ノルマンディー上陸作戦(血のオマハF地区)


映画プライベートライアン前半部分が75%の死者(注意!死傷者では無い)を出した...
この血のオマハF地区です。

映画プライベートライアン前半部分の描写がDDAYのすべてだと思ってしまうと困るので DDAY、(ノルマンディー上陸作戦)について少しまとめてみます。

ノルマンディー上陸作戦は上陸地点を暗号名で呼び ユタ、オマハ、は米軍、ゴールド、ソードは英軍、ジュノー、はカナダ軍 の作戦地域、オマハ海岸は西からC、D、E、Fの4つに分けられた


この映画を見てこれが戦争だなどと思ってもらっては困ります(-_-;)...
この悲惨な上陸作戦は相次ぐ失策が重なった結果で 他の米軍の上陸海岸ユタでは、一日目の死者が12人(半分は地雷除去中爆死) しかでてなかったり(これは上陸地点が強風のためずれて手薄な地点に上陸しただけ ですが(-_-;)...)
オマハと同じように強固に防御されている海岸に上陸したイギリス軍は特殊機甲部隊を先に 上陸させて防御陣地を粉砕し僅か一時間足らずで海岸を突破しています。
これらの戦車群が戦車揚陸艦の中から砲撃を始め、歩兵部隊の上陸前に揚陸され88と撃ち合い ながら地雷除去、敵陣地破壊、進撃路建設などを行いました(゚o゚)...

ホバートの怪獣戦車部隊
別名、ザ・ズー(動物園)、ホバートのおかしな奴ら(ホバーズ・ファニーズ)


ゴールド海岸、イギリス歩兵部隊の揚陸に先立って上陸した ホバートの第79機甲部隊、DDAYのために1000両近く作られた...


水陸両用戦車、四角い布製の囲いで浮力を着けて水上走行した。


クラブ地雷除去戦車、回転する鎖を打ちつけて地雷を自爆させる

架橋戦車、戦車壕などの壕に橋を架ける、
カーペット戦車、海岸にカーペットを敷いて道路を作ってしまう。
(ソダ束を詰めて戦車壕などを埋めて整地する工兵と協力して進撃路を作る)

敵陣地破壊用
臼砲戦車、
クロコダイル戦車、火炎放射器戦車
(敵の防御拠点を粉砕するトーチカなどの機銃陣地には火炎放射器が有効)
(堅固な陣地も臼砲で文字どおり吹き飛ばした。)

追加、工兵戦車は...
デノバンと言うカナダ人の開発したチャーチル戦車を改良した特殊工兵車両AVRE (25ポンドの炸薬を打ち出せる臼砲装備)に
各種アタッチメントを付けた物です...
SBG突撃橋、ボビン絨毯敷き装置、バンガロー・トーピード防壁爆破装置、 ファッシーンズ超壕装置、ポーパス水密トレーラーなど

しかし、米軍は、この特殊戦車群を懐疑的な目で見ていたので 水陸両用戦車しか採用しませんでした。

リデルハートは、
英国人嫌いのブラッドレー将軍がホバートの作った特殊機甲部隊の支援を 断ったことがこの悲劇の原因だと言っています。

リデル・ハートの指摘
分析の結果によると、ホバートの特殊機甲師団をじゅうぶん協力させようという、 モンゴメリー大将の申しでを、アメリカ軍の高級指揮官たちがうけるのにちゅう ちょしたために、アメリカ軍が高価な代価を支払ったのはあきらかだ。

血のオマハ海岸に上陸したのは、上陸した米軍11個師団中 ただ一つだげ戦闘経験がある(地中海戦線で活躍した)第一歩兵師団でした。
失策の累積...
悪いことに上陸5分前に揚陸するはずの水陸両用戦車を5キロ沖合いで海に降ろして しまったため27両(84%)が沈没してしまい...(オマハ左翼のF地区)
(荒れた海で波を被ってあっという間に水没した奇跡的に2両だけがたどり着いた)
(上陸用舟艇の開閉装置の故障で3両は無事に岸まで送られた...)

