リデルハートの「クラウゼヴィッツの戦争論」に対する誤解
レイモンアロンによる糾弾
「戦争を考える」から
「ナポレオンの亡霊」の告発
1、ナポレオンの流儀についてのある解釈に責任がある。
これは有罪。
2、ソンム川とフランドル地方の殺戮に責任がある。
これは無罪とレイモン・アロンは言った。
P405彼の著作が、その死に際して「ほとんど完成していた」というのは事実ではない。
P405どんなに熱烈なクラウゼヴィッツ主義者でも、少なくとも部分的には、このリデルハートのクラウゼヴィッツ論告の一番目の理由には同意せざるをえない。「戦争論」は、その文体の故に数え切れないほどの誤解や間違った解釈を生み出した。
何故こういった文体、構成になったかという解析がレイモン・アロンには無い。「不要な絶対戦争の概念を何故放棄しなかったのか?」アザー・ガット&ギャリエ
(最近の研究では..戦争論の構成にはかなり問題がある。)
第一遍第一章
「絶対戦争」参照
レイモンアロンは、
P401「リデルハートは、クラウゼヴィッツの絶対戦争という概念を非難している(実はこれを理解することを拒否しているのである)」
と書いているので現在の研究領域まで達していない。
(文体は都合の良い教義(狭義?)を切り出して使うには都合の良かった?)
リデルハートの誤解部分
「戦争を考える」から解説部分を抜き出すと..
戦略は政治指導に従属する。
P406(大戦略は政治的指導と一体のもの)軍人たちがこの教えを理解しなかったのは、彼らがこのことを理解したくなかったからにほかならない。(真実が回復されるためには民間人によってこの書が読まれるだけで足りた。)
政治と軍事の優先順位の転倒はクラウゼヴィッツのせいではない。
機動について、
P409〜410「戦争論」の中で機動が明確に述べられていないのは、それは、クラウゼヴィッツが、これを戦略そのものの中に組み入れてしまおうとしているから・・・クラウゼヴィッツは、幾何学的な隊形よりも兵力数、精神、士気の強さに信をおいているので、結局は機動を知らないのだ、という印象を生み出してしまう。しかるに防御とそのさまざまな形式とに別れた編全体は、彼が前述したような誤りに陥っていないことを十分証明している。
ブライアンボンド「勝利の追求」
初期のクラウゼヴィッツ(1804〜1827年まで)は、機動にたよる指揮官を軽蔑し、戦力を最大限に集中せよ、決定的な戦闘によって敵の軍隊を撃破するために可能な限り攻撃的に行動せよ。と書いている。1812年の「皇太子のための戦争原則」ではナポレオンは戦略的な包囲を一度も行っていないと書き、後にジョミニより劣っていると批判された。
戦略論大系「クラウゼヴィッツ」付皇太子のための戦争原則P236
「(戦略的な迂回または包囲は)戦術的な迂回によっても達成できるので、戦略的迂回は、常に主要な地点における兵力が十分に強力であり、分遣隊を抽出してもまったく優勢が揺るがない場合にだけ奨励される。ナポレオンは、ほとんど常に優勢であったにもかかわらず、決して戦略的迂回を行おうとはしなかった。」
皇太子のための戦争原則P237
「主要な地点にできるかぎり兵力を集中するという前述の原則によって、もちろん戦略的包囲という思想は排除され、そこからわが戦闘力の配置はすでにおのずから明らかになる。したがって、この配置方式については、ほとんど述べる意味がない。」
しかし、
イタリア戦役についてのクラウゼヴィッツの分析を見ると
(翻訳されていないのでレイモンアロンのノートから..)
