朝起きると、青山のホテルの部屋から遠く Mt. McKinley が見えました。夏に見える確率は 20 〜 40% だそうで、去年 (1995 年な) ど、8月は1日も見えず、9月は2日見えただけとのことですから、いきなり運の良いことだとはしゃぎました。
結果を先に述べておくと、私の 7日間の Alaska 滞在中は好天が続き、Mt. McKinley は見えて然るべき場所では、必ず頂上まで拝むことが出来たので、ここでそんなにはしゃぐ必要はなかったのですが、この山は毎日見ても飽きることはありませんでした。ただ、「Alaska へ行ったが Mt. McKinley を見られなかった」という人も多いに違いなく、その人たちの運を一気に吸い取ったような旅行がこうして始まりました。
青山のこのホテルの部屋からはもうひとつ、Alaska 鉄道 (以下、のARR) Anchorage 駅と隣接するヤードを見下ろすことも出来ました。夜中でも「ファー、ファー」と気の抜けた警笛をならしつつ機関車が行ったり来たりするのが見えるので、おちおち眠れない、という有難い部屋でした。Alaska 旅行の最初に、これからこの鉄道に乗って、Mt. McKinley 観光の拠点の Denali Park へ向かいます。
(11kbytes)Anchorage 駅、といっても、一部 3階建ての小さな駅舎にホームが 1面、列車の停まる長い線が 2線あるだけ。
(6kbytes)狭い駅前広場にアラスカ鉄道の機関車 1号機が化粧直しされて飾られていました。元はパナマ運河建設に使われたカマだそうです。
0830 発の Fairbanks 行きの 2列車は既にホームに面していない方の線に入線していました。都落ちしていく方向の列車番号が偶数なのは珍しい気がします。重連の DL 3013, 3010 機を先頭に、郵便荷物車、普通車 2両、Vistadome 車、普通車 1両の 5両が ARR の黄色と紺の塗色の車両。
ここまではどうということはありませんが、この鉄道が変わっているのは、この後にツアー会社が所有するツアー客専用車両が連結されていることです。 ARR の車両に続いて、Gray Line of Alaska 社のドームカー 5両 (金属地で中央部に太い青帯の車両)、 Princess Tour 社のドームカー 3両 (白地で裾に 2本の緑青色の帯の車両)。計 13両編成 (このページ上方の写真)。
私が乗っていくのは、このツアー客専用車両の一番前の車両、Gray Line of Alaska 社の「McKinley Explorer」。ツアーである分、車両のグレードは高いけれど、拘束も大きく、発車まで 15分余あるのに編成の検分をする余裕もなく乗り込まねばならません。一般客と区別が付かなくなるのは好ましくないので、一般車両の方へ行かないように、という注意もありました。青山は「良い子」です :-)、そのため、ARR 車両についてのレポートはないことを御了解下さい _o_ 比較的空いていたことだけは確かです。青山は ARR が国有鉄道でなくなった (1985 年 1 月 5 日) ことをかなり最近まで知らずに過ごしていましたが (^^;)、このようなツアー会社のいわば private car を連結できるようになったのも、国有鉄道でなくなったからでしょうか。
0830。MP 114.3。 Anchorage 発車。にこやかなガイドのおばさんの注意を聞き、コーヒー (無料) を飲みつつ、キョロキョロしていると、定刻に前後動もなくスーッと発車。速度は極めてゆっくりですが、左右に激しく揺れます。気候が厳しいから、保線が大変なのかもしれませんが、発車時の衝撃 (前後動) のなさと対照的です。
Anchorage 駅の小さな売店で「Ride Guide to the Historic ALASKA RAILROAD」という A5版 64ページの小冊子 ($5.00) を見つけたので、迷わず買い込みました。以下、MP (Mile Point, 南のSeward 起点) の数字はこの冊子からの引用です。(その他の箇所では、引用の都度、「Ride Guide」と記す)
MP117。 Elmendolf Air Force Base の敷地が続きます。冷戦時の緊張は和らいだようですが、左窓の格納庫付近にF15 が何機か駐機しています。線路際のすぐそばまで滑走路が延びているのは、横田基地と八高線の関係と比較すると興味深いものがあります。右窓の Alpenglow スキー場も空軍のものですが、条件付きで市民にも開放され、人気があるそうです。