工兵隊、砲兵隊も水陸両用車に装備を積み過ぎて沈没させてしまい 装備をほとんど失ってしまいました。

米軍は海岸の障害物や地雷の除去を人力でやらねばならず被害が続出しました。
(地雷の除去=ユタ海岸の話、オマハでは地雷除去する間もなかった...)
(映画で米兵が走っている所は地雷原なんです(-_-;)...)
海岸の障害物=米軍はブルトーザーを使ったがドイツ軍の銃撃、砲撃で すぐ破壊されてしまった。

支援の艦砲射撃も対地爆撃も目標を外れて海岸後方に落ちてしまい 煙と味方に当ててはならないと遠慮したためだそうです(-_-;)...
(B24、300機の支援爆撃は煙に遮られて海岸を爆撃できず 海岸から5キロも内陸に爆弾を落した。)
そのため無傷のドイツ軍陣地と対戦するはめになりました。

上陸部隊は文字通り粉砕され海岸は死体で埋まりました。 結果オマハ全体で、1000人の死者を出しました...

上陸から3時間たっても突破口を開くことができず 夕方になってやっと海岸を確保することができました。 この日のアメリカ軍の橋頭堡は海岸から1kmぐらいしかありませんでした。

対するイギリス軍は初日で奥行き15kmの橋頭堡を作りましたが ドイツの予備兵力がオマハ海岸にやってくるのを防ぐために 右翼は、機甲師団の前進を抑え、左翼はドイツ軍の21機甲師団と 対戦したため奇襲による突破には失敗しました。
(初期の作戦の遅れたもう一つの原因は、輸送計画を綿密に建て過ぎて)
(しまったため柔軟性が無く海岸が上陸する部隊と補給物資の山で)
(渋滞になってしまったことが上げられます。)

この作戦は日本軍やドイツ軍のようにいきあたりばったり
の作戦ではなく補給、兵站面から18ヶ月かけて完全に
計画された作戦でした...

M・V・クレヴェルト、補給戦より

上陸地点を選んだ後、最初の90日のための包括的兵站支援計画が仕上げられ
た。上陸する兵の数、場所、日時、順番が正確に決められた。

そのほか、海岸の障害物除去の作戦手順、それのみならず廃棄物の捨て場所、
ある揚陸方法から他の揚陸方法への切り換え点
(たとえば、海岸線で行動する上陸用舟艇や水陸両用車から、イギリスから
来航するリバティー型船舶(戦時標準輸送船)への引き継ぎ、さらにその後
アメリカ本土から直接来る大型船への引き継ぎ)
またある包装方法から他の包装方法への切り替え時期さえも
(たとえば上陸から15日目にはジェリカン(石油缶)からかさばるドラム
缶に換える)決められた。無数の品物を正しい時間に正しい場所に揚陸する
ために、厳密な優先順位が作られた。それに従って文字通りあらゆる品目に
ついて、集積、請求、包装、引き渡し、分配の詳細な手順が決められた。
連合国軍はいくつかの港を占領し、兵と資材の揚陸用に使うつもりだった
から、10余の港湾を修復する計画
(一日当たり数百トンしか扱えない港まで含めて)が考え出された。
これは、この目的のためにどの資材が、どこに、いつ必要かをあらかじめ
決めておく作業だった。
この計画は非常に範囲が広く、完成までにまるまる2年かかったのは驚く
には当たらない。比類なき大木さと徹底ぶりを示した作戦を見ると、作戦の
勝利は大部分計画がうまくいったためだと考えるかもしれないが。

だがそうではなかったのだ。
上陸後数時間も経たないで、順序よく揚陸させるための計画は、
大波(人工港湾マルベリーズはこの波のために破壊された)と、特に
アメリカ軍地域では猛烈な敵の抵抗のために、
(アメリカ軍はイギリス軍のような工兵戦車を使わず、失策から)
(水陸両用戦車をほとんど沈めてしまったためドイツ軍の海岸)
(陣地を攻略できなかった。)
ことごとく失敗に帰した。航路を誤ったことによって、上陸は間違った
場所に間違った順番で行われた。その結果工兵部隊が攻撃部隊
より先に海岸に着き、非常に少ない兵員と資材で、攻撃部隊の援護
もなしに作業しなければならなかった。
上陸後数日間は海岸の海岸の障害物除去が遅れ、また内陸部
への出口が十分に開けなかった。そのため全地域が絶望的な
までに混雑するようになり、もしもドイツ空軍が攻撃してくれば
(ルフトバッフェは東部戦線に引き抜かれてしまっていて)
(「俺の部隊はどこへ行ったんだ」とか文句を言いながら)
(フォッケ2機で海岸を機銃掃射して逃げたとか...)
(とても空中戦をできる状況ではありませんでした)
(この日11000機の航空機が投入されましたが一機も)
(ドイツ軍機と戦ったものはありませんでした...)
かっこうの目標になったであろう。
多くの車両は防水が不十分だったことが分かり
その多くが失われた。波立つ海を10ないし12マイル
航海させられて、積み荷過重の水陸両用車両は
燃料が尽きて沈んでいった。トラックが不足していたため、
水陸両用車両は普通より内陸へ深く進み、その結果
引き返すのに時間がかかったし、操作はうまくいかなかった。
このような条件の下で、最初の一週間に海岸に揚陸された補給
物資は、計画立案者の予想の半分にすぎなかった。
(計画があまりにも詳細すぎ、補給物資揚陸の優先順位を守ろうと
したために、大混乱と果てしない遅れが発生した。)
計画最大の欠陥は、戦争に必然的に伴う摩擦に対して、十分な
用意をしていなかったことで...
補給パイプラインの末端に発生した混乱が、直接パイプライン
全体にはね返った。