(クラウゼヴィッツはブルーセも「山岳戦原理」も知らなかった。(この本は発行されていなかった。)
ボナパルト方式、師団を迅速な集結が可能な状態を維持しながら分散機動させる。に気づいていた。
P122、123
「エッチェ・ミンチョ・キエゼ両河間にせよ、偵察隊が二日間で再集結できた配備」
戦略は決定的な役目を果たした。
「全面的な勝利は本質的にいくつかの戦闘の組み合わせが、フランス側に上首尾をもたらしたということに起因していた。・・・この場合、戦略が、ほかでは稀にしか見られないほど、ひときわ強く支配していたと言えよう。まことに、戦略はほとんど単独で、決着をもたらしたのである。」
ただし、ナポレオンの戦略は簡単な組み合わせだと考え、オーストリア側の失策が大きいとした。
有利な条件で戦闘、会戦を交えることを目指す戦略と決戦も会戦も行わず勝利も伴わない戦略機動とを分けている。
P417〜P419戦争を考えるレイモンアロンより
戦記の執筆に入ったクラウゼヴィッツはそれ以前のクラウゼヴィッツとはかなり違う。
つまり、「戦争論」の中には二つのクラウゼヴィッツが入り交じっている。
空間における兵力の集中で、「戦略にとって最も単純な最高の法則は、将師が彼の兵力を集結しておくということである。・・もし兵力を分割する正当な理由があるとすればそれはどのようなものであるか・・・いずれ論述する。」岩波(上)P310
防御、戦略的側面に対する行動で、軍を分割して攻撃する方法は、内線作戦(各個撃破)を受ける恐れがあるから危険だと書き、
防御側があらかじめ分割されていて集結が困難な場合。防御者が極めて有利で分割しても優勢が崩れない場合。攻撃側の前進力が失われ攻勢限界に達している場合。以外は分割攻撃を行ってはならない。と書いている。
岩波(下)P39
機動では、
(攻撃防御)いずれかが他に対しては優位を占めるなどと断言できない。岩波(下)P193
「戦略的機動に対してはいかなる規則も存しない。」岩波(下)P195
と書き機動のチェス的要素を強調している。
それとも、1827年以前の未熟なクラウゼヴィッツとそれ以後のクラウゼヴィッツの書いた文献を比較して、戦争論の完成した姿を想像しなければならないとしたら、戦争論の完全訳が在ってもクラウゼヴィッツ理論に届かないということになってしまう?
密集攻撃
P410クラウゼヴィッツは、翌世紀の未来の元帥フォッシュより明確に、火器(砲撃)の及ぼす結果に気づいている。彼は、整列する兵の数を減らし、かつそれらの兵の間隔をあけることによって、敵の砲撃の効果を弱めることを説いている。従って、火器による十分な援護もなしに携帯武器による密集攻撃を行うという考えほどクラウゼヴィッツにとって異質なものはない。
防御の優位
P411クラウゼヴィッツが徹底した戦術攻撃の教説家であるという伝説を払拭するためには、戦術理論などを参照しないで、「戦争論」の第六章を読むだけで十分である。クラウゼヴィッツは防御の力、つまりある種の陣地を攻略することの不可能なこと、よく選ばれ、装備万全の、抵抗している陵堡の難攻不落、もしくはほとんど難攻不落なことを強調してやまない。クラウゼヴィッツが防御の優位を強調するのは、戦略よりも戦術においてである。
グラウロッドで指揮をとったドイツの将師たちも、いわんや1914年のフランスの将師たちも、あるいは司令官ド・グラメゾンもクラウゼヴィッツを引き合いに出す権利はなかったし、おそらく彼らは、戦闘理論の概略さえ心して読んだこともなかったであろう。
ジョミニ、クラウゼヴィッツ、ナポレオン
リデルハートは、クラウゼヴィッツを批判し、ジョミニ、ナポレオン型の戦略思想に戻れと論じたが
「一撃で敵を撃破し勝利する」というナポレオン戦争の理想像はジョミニ、クラウゼヴィッツ双方に受け継がれている。ブライアン・ボンド
(ナポレオン型の決戦による勝利の追求)
(政治や経済を無視して純軍事的領域だけで)
リベラルなリデルハートが批判すべき元は実際にはナポレオンから発生していた。
吸血鬼ナポレオンと言われたように、決戦に勝利するためには手段を選ばないナポレオンは戦略の師とすることはできない。
(戦争を終結させる政治が無く、戦争で国家(兵)を養う方式は容認できない。(最後には自滅する道))
何故戦争論がこういった文体、構成になったかという解析がレイモン・アロンには無い。「不要な絶対戦争の概念を何故放棄しなかったのか?」
リデルハートの、絶対戦争批判部分は正しい。
国民の総動員を正当化するために創作した(改定後も残した)部分であって、正確な戦争解析ではない。
「クラウゼヴィッツ理論の歪みは、使い捨ての兵隊に意味を持たせるという欺瞞的理論を組む必要から歪んだ。 (理論好きなドイツ人は、目的に合わせて(歪んだ)理論を作る傾向がある。「目的が先で理論が後」)
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注、クラウゼヴィッツの歪みとは、
1.破壊的な「絶対」戦争の概念を放棄しなかったこと。 (戦争の真の性格、優先されるべきものとして残した。)
2.相手の打倒は自己の戦闘力を維持、攻撃することによって生じる自己の損害が許容範囲でなければ実行できない。という重要部分を後ろの章に分離してしまったこと。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−」
リデルハートが、「機動の拒否」と「集中戦闘力による激突の追求」をクラウゼヴィッツのせいとしたのは正しくない。
(注、レイモンアロンは、フランス将師の誤りは、いいかげんなフランス語訳「戦争論」の影響があると書いている。まともなフランス語版がでたのは1950年)
(誤訳の戦争論の..?)
