ブルメントリット
5月10日の朝...戦争史上かつて見たことのないほどの戦車の大軍が、ルクセンブルグ
とドイツの国境に集結していた。...この軍団は3つの機甲集団からできており、前の
2つは機甲師団で、後ろの1つは自動化歩兵師団という3重構造に...
「これら3つのブロックは、あたかも古代ギリシャのファランクスのように、
きっちり重なりあって構えていた。」(ブリメントリット)
...それでも、
この機甲編隊の大軍は、前後100マイル以上の長さにわたって伸びており、実に
ライン河の東50マイルのところまで伸びきっていた。(゚.゚)
「従ってここでの主たる問題は、戦術的なことではなく、軍の複雑な運動と補給の調整
という行政管理的な問題であった。とにかく使えそうな道路は全部使わなければならな
かった。交通規制をしたり、...可能なかぎりの正確さが要求された。...最も複雑な
参謀本部の仕事は、1つ1つの戦車の集団について、次々とスタ−ト・ラインを設定
していくことであった。一方各師団の通過のはじまりと終わりは、時計によって正確
に決められた。...」
というスケ−ルの部隊が
ミュ−ズ河を渡って西進したあとも、クライストの進撃はほとんど抵抗に合わなかった 彼の戦車群は、連合軍の左翼をベルギ−の奥深く置き去りにしたまま、事実上無人の 通路を通過するような勢いで驀進していった。当時政府筋のスポ−クスマンが、 あれほど鮮やかに叙述したような”バルジ戦争”などどいうようなものは全然 なかったそれは静かな疾走であった。
フランス軍の無策のため無人の道路を疾走してしまった(゚.゚) ^^^^^^^^^^^^^^^^ というのが実際の戦史なのです。