0855。左窓に Mt. McKinley が見えてきました。ガイド「very lucky」。
0905。MP126。 Eagle River。 遡行する鮭を目的にたくさんの鷲が集まるので、この名が付いた由。人口900。Anchorage 市内に家を構えるよりは、という人が増えつつあって、ベッドタウンとなりつつあるそうです。
0936。MP 145.2。Glenn Highway の下をくぐります。付近はAlaska 地震 (Mar. 27, 1964) で陥没したところです。枯れた木々ばかりなのは、その時侵入した海水のためとのこと。
0938。MP 146.4。Knik River を渡ります。とても広い川が湾に注いでいます。昔は毎年のように氷河の ice dam の決壊で氾濫したそうです。4分ほど後に Matanuska River を渡りました。
0948。MP ???。Glenn Highway を横断。踏切で車が列車の通過を待っています。今後も鉄道が highway を踏切で横切ることはしばしばでした。警報機の電源は太陽電池のことが多かったので、それなりの日照時間はあるのだろう、と想像しました。また、普通の車は踏切横断時には一旦停止しないようです (公の規則でも停止しなくてよいらしい。客を乗せたバスやタクシーは一旦停止するようですが)。
1008。MP 159.6。Wasilla。家やキャンピングハウスのある集落。右窓の湖では、夏は泳げて、冬は snow mobile が楽しめるそうです。髭のおじさんの立っているフライドチキン屋とか、大きくMの字を掲げたハンバーガー屋とか、7の字を掲げたコンビニエンスストアがあって、いずれも日本と同じ外観ですが、Fairbanks 方面行きでは最後のファーストフード街のようです。
Wasilla を出ると、少し列車の速度が上がりました。
1024。MP ???。このあたりで周囲の木が枯れているのは、今年 6月の山火事のための由。キャンプファイアの火の不始末と見られ、ほぼ鎮火するのに 10 日、飛び火が鎮火するのにさらに 10 日を要した、とガイドが顔をしかめました。
1135。MP 224.3。「Ride Guide」に「 (11kbytes)Mt. McKinley が木々に遮られずに見えるところ」と載っています。左窓に Susitna River 越しに Mt. McKinley が望まれました。列車は徐行して、眺めを堪能させてくれます。Anchorage の hotel の窓からよりも、勿論、大きく、かつ、近くに迫っていて、眺めにほれぼれします (そんなに圧迫感は感じませんでしたが)。
1137。MP 226.7。Talkeetna。 インディアン語で「川が合流するところ」の意だそうです。Talkeetna 川と Chulitna 川の合流点で、人口 450。駅舎のある駅は Wasilla 以来久しぶりです。Mt. McKinley の登山基地で、登山者はここから登山口の氷河まで飛行機で行く由。植村直己さんも有名なようです。ホームに 20 人ほどいて、列車に乗り込む人、別れの手を振る人、の図は他の土地と変わりません。
1147。MP233。「Ride Guide」に「Another good spot for photos of Mt. McKinley」となっていて、列車はまた徐行します。Mt. McKinley までは地図で図ってみたら 52 miles 余。(「Ride Guide」では 100 miles 余となっていたが何かの間違いでしょう)
1153。MP 236。 MP 190 くらいから左窓の Susitna River に沿って走っていますが、川の色が灰白色です。氷河で削られた微細な岩石粒のためで、「この色の川の上流には必ず氷河あり」の徴だそうです。透明な川と灰白色の川との合流点からやや下流では、川が 2色の帯になっています。「Susitna」は Indian の言葉で「砂の川」の意の由。この付近、bear や moose がよく現われるそうです。ただ、この日は、bear, moose, caribou, beaver 等には車窓からはお目にかかれませんでした。