レイモンアロンのリデルハート糾弾は、
レイモンアロンは、戦争論復活のために第一次世界大戦で大量の死者が発生した原因は戦争論には無いとしたが、「第1編第1章に合わせて類推して読む」という手法を用いても理念として残した絶対戦争、第2章に移した自己の戦闘力維持(許容範囲の損害)、 などかなり問題があり、たぶん無罪とは言えない。
(レイモンアロンは、無罪化のために難解な文体のせいで誤解されたと書いた。)
エーベルハルト・ケッセル
全体としては未完成の形態の戦争論だがその中に貴重な理論の断片を多く含みその理論は以後の時代の軍事思想を規定した。
レイモンアロンのリデルハート糾弾は、
戦争論中の有用な部分を使えるようにするための努力だった。
(無用な部分も復活させて悪用しようとする活動に利用されてる面もある)
リデルハートは、クラウゼヴィッツが絶対戦争を理念として残し、歪んだ形にしてしまったことを現在の研究同様に見抜き糾弾している。
この点はするどく正解です。
しかし、機動戦の復活という考え方は正しいのですが、ナポレオンとジョミニを持ち上げ、クラウゼヴィッツを下げるという手法は、実際にはクラウゼヴィッツの糾弾ではなくて、一般に流布しているクラウゼヴィッツと思われていた(思わされていた?)クラウゼヴィッツの糾弾でした。
リデルハートの努力、「歪んでしまった戦争方法を直すという」は正しく必要なことでしたが、結果として戦争論は二流の書籍と烙印をおされてしまうことになりました。
リデルハートは誤解したのか?それとも正確な戦争理論でもないものを第一に掲げる戦争論は、邪悪な書籍だから抹殺しようと試みたのか?
とにかく最後まで、リデルハートは戦争論を認めませんでした。
「ナポレオンの亡霊」引用、解析
P119
「クラウゼヴィッツの影響と彼が強調した要点を考えるとき、彼を、歴史上の大量集中理論と相互破壊理論の「救世主」(マハディー)と表現することに異議を唱えるものはいないであろう。」
この部分は、リデルハートが未完成部分をそのまま読んだため。誤解が生じた?
正しい読み方(2〜7編の未完成部分を完成部分から類推して読む)を知らずに読めば戦争論は下士官にねじを巻く兵隊教育用の教科書にしかならない。ファシズム全盛の時代に最後までリベラル・デモクラシーの立場を崩さなかったリデルハートならこう書くでしょう。
P119
「彼はいわゆる「絶対戦争理論」の父であったため、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない」という主張にはじまる彼が構築した理論に対する論争は、政治を軍事の奴隷とする、換言すれば、政治を軍事戦略に従属させる結果を招いてしまった。」
この部分は、政治と軍事の優先順位が転倒した状況説明、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない」は、現在でも戦争を肯定する(制限したりせず積極的に戦争に打って出ようとする)のに悪用されている部分
「絶対戦争理論の父」=人々は「絶対戦争理論」を戦争に勝つための処方箋だと考えた。
P120
「さらに不可解なことは、仮に戦争が政治の延長であるならば、それは、必然的に戦後の利益を考えて遂行すべきはずなのに、枯渇するまで国力を消耗するのでは、政治を破滅させてしまうという矛盾を理解できなかった。」
「絶対戦争」総動員用の仕掛け部分と政治は戦後の利益を考えて戦争指導を行うが互いに矛盾していることを見ぬいた。
しかし、クラウゼヴィッツが間違えたのではなく、わざと埋め込んだことに気づかなかった?
