T34(T34/76、T34/85)

「それは世界でもっとも優れた戦車だった...」エルバルト・フォン・クライスト元帥

データー詳細. T34/76.T34/85
機動力及び装甲厚
機関   B2−34水冷V12ディーゼル
出力   500HP 
回転数  1800rpm
馬力荷重 18.87kg/HP
燃料容量 540リットル

最大速度 51.2km(76) 48km(85)
路外速度 40km(76) 38.4km(85)
登坂能力 35度
超濠能力 2.5m
超堤能力 0.7m
渡渉水深 1.1m
回転半径 信地および8.6m
行動距離 465km(76-1941,1942)430km(76-1943,1944)
     350km(T34/85)
T34/76装甲(mm)1941年初頭
装甲mm(装甲傾斜角度)
,          前面     側面      後面  
車体上面  45(30)mm    40(50)mm   45(48)mm
車体下面  45(37)mm    45(90)mm   45(45)mm
砲塔      52(R)mm     52(60)mm   52(60)mm
砲塔防盾45+25mm,上面16~25(6)mm下面15~20

42年から車体前面装甲は47mmに...

T34/85装甲(mm)1943.12〜
,          前面     側面      後面  
車体上面   45(30)mm  45(50)mm   45(42)mm
車体下面   45(30)mm  45(90)mm   45(45)mm
砲塔       90(曲)mm  75(70)mm   52(80)mm
砲塔防盾、90mm 上面18~22mm 砲塔上面20(15)mm 下面18~22mm
	前面
車体	47mm(30度)
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76.2mm砲L41.5の貫通力

7.62cm砲L41.2F-34(垂直装甲板に対する貫通力) 射程距離 25 100 250 500 750 1000 1500 2000 2500 APBC-HE 86 82 79 74 68 62 50 40<--旧ゲーム用 APCR 121 111 104 96 88 77 54 44<--旧ゲーム用 L30.5 76 72 69 63 57 51 45 33 1978 L30.5 0° 62 56 49 43<---一般流布 L41.2 0° 69 61 54 48<---一般流布 APCR 0° 92 60<---一般流布CP値 L41.2_APCR_965m/s <---43年夏より使用... AP 662m/s <---かなり種類がある 射程距離 100 300 400 500 700 1000 1500 BR350P 0° 102 98 92 60 <-----CP値(貫通保証80%) BR350P 0° 107 103 100 96.6 80 63 <----5%増やした値(V50貫通保証50%) BR350A 0° 84 80 74 68 61 <---CP_IP平均 BR350B 0° 90 85.5 79.5 73 65.5 <---CP_IP平均 (注、ソ連の貫通数値はみんなCP値、なので一般に使われているV50) (より小さくなる。V75〜V80に当たる) 戦記から... ティーガーの騎士(ミヘル・ビットマン)によるとクルスクでは奴らの主砲は 800m以内で始めてティーガーにとって危険になる。 これは、T34/76の76.2mm砲L41.5用の特殊弾の貫通力がちょうど 800mでティーガーの側面装甲80mmを超えることを現しています。 オットーカリウスの戦記からだと... T34は正面では600m、側面では1500m、背面では1800mから危険で... となっているので1500mで60mm、600mで100mmの貫通力となり ティーガーフィーベルには、 ティーガー正面100mmを400m以下で貫通、ティーガー側面80mmを700m以下で貫通 カリウスだけ側面が車体下部の60mmを採用しているため貫通距離が増えてる 正面は400m〜600mで貫通、側面上部は、700m〜800mで貫通、側面下だと1500mで貫通 BR350Pの値をV50に変換して比べると... 76.2mm砲、垂直装甲板に対する貫通力 射程距離 100 300 500 1000 BR350P 102 98 92 60 <-----CP値(貫通保証80%) BR350P 107 103 96.6 63 <----5%増やした値(V50%) ティーガーフィーベルのデーターがぴったり合います。 76.2mm砲、垂直装甲板に対する貫通力 射程距離 100 300 400 500 700 1000 BR350P 102 98 92 60 <-----CP(80%)値 BR350P 107 103 100 96.6 80 63 <----5%増やした値(V50%) どの戦記も76.2mm砲のBR350P(APCR)の威力について書いてある... レンドリースのシャーマン75mmm砲が弱いのでソ連製に変えようといった話も、 APCRなどの強力な砲弾が撃てなかったためで、砲自体の性能は5%程度しか違わない... ----------------------------------------------------------------------------

85mm砲L51.5の貫通力

貫通力表... 8.5cm砲L51.5(垂直装甲板に対する貫通力)旧版ゲーム用 射程距離 25 100 250 500 750 1000 1250 1500 2000 2500 APC 148 142 137 129 120 112 95 79 67 <-- APCR 218 205 196 182 168 154 127 105 88 <-- (70年代は、ソ連から入って来たデーターは「信憑性が無い」「でたらめ」とまで言われた) (そのため、入手した数値の中で使えそうなものを当てはめて作ってある...) (参考にしたのはタイガー1の数値から何パーセント下げるかとかいうところらしい) ZIS-S-53,85mm砲(垂直装甲板に対する貫通力) 射程距離 500 1000 1500 2000 2500 APHE 111 102 93 85 78 <--CP(75%〜80%)値 APCR 140 100 <--CP(75%〜80%)値 APHE_BR-365_9.2kg_792m/s APCR_ BR-365P_4.9kg_1200m/s ソ連戦車砲の貫通力表記は、V50ではなくて、IP=V20CP=V80の 二つの数値で挟む形になっていました... 一般に流布している数値は、CP値の方なのでかなり小さくなります。 (計測方法無しのデーターだけだったため混乱したようです) (85mm砲CP値のみ) ---------------------------------------------------------------------------- いままで使っていた数値はCP(80%)値なので、5%増やした数値を計算してみると... # # # 疑... 平頭弾のV50は、装甲が増すほど効率の悪い弾形状なので平均値より 大きい方に寄るはず? 76.2mmと同じ数値をそのまま使えない。