1208。MP 243 付近。窓外を fireweed の白い綿がたくさん飛んでいます。「この赤い花が咲けば Alaska の秋」だそうですから、今の季節は晩秋なのかしら。まもなく列車が急に速度を落としたので、「bear が現われたか」と皆キョロキョロしましたが、動物は何も見えませんでした。
1215。MP 248.5。Curry。 ARR 開通当初、機関車が石炭、水を補給するため、旅客も宿泊を余儀なくされ、その旅客のためにちょっと豪華なホテルが 建てられたところだそうです。今はその面影をしのぶことさえ出来ないくらい、周囲に何もありません。詳しい説明は冬編を参照。
1243。MP 264。Susitna River を鉄橋で渡ります。1920 年の建築で、Anchorage 以北で最初に造られた鉄橋。川はここで東に転じ、鉄道は川に沿うのを止めます。Anchorage 出発直後のように横揺れが激しくなりました。
1257。MP269。 右窓下の澄んだ川は Indian River。川は今は北、列車の進行方向に流れていますが、まもなく反転し、Chulitna 川 に合します。この付近、grayling 釣りに好適だそうです。こんもり盛り上がった beaver の巣がときどき見えるが、beaver は夜行性なので、昼間は見えないそうです。
1307。MP 273付近。 1F の食堂担当のおばさんが「Lunch second sitting」と呼びに来ました。
左手の繁みへと廃線とおぼしき線路が消えていきます。昔は鉱山でもあったのかしら。こういう線路でも、ちゃんと三角線の配線になっていました。もっとも、良く見てみれば、この前後でも、同様の線路をしばしば見かけましたけど。
暫くすると、「Mt. McKinley の素晴らしい眺望が得られる地点」にさしかかり、列車は徐行。
1327。MP 281.4。Harricane。このあたりでは、山から吹き下ろす風が大変強いためにこの名が付いたとのこと。
1336。MP 284.2。Harricane Gulch。川面からの高さ 296ft, 長さ384ft の鉄橋にかかります。 ARR で最も建設が難しく、最も高価な橋だったそうです。ここは名所のようで、(特に一般車両の) デッキでは写真を撮る人が順番待ちをしていました。列車は徐行してくれましたが、私は橋の上を通過しているうちに写真を撮ることは出来ませんでした。T_T
このあたりから、急に少し近くの山の紅葉が黄や紅で美しくなってきます。その山の頂上はうっすらと初雪をかぶっています。
Harricane Gulch を過ぎると、Alaska 山脈のために Mt. McKinley は見えなくなりました。これから、峠越えが始まります。
1418。MP 304.3。Broad Pass。視界が広がり、直線が続き、交換設備に入って、我が 2列車は左側の側線 (その途中に MP 304 の標識が建っていた) に進んで停まりました。
1424。 向こうから、 (19kbytes) 黒一色の正面に黄色の 4本線 (おそらく、警戒色を兼ねているのだろう) の DL 重連に牽かれた、我々と同じ編成の Anchorage 行き 1列車がやってきました。普通車の乗務員はここで相手方の列車に乗り換えます。彼らは、Anchorage base 組と Fairbanks base 組とに分かれている由。私たちツアー専用車両の乗務員 (ツアー会社の社員) は Anchorage - Fairbanks 間を通しで乗務し、2日勤務、2日休みだそうです。
1426。 1列車発車。
1430。 我々の 2列車はゆっくり本線に戻ります。交換にかかった時間は 12分でしたが、その時には数分にしか感じませんでした。私にも Alaskan time が身に付きつつあるのでしょうか。
1432。MP305.2。Parks Highway を踏切で横断。向こうの山を写真に撮る chance だと教えてもらっていたのに、取り損ねました。
この踏切が、阿川弘之「マッキンレー阿房列車」の最後の場面で、列車の最後尾デッキに陣取った阿川弘之が、道路で待ち構えていた開高健たちに手を振った踏切であると推定されます。
