95式軽戦車



機動力及び装甲厚
乗員   3名
全長   4.3m(砲を含む)
全幅   2.07m
全長   2.28m
キャタピラ幅  25cm
接地長      229cm
接地圧 0.646kg/cm2
全備重量  7.4t  重量 6.7t
機関   三菱空冷直列6気筒ディーゼル
出力   120HP
回転数  1800rpm
変速器  前進4段、後進1段
出力重量比 15.99PS/t
馬力荷重 61.79kg/PS
燃料容量 100+30リットル
潤滑油  リットル

最大速度路上 40km/h
路外     22.4km/h
最大航続距離  160km
路上
未整地
登坂能力 40度、長時間30度
超濠幅能力 1.8m
超濠高能力 0.8m
渡渉水深  0.975m
回転半径 信地およびm
燃費   km/リットル
運行時間 h

武装
94式、37mmL36.7戦車砲、MG×2
初速600m/s、-15~+20°左右10°
砲塔はギア旋回ではなくて車長が肩で押して旋回させるため
微妙な射撃用の調整には別に左右に動かせる砲架が必要だった...
射程         25  100  250  500  750  1000 1500m
APHE        (20) (20) (20)  20   14    8
九四式徹甲弾(AP-HE)、0.67kg、570m/s、
九四式榴弾(HE)、0.645kg、63g、583m/s
(人馬殺傷半径5m)
7.7mm車載重機関銃、20発入り弾倉、735m/s
弾薬数 120発  2770発

装甲(mm)
,     前面   側面  後面
車体  12mm 12~10mm  8m
砲塔  12mm 12mm    12mm
上面 6mm 床面 8mm
-------------------------------------------------------------
射程    25     100    250   500  750  1000 1500m
APHE   20(33) 20(30) 20(27)  20   14    8
(94式徹甲弾の性能不足のため20mm以上の装甲板は撃ち抜けない)
-------------------------------------------------------------
戦車第4連隊(軽戦車主力)
「ノモンハンでソ連戦車に対しての射撃で800mで滑っているため400m
に距離を縮めて...」
フィリピン
「95式では、M4に対しては側面から狙っても全然敵わなかった
(95式6台で道路の左右に隠れてやってきたM4を左右から滅多撃ちにした)
(何事も無かったかのようにM4の砲塔が旋廻して4両が返り討ちに遭った)
そのため、榴弾で支援射撃を...」

修正(-_-;)...
初めは傾斜装甲のためかと思っていたのですが
貫通力自体が無いってことで正解みたいです。(~_~メ)...
(BT5戦車は装甲自動車なみの装甲厚しかないので)
(あまり参考になりません...)
(T26後期型の方が装甲から見ると強そうです...)
(これと撃ち合って負けたのかな?(-_-;)...)

 製造会社  
生産期間   1936年〜1943年
生産台数   36年31両、37年80両、41年700両
。     42年700両、合計2375両
この戦車砲は日本軍が一般的に使っている37mm94式対戦車砲と違い 薬莢の小さい小型の砲です
味付けは対戦車砲と言うより榴弾を使う 歩兵戦向きです。
砲塔は手動旋回ギアではなく肩で押して回します。
主砲だけでも左右に10度動かせました。
(注、37mm口径の榴弾は小さすぎて威力が無く)
(ソ連は戦車の主砲を37mm−>45mmへ代えています)
(、米も歩兵部隊の支援用37mm−>75mmクラスへ代えています)

騎兵部隊仕様の7t戦車
生産は1935年〜1943年、1300輌生産
どこの戦場でも日本戦車の写真と言うとたいてい この95式軽戦車が写っています。

装甲、機動軽戦車を作る場合各国は15t 懸架装置、ARMからコピーしたジーザス方式は前後振動が
なかなか収まらず接地長の短い軽戦車には不向きのようです。
車体側面の張り出しは砲弾収納のためのスペースで
ここに被弾すると致命傷でした。

戦車の一番大事な信頼性と言う点では優秀でした。
マレー戦で1100km、スマトラ戦で1000km走って 一台の故障もなかったそうです。
しかし、この機動性を巧く使えたかどうかは...疑問です。
マレー戦では装甲12mmで小銃弾しか防げないのに 重防御された敵陣地に無理に突撃してで全滅したりしてます
その結果しかたなく迂回したものを機動戦と 称してるフシも...(-_-;)

特徴的な戦いを2つピックアップしてみましょう。

昭和14年(1939年)7月ノモンハンの戦い(95式軽戦車の意外な活躍)

37mmL37戦車砲は、 何故か最新型の97式中戦車や旧式になりつつある89式戦車の 57mm戦車砲よりソ連のBT5〜7に対して有効でした(-_-;)...

初戦では、95式軽戦車35両がBT戦車、8両、BA10装甲車3両の偵察部隊を 追い払っています。
(追加、この戦果は、戦車の性能よりも自軍の軽戦車のことをよく知っていた)
(玉田大佐の戦術が無理しない良かったからでした...)

BT戦車は装甲が薄い15mm(傾斜装甲を計算すると16mm〜21mmぐらい)なので
日本軍の94式対戦車砲(37mm)でも1000mの距離から有効弾を与えました)
(有効射程が短いので隠蔽しとかないとアウトレンジされちゃいます)
訂正
(正確に直角に装甲板を狙わないといけない(弾頭が滑る)
(ため700mぐらいが必中距離でした。)

ちなみに...
94式対戦車砲(37mm)は...
貫通力
射程  25 100 250 500 750 1000 1500m
AP-HE  44  40  36  31  26   21要修正...
弾頭強度不足...
貫通できるのは20mm程度まで...

薬莢の大きさは...(砲弾はみんな同じです)
94式37mm速射砲、166mm
94式37mm戦車砲、133mm
98式37mm戦車砲、150mm

98式37mm戦車砲700m/s?、どの程度装備されたのか不明...
しかし、低性能な弾頭のままで、94式対戦車砲以下なので
性能は期待できない...
戦車戦敗戦の原因は数の劣勢(敵戦車は5倍(-_-;))と主力戦車の貫通力不足が 致命的でした。 ここでは、95式軽戦車はなかなか活躍しています。
(ジューコフ将軍は日本の戦車の総数を136台と2倍に見積もっています。) (敵将軍を騙すぐらいは活躍したと言うことでしょうか。) (装甲が薄いので当たると簡単にやられちゃいますが(-_-;)...)

1943年11月19日タラワ...(不甲斐ない最後)

ここを防衛していたのは海軍陸戦隊でしたが95式軽戦車14両が配備されて いました。
しかし、艦砲射撃で稼動数は四台に減り 米軍は戦車が配備されているのを知っていたのでM4中戦車6台を上陸用 舟艇で輸送(海岸にたどり着いたのは2両のみ)
その他37mm対戦車砲も急いで揚陸されました。
95式軽戦車はジャングルの中から奇襲してM4戦車に命中弾を与えましたが 装甲がへこんだだけであっさりM4に葬られてます。 他の方面へ突撃した95式軽戦車も対戦車砲にあっさりやられて全然良いとこ無し でした。

95式軽戦車は、同盟国のタイなどへも輸出されましたが 現地の気候が合わず、日本の装甲の欠点、残留応力割れが 熱帯の湿気や昼夜の温度差により発生し...
装甲がバキバキとヒビ割れてしまうものが続出しました...
そのため不良品をよこすとは何事と怒られ、しぶしぶ熱帯気候を再現して 実験したとか(でも研究してる方は割れるのが当たり前と思っていた?)


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