硫黄島(N2戦闘指数計算例)

まず、学術書に載っている一般的な数値です...
米軍の武器効率、日本軍守備隊数÷累積米軍兵力
b=21500/2037000=0.010554737358861
日本軍の武器効率、米軍損害数÷日本軍守備隊累積兵力
a=20265/372500 =0.054402684563758
上陸した米軍m0=54400、日本軍守備隊n0=22000
戦闘3日目m3=56000(実質増+5422)
戦闘6日目m6=66000(実質増+13138)
「ランチェスターの法」J・H・エンゲル より

第二法則の基本式2(方程式解)
硫黄島サンプル1...
m=2226.51594e0.02396260t+52173.48406e− 0.02396260t
n=980.70719e0.02396260t+22980.70719e− 0.02396260t
残存米軍m=21556人、損害32844人、交戦時間t=65.8day
初期兵力でそのまま推移するとどうなるか...
戦闘は二ヶ月に及び米軍には三万人近い損害が出ることになります。

硫黄島サンプル2...三日目までの米軍損害-1181人
m=4984.66412e0.02396260t+51015.33588e− 0.02396260t
n=2195.58093e0.02396260t+22470.58093e− 0.02396260t
残存米軍m=31893人、損害24107人、交戦時間t=48.5+3day
そこで三日目に兵力を追加して56000にしますが
戦闘は1ヶ月半、損害もあまり改善されません...

硫黄島サンプル3...3〜6日目までの米軍損害-5126人
m=12022.27339e0.02396260t+53977.72661e− 0.02396260t
n=5295.41681e0.02396260t+23775.41681e− 0.02396260t
残存米軍m=50948人、損害15052人、交戦時間t=31.3+6day

六日目には第3海兵師団を投入し...これで歴史どおりの兵力推移になります

累積兵力数から両軍の武器効率、技量指数を推定し...
実際の戦闘記録による米軍の兵力数偏移と
方程式で導き出した兵力減少カーブを比べた結果は、ほぼ一致し、
二次法則の現実適応性が実証されています...

論文は、
ランチェスター二次方程式のラインと一致していると結論を出していますが...
この「武器効率、技量指数」を他の島の数値と比べると作戦や戦記に書いてある
様子と合わない。
他の情けない戦法と違ってかなり硫黄島は欧米に近づいたはずなのに?
(開墾地を浸透作戦?)

注意...
実際の論文に使われているab値は、0.054と0.011でbは4%近く違います..
これは、この値で四捨五入すると実戦値に近くなるために学者が意識的に
やったことなのでサンプルではかなり小さな値まで使いました。
実測値とずれてきますが、上陸作戦、すり鉢山と北部高地の両側から撃たれて
いる状態とその後の作戦ではかなり差がありますし日本軍の対応の変化でも
日々の数値が違ってきます...
全体を大きな数値として大まかに計算してしまうランチェスターシステムでは
このぐらいのブレは当たり前のことだとおもいますし...
「二次方程式のラインと一致」という結論は変わらないと思います。
ここでの問題は、武器効率、技量指数です...
------------------------------------------------------------------
薀蓄...

万歳突撃、
いままでの上陸作戦では、必ず上陸日の夜に日本軍の突撃があった..
米軍側は、照明弾を打ち上げて機関銃網をひいて待ち構えていた...
いつもこの無意味な突撃で兵力を消耗するので米軍に馬鹿にされていた...
(奇襲でしかない作戦を毎回ワンパターンのように繰り返したため)
(対応されて無意味な出血になった...)

水際撃退、
海岸に陣地を並べて上陸部隊を撃退する...
しかし、海岸陣地は艦砲射撃で簡単に破壊された

栗林中将は、両方とも禁じ、内陸に築城して米軍を迎え撃つ作戦をたてた...
築城といっても、
土地の傾斜や山の崖に穴を開けて作った隠蔽陣地で
四角コンクリートのトーチカでは無い、目立つとすぐ艦砲射撃と爆撃がきて
破壊される...
ここから上陸地点の砂浜や米軍の進撃する平原を遠距離機銃掃射、砲撃した...

火点も1,2,3、と順番に後退していけるようにトンネルでつながっていて
米兵が近づいてきて危なくなると大事な機関銃を後の火点に下げたり
前の破壊された火点に地下道を使って兵を送り込み米兵を後から襲ったりした...

