BT戦車

快速戦車、BT=Bystrokhodnyi Tank
ベトカ、ベチューシカ、ベテシカ
1931年輸入されたクリスティー戦車が原形です。
アメリカ軍は1929年の大恐慌で予算がなくクリスティー戦車の
採用ができず、心無い陸軍少佐の言葉がとどめとなってソ連に輸出されて
しまいました...
「我々はあなたの戦車なんかに用はないし、それをどこに売ろうと知らない...」
(多分この一言が無かったら世界の歴史は変わっていたでしょう)
(多分悪いほうへ(-_-;)...)

BT−1戦車 主砲塔に連装機銃を装備したタイプだと以前は言われていましたが、 ほんとは、輸入されたクリスティー戦車2両に付けられた名称です。 船荷は「農業用トラクター」と言う名称で砲塔の無い車体だけが輸入され 砲塔は設計図によって作られ、ソ連のハリコフ機関車製造工場(KhPZ-Nr.183)で 組み立てられました。 BT−2戦車 機動力及び装甲厚 乗員 3人 全長 5.58cmm 全幅 2.23cm 全高 2.20cm キャタピラ幅 cm 戦闘重量 11t 機関   リバティーL−12液冷V12ガソリンエンジン 1933年生産分は一部、BT5と同じM5エンジン搭載 出力   400Hp 回転数  rpm 変速器 出力/重量比 11.3ps/t 接地圧 0.82kg/cm2 馬力荷重 8.00kg/HP 燃料容量 246リットル 潤滑油  45リットル 最大速度路上 装輪70km/h、装軌52km/h 路外 最大航続距離 路上 装輪300km/h、装軌200km/h 未整地 100km 登坂能力 % 超濠能力 m 渡渉水深 m 回転半径 信地およびm 燃費   km/リットル 運行時間 h 武装 対戦車、装甲車用 1930年型37mm戦車砲PS-2、7.62mmDT機銃 対歩兵、騎兵用(初期のみ) 連装7.62mmDT機銃、 弾薬数 37mm戦車砲92発、7.62mmDT機銃、2709発 装甲(mm)、13mm〜6mm 量産開始1932年
BT−2...(1931年5月23日採用) アメリカのJ.W.クリスティーの作ったM−1930の完全なコピーで ソ連政府はUSホイール・トラックレイヤー社にソ連人技師を送り込んで 技術習得に努めました。 (1930年代にはクリスティー工場へ60人近いソ連技術者が送り込まれていた) アメリカはソ連を国としては認めていなかったが、商取引を妨げるようなことは無く 大量の金属工作機械と工業製品がソ連に買われていった... (クリスティー型が自動車の流れで設計されているため) (ここでT型フォードから始まったアメリカの大量生産方式のノウハウも) (いっしょに習得されて、ソ連に輸出されたと考えるのが正しいようです(゚o゚)...) ハリコフの戦車工場では、M1930到着前から設計図を元に生産準備を していたそうです。 1931年10月最初の試作車3両が完成。 本格生産は32年から... 32年、396両 33年、224両 装輪装軌走行のしくみは... 装輪走行の場合は後ろの軌道輪と第四転輪をチェーンで結び 第一転輪を自動車のように操舵輪にします。 この方式は総重量を抑える必要があるので防御力が貧弱になってしまう 欠点があります。 クリスティー式サスペンション コイル・スプリングとベル・クランクを組み合わせた独立懸架方式 転輪の上下ストロークが大きく、路面追従性が高い... 車体は元になったクリスティ−戦車と違いリベット接合です。 BT−3戦車 45mm砲を装備した試作戦車と言われていたが、 主砲防盾の改造と転輪の改造などの一部マイナーチェンジした BT2を設計局内部で便宜上BT3と名づけていたもので 正式採用ではなかった。 BT−4戦車 T26TU用の双砲塔をそのまま移植 右砲塔が37mm戦車砲PS-2、左砲塔が、7.62mmDT機銃 試作のみと言われていたが、試験的に20両生産された。 