補給のかなめとなるはずの人工桟橋の建造は稼動する前に
台風でばらばらになり上陸地点に破片をばらまき
船の航行を危険にしただけでした。

上陸日二日めから優先順位を無視してなんでもかんでもすべて
の物資を海岸から揚陸することに決定し
意外に海岸からの揚陸量が多かったのと戦線の拡大が遅かった
ためになんとか補給切れという状態にはならずにすみました。

ドイツ軍の包囲を突破したコブラ作戦
結局、37個師団、一日4万トンの補給物資が集積され、
ドイツ軍は物量の前に押し潰されたのでした...
(アメリカ軍部隊は他の国が夢想だにもしないかったような多数のトラック)
(部隊を持っていました、6月25日の時点で227個トラック中隊)
(30個師団が200マイル前進するのに必要な輸送能力に匹敵...)
(実際に必要な量の1.5倍...)
(こういう数値が1倍になること自体枢軸国ではまれ...)

大西洋の壁
ヒッットラー宣伝の大西洋の壁は、準備不足でほとんど完成してい
ませんでした。
しかも、ドーバー、カレー方面を重視したため、ノルマンディー方面は
さらに手薄でした。
上陸支援のために行われた補給線破壊のための爆撃で
輸送がほとんど停止してしまったためコンクリートなどの
建築物資が届かず陣地は粗雑な物でした...

ロンメルの機甲師団による海岸撃滅作戦
ロンメルはバクチを討ち連合軍上陸地点に
ドイツ装甲師団を配置して24時間で撃滅す計画を
建てました...
しかし、あまりに危険な計画のため反対され、機甲師団
はヒットラー直属にされ連合軍の上陸を待って移動する
ことになってしまいました。
もし、ロンメルの計画が成功していたら
ホバートの特殊装甲師団は、大打撃をこうむっていたでしょう

連合軍は波学者を集めて波の方程式を作りだし
上陸日の波の高さを割り出しました。
ロンメルが台風の接近で連合軍の上陸は無いと思って油断して
いる所への上陸に成功しました...

DDAYに先だっておこなわれた空挺部隊の降下
この作戦は降下に失敗して各部隊がばらばらになって
しまいました。
しかし、その結果ドイツ軍は敵の主力がどこにいるのか解らなくて
大混乱してしまい...
掃討作戦に追われて海岸防衛隊への支援ができませんでした。
空挺部隊はかなりの損害を出しましたが作戦は成功でした。

ドイツ軍戦車vs英米戦車の戦いは...

消耗戦となり、攻撃側は常に大量の戦車の損害を出した...

攻勢に出るとドイツ軍は絶対数が少なく交戦距離が短い
(ボカージ、分厚い生け垣や土手に囲まれた小さな畑の群れ)
ため側面から撃たれたり、対戦車砲(6ポンド、17ポンド砲)
に食われるケースが多かった...

攻勢に出た連合軍戦車は装甲が薄くドイツ軍の少数のパンターやタイガーの
まちぶせにあうと簡単に全滅した...
(あまりにも簡単にやられるので自国の戦車に対する不信感が募ったのと)
(連合軍戦車兵は積極的に攻撃に出なくなった。)

バズーカ砲などの歩兵用近接対戦車兵器の普及により
至近距離の戦闘での戦車被害は膨大なものになった。

長射程距離の砲が使えるカーン地域ではドイツ軍の対戦車砲が
猛威を振るって連合軍の前進を阻んだ...

結局
ドイツ軍戦車が消耗していなくなり、物量の多い連合軍が押し切った...
注、
プライベートライアンが賞を取ったのは、アメリカでタブー視されていた 血のオマハを描いたためで、現在でもアメリカ側の資料からノルマンディー上陸作戦を読むと原因などがぼかされていて書かれていない。

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