射撃地点の見えない迫撃砲や機関銃は有効な兵器になりましたが...
砲撃は発火点が見えてしまい...(回りは敵艦隊で常時監視されている...)
反撃の爆撃と艦砲射撃で簡単に破壊されてしまいました...
総攻撃に使わず隠蔽しておいた砲も一度撃つとすぐにたたかれて使用不能になった。
「これは、米軍が陸海空統合した通信システムを整備したためで」
「観測航空機や兵士による着弾の誘導がスムーズにできました...」
------------------------------------------------------------------

原因を考えると...

1.すり鉢山指揮官の命令無視...
旧来の戦法を変えるのは大変で...
すり鉢山に派遣した指揮官が勝手に突撃して兵力を消耗してしまった
(挺身切り込み隊、肉薄攻撃隊、目だった成果はなかった...)
10日持たせるはずが3日で落ちた?
「連絡用洞窟が完成しなかったためすり鉢山に別に指揮官を派遣する必要があったが
駄目な指揮官を送ってしまった...」


2.すり鉢山守備隊の怠慢...
海兵隊の記述を見るとすり鉢山に米軍国旗を建てられたのは
日本軍の怠慢からで見張りを立てるのを怠り40人の海兵隊員を
山頂まで登らせてしまった...
「火口には日本軍の機関銃や迫撃砲が多数セットされていたが」
「一人の日本兵の姿も見かけなかった...」
海兵隊にとっては不思議でしかたのない現象だった?
山の斜面を登っている間に簡単に全滅させられるだけの武器が配備してあった

気が付いた日本兵と戦闘になったが洞窟の入り口に火炎放射と爆発物を食らい
数分で全滅してしまった...
(後で洞窟を調べると150人以上の日本兵が自決(手榴弾で)して果てていた)


3.海軍との妥協(作戦の分裂...(後退配備戦術への転換の難しさ))
海軍は、水際殲滅戦術を最後まで捨てることができず...
結局無駄な水際トーチカを作ることになってしまった
(135個建設予定(24個完成))
しかし、
相次ぐ艦砲射撃で破壊され修理が追いつかず最後は無用の長物になった...
(修理用コンクリートが足りなくなり規定の防御力が無いハリボテになった)

#
#
#
#

結論から言うと米軍の上陸時の日本軍の兵力数が実際と違っているためでした...

すこし古めの硫黄島から帰還した兵士の話を見ると...
 「米軍の上陸してきた時の日本軍の兵力は最初の半分ぐらい」(゚-゚)...
ということでした。
「現地では水が手に入らず硫黄島は活火山の頂上が海に浮いている状態なので」
「池も小川も沸き水も無く...」
(雨の降る時期は外れていたので雨水も駄目でした)
(僅かな住民の使っていた雨水の貯まる瓶は司令部が押さえてしまいました)
(元々二万人分も無かった...)
「井戸と言われているのは温泉の噴出しのような塩水と硫黄の混じり」
「(汲んだ時は地熱で温まって湯気が出ている)とんでもないもので...」
(重金属が混じっていた)
兵士のほとんどが下痢に襲われ、塩分濃度の異常からの乾きに悩まされました
この状態でガスの吹き出るトンネル掘削に従事したため...
ばたばたと倒れる兵士が続出して...
病人の群れか兵士か判らなくなったそうです。
1日10回ぐらいの下痢でふらふらしてるぐらいが兵士の平均的な健康状態で
普通に働いていました...

「汚物と蝿の島...」
(調子が悪くなると20回、30回の下痢と発熱が襲ってきてトイレに駆け込む)
(のが間に合わなくなり、(砲撃や爆撃が激しくなると狭い壕でじっとしている))
((時間が多くなり)どこもかしこも汚物まみれになっていきました)

動けなくなった兵士は木陰や小屋の隅に寝かされているのですが
大量発生した蝿がからだ一面にたかってみんな真っ黒になってしまったそうです。

野戦病院に担ぎこまれたらもうおしまいで
(看病しようにも水が無くてどうにもならない...)
数日で干乾びて...
#
#
#

水についての追加...
スコールの記述を別の本に発見...
「ありとあらゆるものを使って雨水を集めた」
鉄兜、飯盒、シート...
しかし、これだけでは全然不足していて(゚-゚)...
砲撃のなかスコールが降って塹壕の中で、「勿体無い...勿体無い...」
とつぶやきつづけたとか...
つまり、塩水だけ飲んでいては僅かな間しか人間は生存できないので...
この雨水がなければ全滅していた?
ということのようです(-_-;)...

#
#
#


日本軍の場合健康な兵士とは自分の足で歩ける(だけ?)兵士のことを言い
方程式の日本守備隊の数字はかなり小さなものにしなければならないようです...

