REGULAR CONCERT #25 曲目解説 |
冒頭のトランペットによるファンファーレが印象的な≪軽騎兵≫はオーストリアの作曲家フランツ・フォン・スッペ
(1819-1895)により作曲された。彼は1819年アドリア海を望むダルマティア地方の港町スパラートのベルギー系貴族の家庭に生まれ、幼年期に音楽の手ほどきを受け才能を発揮。13歳でカトリック典礼のミサ曲を作曲し、フランシスコ会の教会で初演された。その後、イタリアのパドヴァで法律を学び、その間にもイタリアのオペラに触れ、ミラノで作曲家のロッシーニやヴェルディ、ドニゼッティ(ドニゼッティは遠戚でもある)とも交流した。1835年にオーストリア官吏だった父が亡くなると母の故郷ウィーンに移り、本格的に音楽家を志した。 【軽騎兵】…鎧と盾で重装備した「重騎兵」に対し、最小限の装備で足の速さを活かして後方撹乱や奇襲の役割を担った兵のこと。 爽快で華やかなトランペットのファンファーレで始まり、ホルンをはじめとする様々な楽器によって繰り返されたのち、高弦楽器による騎兵の疾走、あるいは剣劇や戦場(その中でも軽騎兵の特性を活かした動き)を連想させるスリリングな旋律へと情景は変化する。 (文責:13期Trumpet 本村 美紀子) |
ヨハン・シュトラウスII世(1825-1899)というと、どの曲を思い浮かべるだろうか。≪美しく青きドナウ≫≪こ
うもり≫≪ピチカート・ポルカ≫… ◆
ワルツ≪春の声≫(演奏時間 約6分)──── ◆ ≪皇帝円舞曲≫(演奏時間 約10分)──── 踊りにも3拍子にも縁の薄い日本人はワルツの演奏は苦手だとされ、当団も長く課題としてきた。真面目過ぎず、軽すぎず……少しでもウィーンの雰囲気が出せれば、曲を聴いているうちに、お客様の足や方を自然と揺らすことが出来ればこの上ない幸いである。 (文責:09期Faggotto 江上 雄大) |
その銀貨にどれほどの価値があるか ── この曲を演奏するにあたり、純真な巨匠への愛おしさからそれを思わずにはいられない。 ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(1824-1896)は、オーストリアの豊かな自然、荘厳華麗な協会のオルガン、合唱の響きと共に育った。青年になると小学校の補助教員や教会のオルガニスト、畑仕事の手伝いなどをしながら音楽を研究したが、後にウィーン国立音楽院の教授となり、その頃から交響曲を書く ようになった。 しかし、ウィーンでの生活は決して華やかなものではなかった。田舎者として冷遇され、反ワーグナー派から執拗に批判を浴びせられ、交響曲第0番は初演できず、第1番の初演は不評に終わり、第2番はリストに捧げたが好意的な態度を示してもらえず、第3番の初演に至っては3楽章で聴衆が帰ってしまうという大失敗…ブルックナーが交響曲第4番の補筆を始めたのは、第3番の失敗から1年が経った後だった。 交響曲第4番「ロマンティック」はドイツの深い森林で味わう神秘的な自然に対する感情を表現するもので、いわばブルックナーの楽天的な自然観を伝える作品である。 ◆第1楽章 Bewegt, nicht zu schnell ────── ◆第2楽章 Andante quasi Allegretto ────── ◆第3楽章 Scherzo, Bewegt - Trio. Nicht zu schnell, Keinesfells scleppend ────── ◆第4楽章 Bewegt, doch nicht zu schnell ────── 第4番はハンス・リヒターの指揮で初演され、大成功に終わった。曲が終わると、ブルックナーはリヒターのもとへ行き「どうかこれで一杯やってください」と 銀貨を握らせたという。高名な指揮者に対するこの逸話はブルックナーの野暮さを示すものとして語られるが、純朴な作曲者は一体どのような思いで銀貨を渡したのか ── 当時の銀貨にどれほどの価値があるかは分からないが、そこには計り知れない価値が存在しているに違いない。 今宵の演奏は果たして巨匠に喜んでもらえるだろうか。 (文責:11期Horn 稲村 麻未) |