ナポレオン

一般的には英雄とか、軍事的天才とか、言われていますが。

解析部分
ナポレオンはサックス、ブルーセ、ブロイのコピー部分が多く 戦場では、負け知らずでしたが、機動戦を完全には理解していませんでした。
そのため、後半戦はプロシアのナポレオンと決戦を避け他の将軍を狙う戦略が (ナポレオンと相対した時は整然と撤退しました。)理解できず。 自身は連戦連勝を重ねながら、兵力を消耗し、たった1度の敗北で すべてを失いました。

ナポレオン戦法

まず、ナポレオン戦法の代名詞のように言われている。1796年 イタリア戦役(^.^)...

敵軍
オーストラリア軍3万8千 、サルジニア軍2万2千

フランス軍3万6千

飢えと貧困の真っ只中で乞食部隊だ!と言われていました。
「政府は財政困難で、兵は与えるが金や物資は与えられない」 と言われてイタリア方面軍に任命され...

有名なアルベンガの演説により部隊を統率?

「兵士諸君! 諸君は食うにパン無く、着るに服無く、夜露をしのぐ 天幕さえなき苦境において、銃を枕に洞窟で眠り、良く祖国のために 戦ってきた。 それにもかかわらずフランス政府は、諸君のこの驚嘆す べき勇気と献身に対して、なんら報いるところがなかった。 しかし、今後は違う予は諸君を率いて、地球上最も肥沃なロンバルジアの平原に進撃する。 広々とした田園の豊かな実り、繁栄している諸都市に山と積まれた金銀財宝 、それらすべてを諸君の取るに任せる。兵士諸君! 忠誠と勇気を奮い起こせ!」

指揮官自ら略奪戦を認めたこの演説のおかげでみんな喜んでついてきました。(@_@)...

    中央突破
 敵軍1    敵軍2
       ↑
       ↑
   ナポレオン
広正面に分散し敵の分散を誘い突然戦力を集中、2国連合軍の間に割って入り(分断し)各個撃破...
まずサルジニア軍を東と南から包囲攻撃して撃破オーストリア軍を240km追撃し追い払う。

しかし、前に書いたとおりこの作戦は、ブルーセの作戦(連合軍の心理と 各国の特性を巧みに利用した計画)のコピーでした。
ナポレオンはわざわざ彼の会戦史のコピーを取り寄せて参考にしたと言われています。

ガルダ湖畔の各個撃破 1796年4月

(-_☆)ナポレオン得意の内線作戦
そういえばこの基本戦略を使ったアニメがあったような。
(敵が馬鹿ばっかなのであまり好きではない。)
(宇宙で平面ナポレオニックをやる変なアニメだった。)(~_~;)...

    オーストリア軍
20000    カ    25000      5000
  ↓     ル      ↓   山    ↓
  ↓     ダ      ↓   山山  
  ↓     湖           山山山
  サロー  
        30000ナポレオン軍

      カスチクリオーネ

               マントバ要塞
           オーストリア10000
マントバ要塞に立てこもった1万のオーストリア将兵を救うため 5万の兵力で南下ナポレオンの挟撃を計る。

ナポレオンは敵の分断に乗じて各個撃破をもくろみまずサロに進撃し 敵2万を撃破し、返す刀で後方に迫ってきた敵の主力をカスチグリーオ 付近で撃破...

敵の進路の集合地点に全軍を集結して待ち構え敵の分離に乗じて1つずつ 攻撃しつねに優勢を保って戦い続けるナポレオン戦法の基本です。

このように初期には、広範囲な機動に基づく敵の分散(この部分がブルーセ のコピーにすぎずナポレオンには理解できなかった。)
と内線利用の戦力集中により勝ち続けましたが。+騎兵による徹底的な追撃戦

しかし、後期には、戦力を集中すれば勝てるような作戦計画が増え ナポレオン以外の将軍が育たなかったことと合わせてプロシアの戦略に 敗れたと言えるでしょう。

ナポレオン時代の実際...

フランソワ・ヴィゴ=ルシヨン従軍日誌から...
「この大尉は勇敢だったが、乱暴で略奪好きな男だった。勝手な行動に出た・・ ・」
「私は、指揮官の一人に与えた警告がきいて、兵が部署を離れないでいるのを 見て大変満足だった。勝手にあちこちの民家に入らず、誰一人その部署を離れていなかっ た。
フランソワ・ヴィゴ=ルシヨンは四か国語話せるインテリでこの時代では変わり者です。

第40連隊の方は、略奪のかぎりを尽くしていた。」 「師団長が私に会ってまず始めに尋ねた事は、公金はどうしたかと言うことだっ た。 私は、モブチ、ダリコ両将軍が管理しましたと答えた。師団長は眉をひそめた。「君が町を 強襲して占領したのだから、君が金庫を奪い、私に金庫を奪ったと報告しなけ ればいけなかったのではないかね。」と師団長は・・・・・・
ナポレオン時代以前は都市を攻略して略奪のかぎりを尽くすのが将軍や兵士の給料代わりに なってました。第二次大戦でも日本軍とロシア軍は似たようなもので旧時代の軍隊でした
連隊長はひと儲けしてきたかと私に尋ねた。私は私の大隊と敵の動きしか見て いなかったと答えた。彼はびっくりしたようだった。

取り敢えず今日はここまで、思いついたまま書いたのでまとまりがありませんが...
ナポレオンのあだ名に(食人鬼(オグル)、ジャッカル)という在り難くないものが あります...
フランス兵士の平均寿命3年(戦没率30%(戦場4.5%))

マルモン元帥の告白
「ワグラムの戦いの後、大地を蔽うばかりの死傷者を眺めながら、 皇帝が示したある種の好奇心は、私がついぞ理解できないもの だった。その真意は死傷者の散乱状況を視察し、作戦の可否を 再検討することにあったようである。」

一般に将軍は兵士を引っ張って行かなければならないのでこういう行状が おおやけになるとまずいですが...
なかなか良い検証方法だと思ってしまうのは、シュミレーションゲーマーの嵯峨か?


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