試作T1中戦車(M1925、M1中戦車)

全長 6.553m 全幅 2.438m 全高 2.934m
戦闘重量19.96t
超濠能力 2.438m 超堤能力 0.787m 渡渉水深 0.610m
登坂能力 35°接地圧 kg/cm^2 回転半径 m
乗員 4名 最大速度路上 18.2km/h 路外 km/h
武装
ホチキス_5.7cm砲L23,7.62mmMG*2
弾薬数 5.7cm砲(131発)、MG(4200発)
5.7cm=> 2.722kg_427m/s
装甲mm
砲塔25.4mm
車体25.4mm〜9.52mm
最低地上高 m 接地長 m キャタピラ幅 45.7cm ピッチ20.6mm
最大航続距離 路上 80km 未整地 km
機関 液冷ガソリン、パッカードV8
出力/回転数 200HP/rpm、cc
変速器 前進、後進
馬力荷重 kg/HP
燃料容量 リットル 潤滑油 リットル
燃費 km/リットル 運行時間 h
生産期間 1927.5~_T1試作中戦車
制式化1928年1月24日
1928年2月2日、T1はM1中戦車へしかし量産されず1両のみ
1932年4月、T1E1エンジン試験用に製作
1931年、T1E2武装強化型
米国戦車の歴史を考えると正式採用されて生産されたものだけでなく、試作戦車の系列を考えないとその発展過程を理解できない。
中戦車は制式採用のMナンバだけだとM1は一両しか生産されていないしM2もわずかな生産量でM3に移行している。
(注、M1の名称は...T4E1試作中戦車も仮制式化されM1中戦車と呼ばれている。)
試作戦車Tシリーズを見なければ何が行われていたのかまったく分からなくなってしまう。
つまり、平時に研究開発のため作られた僅かな量の試作戦車が戦時生産計画によって民間企業の工場を使って大量生産される。というかたちができている。
(これは第一次世界大戦の失敗(自国兵器をスムーズに大量生産するのに失敗し米兵が英仏の兵器を使用して戦う破目になった)を教訓に整えられた方式)
M1925、M1921とM1922の試験結果から23tクラスの中戦車の開発を継続することに決まり1925年6月から開発製作決定、27年5月に完成
旋回砲塔に銃塔を重ねた二段砲塔
主砲は6ポンド砲と同軸に7.62mmM1919A2、銃塔にも同じ7.62mm
1928年2月2日制式採用され「M1中戦車」となったが量産されずに1両のみで終わった。
T1試作中戦車としてはさまざまなさまざまなテスト用車体が造られた。
1928年7月
75mmパックハウザーM1920_198m/sのテスト用に改造された。
この砲を6t軽戦車搭載するためのテスト用
T1E1中戦車
1932年4月完成
MKVIII重戦車用のエンジンを搭載した型
アングロ・アメリカ295HPリバティー型4サイクル・V型・12気筒水冷ガソリンエンジン
馬力荷重14.8HP、最高速度40km/hを発揮
T1E2中戦車
1931年武装強化型
ハリネズミのように武装を強化した型
主砲塔には47mm戦車砲と12.7mm機関銃
副砲塔に37mm短戦車砲M1918、
その他に7.62mm機関銃を装備
M1921、M1922〜T1試作中戦車までが戦車屋の造った戦車でしたが、T2は歩兵局の造った15t以下という制限内の装甲の薄い戦車、T3はクリスティー戦車、T4はその派生型、となってしまい、いずれも軽武装軽装甲の中戦車になってしまいました。
戦車戦...
戦史研究&戦車戦へ戻る