1440。MP 312.5。Summit。右窓の湖は (15kbytes) Summit Lake。標高 2363 ft の分水嶺。ここから南の川は Cook Inlet から太平洋へ、北の川は Yukon 川から Bering 海へ (Summit Lake の水は北へ)。でも、日本の分水嶺でしばしば見かける険しい地形ではなく、雄大、悪く言えば大味な光景。木々が少なく地肌むき出しの山々が少し遠くにあり、その裾の付近の低木や草が赤、黄、緑と高い方から順に帯をなしています。山の間の谷は、caribou の横断が多く、hunting に好適だそうです。地図でも、20 miles 以上上流になりますが、Caribou Pass という地名が見つかりました。
1457。MP 319.5。Cantwell。駅名を記した看板を頂く小さな駅舎がありました。「マッキンレー阿房列車」の「倉庫」よりは大きそうでした。駅付近は 'Old Cantwell' で、'New Cantwell' はハイウエイ沿いだそうですが。
1516。MP326 付近。交換設備の側線 (今度は右側に) 入って停止。 すぐに、本線側に DL 6重連に牽引された石炭貨物列車がやってきました。北海道の石炭用の貨車よりもはるかに大きい図体に見とれていたら、何両つないでいるのか数えるのを忘れていました (^^;)。貨車は白い塗色でしたが、石炭滓による汚れは目立たないようでした。我が 2列車は、交換後すぐに、しかし前と同様、ゆっくりゆっくりと発車。
後日、Alaska Airlines に乗ったら、機内誌に広告が出ていました。「Alaska Railroad Corpration は 53両の石炭用貨車を買うために、350万ドルの資金を調達する。」Key Corporate Banking が引き受ける社債の広告のようでした。
1527。MP326.7。Windy。やはり、風が強いのでこの名が付いたそうです。右窓側の Panorama Mt. (5778ft) は、南側 (風が吹き抜ける側) には山裾以外には植物が見あたらず、地肌むき出しだが、列車が山裾に沿ってだんだん北側に進んでいくと、中腹まで緑色になっているのが見えてきました。
1538。MP334.4。Carlo。川が多くて、建設時の難所の由。居眠りしている客も多く、ガイドさんはマイクを使わず、各机をこまめに回って説明してくれます。Summit よりもだいぶ標高が下がってきたので、線路付近は低木が繁ってくるようになりました。それが、緑と黄色の適当な斑。その向こうの山は、裾から、緑、黄、紅の帯が並んでいます。中腹以上は岩ゴツゴツだが、頂上付近に雲の影が映っているのがユーモラスな感じです。
左窓には、梁に碍子が並んでいる木の十字架 (いわゆる蝿叩き) が並んでいます。ときどき倒れていますが。無論、元は電柱で、電話線が張られていましたが (maintenance が大変だったに違いない)、今は電線はここには張られていません。現在は、線は地下に埋められ、microwave も使われている由。
乗車中に信号システムに全く気が行かなかったのは迂闊の至りでしたが、信号機が線路際に立っているような場面は見かけませんでした。気候は厳しいし、人も少ないから、無線を使っているに違いありません。
1610。MP347.9。Denali Park 駅にゆっくりと進入。駅とは言っても、駅舎の表示は「DEPOT」で、それ相当の簡素さです。もっとも、駅舎が Fairbanks 方面 (北) 行き用と Anchorage 方面 (南) 行き用と 2つもあるなんて !(常に編成後部に連結されるツアー客専用車両の停車位置が北行きと南行きとでは違うからだと推測される)。さらに Fairbanks 方面行き用の駅舎内にはお土産屋さんがあるばかりか、荷物を運ぶためのフォークリフトさえありました。そして、Fairbanks 方向へ行こうとする人が結構ぎっしりとホーム上に並んでいました。
ガイドさんたちにお別れを言って、ホームに降り立ちます。ホームには、客を迎えるためのバスが並んでいました。自分が乗るべきバスを捜すのも大変です。
これで、夜にnorthern light (「オーロラ」よりもこの表現の方が通じるようです。「オーロラが見えたら、宿泊客を起こしに来てくれるサービス」を私が泊まった宿はしてくれていました) が見えれば、文句なしでしたが、夜半に下の方で始まったと思ったらすぐに消えてしまったそうです。ま、そういいことがたくさんは続かないよな。
このほかの有益な情報はこちら。
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Last Modified : May 31, 2000