BT−5戦車 機動力及び装甲厚 乗員 3人 全長 5.50cmm 全幅 2.23cm 全高 2.25cm キャタピラ幅 cm 戦闘重量 11.5t 機関   液冷V型12ガソリンエンジンM−5 出力   400Hp 回転数  rpm 変速器 出力/重量比 ps/t 接地圧 kg/cm2 馬力荷重 kg/HP 燃料容量 リットル 潤滑油  リットル 最大速度路上 装輪72km/h、装軌52km/h 路外 最大航続距離 路上 200km 未整地 120km 登坂能力 % 超濠能力 m 渡渉水深 m 回転半径 信地およびm 燃費   km/リットル 運行時間 h 武装 対戦車、装甲車用 1932年型45mm戦車砲46.2口径 O-240榴弾750m/s、BR-240P徹甲弾1070m/s 仰角‐4〜+40 貫通力 射程距離 25 100 250 500 750 1000 1250 AP 59 55 49 43 37 32 27 弾薬数 45mm戦車砲、115発、機関銃、2709発 装甲(mm)、13mm〜6mm 新型砲塔15mm 生産数、33年〜34年1884両 1932年、新型の45mm砲を装備することになり、 BT−2の砲塔は狭くて使い難いと言われていたので、 砲塔を新設計... 生産向上を図るためT−26とBT戦車双方で同じ砲塔を使う ことになりました。 初期の円筒型のタイプとさらに改良された馬蹄型タイプがある。 M5エンジンは、リバティーエンジンのコピーで故障が多く 信頼性が足りなかった... BT−5TU指揮戦車 始めは、すべての戦車に無線機を搭載するはずでしたが、 数が足りず、指揮戦車にだけ無線機を搭載しました。 全体の15%、 BT−5A近接支援戦車 76.2mm砲16.5口径戦車砲を装備した。 試作一両のみ、 BT−5火炎放射器型 車体内部にタンクを装備したので、車内が狭くなりすぎて とても使えないので、試作段階でストップしました。 (ノモンハンに出て来る火炎放射器戦車は、T−26戦車を改造した) (OT−130です。主砲を外して火炎放射器にしてある。) BT−5PKh水陸両用戦車 シュノーケルパイプを使った潜水戦車。 3mほどの潜水走行? 少数量産されて1936年夏には、配備されていた PT−1、PT−1A 浮力を持たすために車体を大型化しスクリューと舵で動く 水上走行戦車。 構造が複雑すぎて量産されなかった。 最初の実戦 1936年10月スペイン内乱 BT−5、50両が派遣 主砲の1932年型45mm戦車砲は、ドイツやイタリアの軽戦車に 対しては十分な威力があったが、装甲が薄くて対戦車砲に対抗 できない判明した。(BT7は装甲13mmから22mmに強化した) (一説には変わらないという説もある。) ノモンハン、日本軍に火炎ビン攻撃を受けて大量の損害を出す... 8月攻勢時に使用されたものは、不燃塗料で塗装され、エンジン部分に 金網を貼って完全にこの攻撃を防いだ... BT−7戦車 機動力及び装甲厚 乗員 3人 全長 5.66cmm 全幅 2.29cm 全高 2.42cm キャタピラ幅 cm 戦闘重量 13.8t 機関   液冷V型12ガソリンエンジンM−17T 出力   450Hp 回転数  rpm 変速器 出力/重量比 ps/t 接地圧 kg/cm2 馬力荷重 kg/HP 燃料容量 リットル 潤滑油  リットル 最大速度路上 BT7_装輪72km/h、装軌52km/h BT7m_装輪86km/h、装軌62km/h 路外 最大航続距離 路上 BT7_230/500km,BT7M_400km/900km 未整地 375km 登坂能力 % 超濠能力 m 渡渉水深 m 回転半径 信地およびm 燃費   km/リットル 運行時間 h 武装 対戦車、装甲車用 1932年型45mm戦車砲46.2口径 O-240榴弾750m/s、BR-240P徹甲弾1070m/s 仰角‐4〜+40 貫通力 射程距離 25 100 250 500 750 1000 1250 AP 59 55 49 43 37 32 27 弾薬数 45mm戦車砲、132/172発、機関銃、2394発 装甲(mm)、22mm〜6mm BT7_6mm~22mm,BT7m_6mm~20mm 生産数、35年〜40年4727両 エンジンをBMWのコピーのM17Tに変更 BT−7、1935年型 BT−7、1938年型 BT−7M型 ディーゼルエンジンに変更 (T34のエンジンになったV2エンジン) 戦史研究&戦車戦へ戻る