2のすり鉢山守備隊の怠慢...
(後で洞窟を調べると150人以上の日本兵が自決(手榴弾で)して果てていた)
は...
守備隊の怠慢ではなくて...
動ける人間は全部前日の突撃と北部へ合流するために移動してしまっていて...
病気でほとんどふらふらとしか動けない傷病兵であきらめて自決してしまった
というわけらしいです...
(戦記などに書かれている前日の損害数字が小さいので誤解しがちですが元々)
(の分母が半分とするとこうなります...)


もし日本守備隊の数を22000の6割から5割程度の数字にして計算すると...
硫黄島サンプル1x...
m=2226.51594e0.02396260t+52173.48406e− 0.02396260t
n=588.42431e0.02396260t+22980.70719e− 0.02396260t
残存米軍m=21556人、損害32844人、交戦時間t=65.8day

硫黄島サンプル2x...
m=4984.66412e0.02396260t+51015.33588e− 0.02396260t
n=1317.34856e0.02396260t+13482.34856e− 0.02396260t
残存米軍m=31893人、損害24107人、交戦時間t=48.5+3day

硫黄島サンプル3x...
m=12022.27339e0.02396260t+53977.72661e− 0.02396260t
n=3177.25009e0.02396260t+14265.25009e− 0.02396260t
残存米軍m=50948人、損害15052人、交戦時間t=31.3+6day
となり...

攻撃軍の武器効率、技量b=0.0063328424153166
防御軍の武器効率、技量a=0.0906711409395967
の結果を得ます...

栗林中将の後退配備戦術は、部下の失敗や無駄な水際陣地、兵士の不足
などで割り引きされてもなお有効な戦術だったと証明できるようです...

築城陣地に対しては3倍ではなく7倍の兵力差が必要だったというわけです。
(この数値はすごいとか作戦が上手いとか言うわけでは無くて...)
(WW2で重防御された陣地を正面突破するのに普通に必要な戦力です..)
リデルハートは、「攻撃には3倍の優勢がいる」と書いていますが...
太平洋側でも、やっとまともな防御戦闘をやった証明ができました(^^)...
#
#
#

米軍の作戦は飛び石作戦で弱い所を叩き強そうな所は兵糧攻めにするので...
重防御拠点は、終戦まで閉じ込められた島のほうが多そうな...

平均すると遊兵化した罪のほうが大きいようです。
(制空権を無くしてから慌てて派兵...)
#
#
#
#

日本軍の場合、旧来の戦法を新しい戦法へ換えるのは難しい作業でした...
硫黄島だけでも随所に反対や妨害、作戦無視が現れています。
沖縄でも作戦分裂から無益な攻勢に出て部隊を消耗しています...
#
#
#
#

IOW JIM1978小谷秀二郎、サンケイ出版
硫黄島「勝者なき死闘」ビル・D・ロス
IWO JIMA
Legacy of Valor
by BILL D.ROSS
読売新聞社


「戦争と人間の記録 硫黄島守備隊」、越村 敏雄こしむらとしお
筆者は1944.7.14〜1944.11.01まで硫黄島に...

さまざまな本で渇きに苦しんだ記述があるが、この本はけっこう詳しい...
作者は、米軍上陸以前に病気で倒れて(二度も)死線をさまよっている...
(多数の病人が担ぎこまれて病死する様子が書かれている)
運良く飛行機で本土に輸送された...

筆者は11月までしか硫黄島に居なかった...
しかし、作者の居た時にすでに乾きと下痢疫病は猛威を奮っていて...
平均降水確率は、
一月、60.3mm。二月、28.9mm。三月、47.9mm。四月、120.5mm。
五月、124.2mm。六月、94.3mm。七月、187.1mm。八月、125.2mm。
九月、93.6mm。十月、198.1mm。十一月、169.9mm。十二月、89.5mm。
その後の、冬の降水量はさらに減り...

しかも、本格的な地下交通路(地下10m拠点同士の連絡用)の建造は、
12月からなので、事態はますます深刻になって往く...

10月末の状態は、
大本営陸軍作戦部長真田少将の日記には...
患者が3000人
毎日の作業人員5000人にすぎず
築城は補給船が少なく資材が運べずに遅れている...
患者の34%は急性腸炎、その他、流感、脚気が主

硫黄島の酷さに...
守備将兵には傷病以外転勤は無かったが...
海軍士官にはわずかなら転勤の機会があり兵学校出身者の士官は
いつのまにかほとんど姿を消し...
兵器補充に内地へ出張した士官将校もなかなか帰って来なかった...
 

式は、
試みに6割の兵力数で計算したが実数はもっと低いかもしれない...




戦史研究&戦車戦へ戻る