What is Columbia Glacier ?
ヨーロッパ人たちにとっての氷河の発見
- 1790年。スペインの Fidalgo によって発見されました。( "glacier" という言葉を初めて使った人だそうです。Valdez の地名名付け親でもあります。)
はじめのうち、氷河が海に崩れ落ちる音がよく知られておらず、近くの雲に隠れた火山の噴火音であると考えられていたようです。(そんなものは存在しなかったわけですが)
- 1899年。氷河の写真が初めて撮影されるとともに、詳しい地図が作られました。後に Columbia University にちなんで、氷河の名前が付けられました。
- Prince William 湾に氷河がたくさんある理由
どうも以下のような理由らしいです。ちなみに、ほぼ同緯度の St. Petersburg では雪は解けて氷河は出来ません。
- 南に暖かい黒潮がはるか日本から流れてきています。ここで湿気をたっぷり含んだ風が北に吹いてきて Chugach 山脈にぶつかると、雪が (当然) どっさりと降ります (夏はもちろん雨ですが)。従って、この湾一帯は Alaska で一番降水量の多い地域です。
- 雪は 2 〜 3m / 年 も降るし、夏は短く冬は長いから、融ける以上に積もります。(夏が長いのが日本では氷河が出来ない理由かぁ)
- 雪はだんだん氷になり、自分の重みのために動き始めます。
このとき、山の斜面が急だと融けるよりも動く方が速くなって「氷河の前進」が始まります。
- 同じ湾に面している氷河なのに、前進する氷河と後退する氷河があるのは何故か?
1970 年代に United States Geological Survey (USGS) が「氷河末端の地形による」との仮説を出し、「氷河の前進と後退にはサイクルがある」としました。これが広く受け入れられている説かどうかは、浅学のため分かりませんが、ご紹介しておきましょう。この説を含め、Columbia Glacier に関する web page はない ('97 May 現在)、と USGS の担当者に教えてもらったので。
ただ、氷河の前進、後退は氷が供給される量と消費される量のバランスで決まる、は普通に受け入れられている説のようです。
氷河末端が、自分がこれまでに運んできた底堆石 (moraine) によって暖かい海から遮られている間、氷河は前進します。
1968 年には Columbia Glacier はまだ湾内に浮かぶ Heather 島に乗っていました。
しかし、氷河は前進し過ぎると、氷が堆積するよりも速く融けてしまいます。氷河は痩せ、ついで後退します。
一旦底堆石という「防波堤」を越えて後退すると、氷の壁は塩水に晒されるので、融解が加速されます (塩水の方が真水よりも融点が低いですからね)。もう急激な後退は止まりません。
Columbia Glacier はこの急激な後退を 1984 年にはじめました (これに関する学術論文 〜 USGS から刊行されています〜 の発表は1982 年には始まっているようです)。
それまで 2 〜 3m/day だった後退は 7 〜10m/day に及び、数百万 t/year の氷が融けていきました。1世紀かけて 1mile 前進した氷河は 1986 年までの 3年で 2miles も後退しました。陸上でも氷が占める部分が痩せつつあることが確認されています。
海底の地形がはっきりせず、氷片が底堆石に引っかかっているかもしれないので、観光船は氷河末端へは近づけなくなりました。
Columbia Glacier は来るべき 10 〜 20 年でさらに海の浅いところか陸地まで、距離にして 15 〜 20 miles 後退し、まだ人が見たことがない新しいフィヨルドが見えてくるのではないかと考えられています。
氷河末端へ運ばれている岩石片が集まって新しい底堆石を形成し、氷河前面を保護するようになります。氷の融解は遅くなり、氷河は再びフィヨルドを前進する、というわけです。
初心者にもわかりやすい氷河の一般的説明
GLACIERS by National Snow and Ice Data Center World Data Center.
What are glaciers ? by University of Vermont.
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Last Modified : June 18, 2000