 海老 エビ Ebi
「Shrimp, "Ebi"」と Silver さんは練習しています。
Silver さんは私たちの酒の注文の取り次ぎ等、どうも hotel の従業員と相当懇意で、勝手をよく知っているのようです。どういうきっかけで Greenland へ来たのか、と訊ねてみました。
「うん、17年前に Italy からこの hotel の keyboader で来てね」
なるほど。

慌ただしく発つ

帰りの飛行機の出発時刻が迫ってきたので、まだ時間をかければバターライスを食べられたかもしれないけれど、それは残して席を立つことにしました。
でも、なんだか Nさん夫婦は不満そうです。まだ買い物をし足りない様子だ、と Silver さんに伝えると、乏しい時間を割いて、もう 1軒連れて行ってくれました。
それで出かけたのが、郵便局と併設されている KNI supermarket。
KNI は元は Greenland が自治権を獲得したときに出来た船会社で、大抵の町に ticket office や supermarket を持っています (それがない Kangerlussuaq は例外的存在)。
生鮮食品を中心として何でも売っていて、大きくて明るく、日本のスーパーマーケットと変わりません。入口にあった水着姿の女性の写真入りのアイスクリームの広告は冬の Greenland らしくありませんでしたが。
郵便局の中にも入ってみました。明るく近代的なものに感じられました。
何も買うものはないので、外に出てみると、店と郵便局の入口が車で埋まっているのはまぁ当然として、道路の向かい側には犬橇が一台、数頭の犬とともに、主もなく置かれています。どうも、持ち主がスーパーマーケットに用を足しに来るのにこの犬橇で来たようです。
途中の道端では、凍った鮭 (屋外が天然の冷凍庫) が積み上げられているのも見かけました。犬のお食事用だそうで、改めて、「犬のまち」だなぁ、の感を深くしました。
ここを最後に、空港に向かいました。
Silver さんは搭乗手続きまでやってくれ、搭乗券をくれてから、私たちと握手して、慌ただしく帰っていきました。私は、さっき貰った紙片が搭乗券であることに気付かず、「ややや」と空港カウンターとの間を行き来したりしなくてはならなくなったりしましたが (^_^;)。

帰りの飛行機はかなり遅れているようなので、空港待合室内と出口をでてすぐのところにある駐車場を歩き回るしかありません。この無駄な時間を少しでも町を見て歩く時間に当てられれば良かったのに。
揺りかごの中の赤ちゃんを何人もが、たぶん、両親に祖父母なのでしょうが、覗き込んでいる様子も、揺りかごの中に敷かれている布団も世界共通のようですし、待合室内の TV を見ている人の様子もどこでも同じようです。
駐車場の車はここでも日本車が多いようでした。Greenland での日本車といえば、これまで one-box 車やいわゆる RV 車ばかりしか見かけませんでしたが、ここではなんと、"MICRA" ("March" の海外名。角張った旧式のものでした) が停まっていました。こんな極北の町で、こんな小さい車が頑張っているんだ、と健気に思えました。私が日本で "March" に乗っているせいもあるでしょうが。
[Sled for Santa Claus] (大きい写真は 13kbytes)
駐車場を出て坂道を下ろうとするところに橇が大小各1台置いてありました。サンタクロースが実際に乗るためのものだそうです。

結局 45分遅れて出発し、Ilulissat 1430 -(GL513)→ 1515 Kangerlussuaq
今度は操縦席直後の向かい合わせの4人掛けの席に後ろ向きに座って帰ってきました。4人掛けの席に一緒に座っていたのは Nさん夫婦でしたが、旦那の方が、機内誌巻末の Greenland Air の就航路線地図を私に示して、「今日はここを行って来たわけですな」と感慨深げです。しかし、彼が示した路線は Greenland を東西に横断する Kangerlussuaq - Kulusuk 線でした。流石に、これは穏やかに訂正しておくことにしました。
空路恙なく Kangerlussuaq に戻ってくると、Jesper さんがゲートのところで待っていてくれました。Silver さんからの「Jesper さんによろしく」の伝言をまず伝えました。

Ilulissat の簡単な歴史

Ilulissat は 1741 年 8 月 3 日に 宣教師 Poul Egede によって夏の布教地, 商業の中心として開かれた。彼はこの地を Greenland 西岸の商業の大部分を支配していた有力な商人 Jakob Severin にちなんで Jakobshavn と命名した。布教活動がうまくいったため、地元の Inuit はヨーロッパ人の村に近づき、1782 年には Ilulissat は居留地 (colony) となった。"Ilulissat" は「氷山」の意。後には、Disko 湾の中心の町になった。現在、氷河と氷山を中心とする観光に加えて、70隻の漁船と海老や halibut の加工工場によって経済が支えられている、Greenland 第4 の大きな町。人口4千5百余, 犬6千頭。
周囲の高い山のせいで、12 - 2 月には太陽が全く見えない。5 - 7 月には白夜になる。
("Lonely Planet", "Facts about Greenland 1997/98" 等による)
1741 年 … 日本では 8 代将軍吉宗の治世の終わり頃。(1738 年にロシア人が千島列島を探検し、1740 年にはオーストリア継承戦争が始まる)

Ilulissat 空港

真の意味での固定翼機が飛んでいる Greenland 最北の空港は Thule Air Base です。米空軍の基地ですので、軍用の固定翼機が飛んでいます。民間機も First Air (Canada) の B727 が就航しています。私の Kangerlussuaq 滞在中にその First Air 機も見かけました。ただし、訪問時 transit permission が必要です。許可は、旅行の予約を確定させた後にデンマーク外務省に申請します。 (やや詳しい online 情報)
Ilulissat 空港は昔はもっと町に近いところにあったそうです。
LonelyPlanet によれば、1984年に DHC7級固定翼機が離着陸出来る 800m滑走路が出来、北Greenland の hub になったようです。ジェット機が就航できるよう拡張しようという話もあるけれど、岩を砕くため等に必要な Dkr 200M という建設費が障害になっているようです。

靴 (kamiks)

kamiks の色は、年齢、既婚/未婚で異なるらしいのですが、展示物や写真で見るのは、未婚女性が着用するとされる「白」ばかりでした。
衣裳は伝統的には成長時の節目節目に貰えるものだったそうです。


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Last Modified : Jan. 6, 1999