P122
「クラウゼヴィッツを正当に評価しようとすれば、読者は彼が制限した事項に注目する必要があるが、同時に、歴史の真実を知るためには、彼の抽象的概念に着目しなければならない。というのは、ヨーロッパの歴史の行方を決定したものは、まさにこの抽象的概念の影響であったからである。」
制限事項は、抽象的概念(絶対戦争)がこの制限で現実にはありえないことを現している。
しかし、人々は「絶対戦争理論」を戦争に勝つための処方箋だと考え実践しようとした。
P122
「加えて、クラウゼヴィッツ本人には、間接的責任とともに直接的責任もある。というのは、彼は、現実が抽象的観念に制限を認める一方で、抽象的観念を、実際の戦争遂行の理想としようとしたからでる。」
現在では、理想として残したのは誤りで、抽象的観念「絶対戦争理論」の破棄こそが正しいと解っている。
P124
「こうした表現を反復することによって、クラウゼヴィッツは、当初からあいまいな自己の哲学理論の全貌をさらに不明確にし、それを、単なる行進曲のリフレイン、すなわち、ラ・マルセイユズ(フランス国歌)のプロセイン版を作り、国民の血を沸かし人心を鼓舞するだけのものにしてしまった。注入されたこの教義は、将校用ではなく、下士官用のものであった。というのは、戦闘を唯一の「真に戦争らしい行為」とすることにより、彼の教義は戦略の優位を奪い、戦争の術(アート)を大量殺戮の製造者に仕立てて、さらには、軍人を先導して、有利な戦機を醸成することではなく、単に決戦を挑むよう仕向けてしまったからである。」
この部分は正しい。
ドイツ人とフランス人を見ればまさにこう言う意図で作った部分が戦争論に注入されているのは明らか...
(しかし、クラウゼヴィッツは世界が正しい理論部分を読み取らずこんな無様な結果になるとは思わなかった。)
P127
「ヨーロッパの軍人は、一世紀もの間、クラウゼヴィッツが誤解して主唱した、「人間と人間の格闘は、明らかに戦闘の基礎である」ということに固執した。」
損害計算の無い歪んだ戦闘モデルに固執したということ。
P144
「絶対戦争の概念は、クラウゼヴィッツの教義の源泉であるが、これは、彼のあらゆる戦略思想への貢献の中で、最も極端かつ非現実的なものであった。「絶対戦争」という用語の意味するところは、対峙する軍のどちらかが抵抗能力を消耗し尽くすまで継続される戦闘であり、現実には、勝者も力を消耗して極限に達することを意味するのである。」
ここは、制限事項をはずして戦争に勝つ処方箋だと信じて使った無能な蒋師達が悪いのか?
それとも、矛盾する絶対戦争理論(総動員用の仕掛け)を理念として残したクラウゼヴィッツが悪いのか?
P145
「1870年の戦争の結果はクラウゼヴィッツを支持し、彼の絶対戦争理論がヨーロッパの軍人に定着、あらゆる国家の軍人に議論の余地の無い真理として認められ、さらには、危険なまでに戦争に無知な世代の政治家に、簡単に容認されるようになったからである。こうしたヨーロッパ社会の思想に偏見が加わり、クラウゼヴィッツの哲学的理論は、第一次世界大戦の勃発を後押ししたのである。」
世間一般に広まったのは正しいクラウゼヴィッツではなく、ナポレオン戦争の悪しき投影部分の絶対戦争理論だった。
この部分は誤解ではなく実際に起こったこと
2003.02.04...
戦略論大系「リデルハート」の「ナポレオンの亡霊」を引用した部分の批判はリデルハートの正しかった部分を抜き出して誤りだと書いている部分があり悪文
HPでは「ナポレオンの亡霊」部分はクラウゼヴィッツを歪めて使用した
将軍たちの例として使ってるので「フランスの将軍の悪例」のほうはリデルハートの間違いとは関係ないのですが..
