初期の中戦車開発、M1921、M1922
M1922
M1921
1919年11月14日モックアップ製作
1920年4月13日ロックアイランド造兵廠で2両製作開始
(ロックアイランド造兵廠、第一次世界大戦中の悲惨な米国の戦車生産、(遅れて間に合わなかった)を教訓に通常時から兵器の設計製作実験などを行う施設として新設された。)
完成1921年12月
フランスのルノーFT6tとイギリスのMK.VIII重戦車を参考に中戦車を開発する計画が第一次世界大戦終了直後にあった。しかし、この計画は失敗した(明らかに違い過ぎる特徴を持つ両者をひとつのものにまとめるのは不可能だった)
この計画を踏み台にして新型中戦車の開発は進められその性能は最高速度19.3km/h、行動距離96.5km、超壕2.75m、12.7mm対戦車銃に耐える装甲...
仕様の防御力をかなえるためには24.5mmの装甲板が必要になり重量が増加(超壕2.75m、も車体の長さが6.41mになり増加要因になった)して当時の渡河用浮き橋の制限重量15tを越えてしまった。(18tになってしまった。)
M1922
新たに15tの中戦車を造る案が上がったが15tでは将来戦に対応できる戦車は造れないとの主張もありM1921中戦車(18t)と15t中戦車の両方の開発が行われることになった。M1922はM1921とイギリスのD型中戦車(最高速度43km/hの高速戦車)を参考に設計された。
1923年2月完成
戦闘重量23.134t、最高層度26km/h
37mm砲一門、.03機関銃2丁(7.62mm)
戦車戦...
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