「クラウゼヴィッツの誤用」のほうは、
表題から考えると駄目な蒋師の誤用を抜こうと考えてたと思うのですが、ちょっと説明が必要なようです..
戦略論大系「リデルハート」の解説はかなりレベルの低い論文からそのまま解説を集積してあるようなので(「攻撃と防御どちらが優勢か?」というような低い視点から兵法書を抜き出すような御本とか..もろにミアー・シャイマーの悪影響下で書かれた論文とか..)一応書いときます。
参考書籍ガイドも戦略論体系「クラウゼヴィッツ」に比べるとかなり低い。(知識ってのは有用な書籍を読んでこそ身につくのであってこのガイドの選択は×です..。)
リデルハートによるクラウゼヴィッツの誤解は、最近の解説書を見ると、かなり歪んだ書き方をされているので(戦争論の誤用悪用とセット?)ちょっとまとめてみました。
リデルハートを貶める場合に使われる表現
戦略論大系P206
「はたしてリデルハートがクラウゼヴィッツの「戦争論」を一度でも精読したことがあったのかについては、今日でも不明である。彼がドイツ語をほとんど読めなかったこと、また当時、翻訳されていた戦争論の英語版には相当の問題が含まれていたこと・・も確かであるが・・」
実際、精読せずに「ナポレオンの亡霊」のような本は書けない。
ナポレオンの亡霊でのリデルハートの失敗は、ドイツでの戦争論研究方法、未完成な戦争論ではなくて、完成したとしたらどんな本になったかを類推して読むという方法をとらずに1827年以前の未熟なクラウゼヴィッツをストレートに読んで批判してしまったことである。
しかもこの類推は、第一遍一章を基本にするだけでは足らず。
1827年以前の文献とそれ以後の年代記の文献とを比べて
研究しなければたどり着けないようなのである..。
本文についてる注釈が悪い。
戦略論中のリデルハートの「戦争論批判」は、正解で誤っているところはない。
P48注釈
「ナポレオンの亡霊と比べてクラウゼヴィッツの批判トーンが弱まっている。」とだけ書き、リデルハートが戦略論中でも誤っているような印象を誘発させている。
P54注釈
クラウゼヴィッツは、絶対戦争という用語をあくまで理論上の概念として用いたのである。
(戦争の基本でもないことを理想として用いてはならない。)
P54注釈
絶対戦争の対局に位置する概念が制限戦争である。
(「現実には制限が多数あり、絶対戦争は起こらない。」)
(と説明をここでは書かなくてはならない。)
結局、絶対戦争の部分を残そうとするのは、
軍の利益から考えた解釈で、民主主義から考えた解釈ではない。
(徴兵制による安く使い捨てにできる兵隊を欲しがる)
(前にタバコ会社が禁煙の研究をしないと書いたが、)
(正確な解析は軍の縮小に繋がるから...)
間接アプローチの戦略面について
P57
WW1の勝利が連合側の経済的圧力によって達成されたと書いたのは誤り..。この注釈は正しい。
双方ともしょうもない戦闘を繰り返し出血死した..。
単にドイツより連合側が余力があっただけである。
(注、戦車による連合側の攻撃はもし大量生産が続いていたらドイツ側が戦線を支えることができなくなり敗北が決定する。)
スペイン風により両軍とも止めを刺された。
戦勝国側の将軍達が自身の罪(兵員の大量死)をドイツに転化するために苛酷な戦争賠償を強いたため(第二次世界大戦の原因を作った)ため戦争終結原因が分り難くなった。
しかし、
戦略的間接アプローチ(経済的圧力の使用)は、ソ連に対する穀物輸出(戦略的)やキューバに対する経済封鎖など。
戦争に至らない。攻撃方法として現在では定着しているように見える。
リデルハートのマハン流のイギリス海軍力の使用という考え方(当時の主流)という部分はかなり批判対象になる。しかし、それに便乗してリベラルなリデルハートの部分も否定しようとする書き方が最近の主流のようである。
リデルハート
カルル・フォン・クラウゼヴィッツ
経歴...
クラウゼヴィッツの誤用...
フランスの将軍の悪例
二種類の戦争(Die deppelte Art des Krieges)
初版本(first edition)
第1篇 戦争の本質について
「戦争とは政治の継続」
用語=>「絶対戦争」
文章集積
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