T34の試作は1939年末に完成し2台の試作車が作られました。
前作のA20戦車ではキャタピラ、車輪両用戦車でしたが失敗作で、 A32で初めてキャタピラ専用になり僅かな改造を加えてT34になりました
製作者のコーシキンは、
「戦車をキャタピラ、車輪の両方で動せるようにすることは技術的困難が あり、量産し易さからも将来は、キャタピラ専用の戦車の開発を重視すべ きだ...」と見解を報告書の中で述べています。
戦車生産局は、ロシアの厳しい寒さの中3600キロの厳しいテスト走行を 行いました...

(A20戦車は...)
(18tのBT戦車、前面に被弾経始を向上させ脱出口を廃止して大きな傾斜を)
(つけた20mm装甲板装備、エンジンは450馬力)
(重戦車の担う歩兵支援任務と快速戦車任務の両方できる中戦車として開発)
(が始まった。1937年)

1941年6月には1110台のT34が生産されましたが 粛正の影響で戦車兵の多くは実際に戦車を操縦した時間は1時間30分から 2時間というぐらいの経験しかありませんでした。
(ソ連軍はドイツを真似た戦車部隊を編成中で改変の真っ只中で独ソ戦が 始まり、戦闘に使える部隊が少なかった...)

1941年度には約3000両のT34が生産されています。
1941年型A
最初は、30.5口径76.5mm砲でしたが、貫通力を増すために 41.2口径76.2mm砲へ換装されました。

1941年型B
砲塔を改造、初期に歩兵に爆薬を良く仕掛けられた隙間を無くした。

1942年型
砲塔のデザインを一新、前面に増加装甲を加えた...

1943年型
戦闘重量が30tを越えた、各種の改良が加えられた...

1944年型T34/85
ドイツ軍の重戦車に対抗するために タイガー1の前面装甲100mmを打ち破るために85mm砲が装備された。 砲塔も2人用から3人用に変わりました。

1944年にはT34の車体生産は年間生産数2万両以上になっています。 そのうち約半数がT34/85になり残りがSU駆逐戦車になりました。

さて、実戦では...
41年秋には、戦車よりも乗員を探すほうが困難になり 戦車訓練学校の学生と職員で50台ほどの部隊を作るのがやっとという ありさまになっていました。

主砲と装甲は一流で、1941年当時のドイツ軍戦車を始末するには十分な兵器でした。
4号戦車(短い火力支援用の75mm砲装備でした。)でT34を倒そうとした場合
側面に回り込んで後部のエンジン部分を狙うしかなく...
逆にT34の76.2mm砲は3号、4号戦車ともどこに当たってもぶち抜いて破壊 できました。
その時の主力対戦車砲37mm砲は全然歯がたたず「ドアノッカー」という嘲笑的な 名前が付けられています。

ドイツ軍の記録では...
「奇跡の兵器...それがうごくところ、いたるところに恐怖をまきちらす...」
(ドイツ戦車兵の間ではドイツの兵器が優れているという確信が崩れて士気に)
(手痛い打撃を受けました...)

有名なT34登場当時の状況を伝える文章
「T34」ケネス・マクセイより
戦闘例1...
バルバロッサ17日目...(第17機甲師団)
「...そのとき突然見たことも無い、しゃがんだような形のソ連戦車が 一台トウモロコシ畑のなかから姿をあらわした。すぐに、数台のドイツ戦車が射撃を 加えたが、砲弾は、そのソ連戦車の大きな砲塔に当たって跳ね返るだけだった。

ソ連戦車は農道にそって向きを変え始めた。この農道のはしには37mm砲が待ちうけており、 ドイツ軍の砲手たちは、迫ってくる戦車に砲弾をあびせかけたが、ソ連戦車は ビクともせず、ドイツ軍陣地におしよせてきた。

そして、その広いキャタピラーで、対戦車砲を土の中に踏みにじった。 この戦車は、炎上する三号戦車を後ろに残して、なお15kmも奥深くドイツ軍の 後方を荒らしまわった。

その進撃を食いとめることができだのは、後方から射撃を開始した100mm砲で、 それもやっとのことで破壊できたのだった...」

戦闘例2...
カツコフの10月戦闘
ドイツ軍の隊列が道路上十数キロに伸びてしまった側面を奇襲した...
(まともな道路がほとんど無くしかも道路以外はまともに走れませんでした.。
燃料を輸送することができず機甲師団は度々停止しました。)
広いキャタピラを利用して丘の上から襲いかかり 損害をあたえては日増しに長くなる夜のとばりのなかに姿を消した...
30台以上の三号四号戦車が破壊されて燃えあがった。 その後も幽霊のように側面に現れては攻撃を加えた...

この段階ではソ連戦車の数は少なくドイツ軍の進撃を何とか 遅らせる程度の効果しかありませんでした。 (使用されたT34も二十数台から多くても五十台くらいです。)

しかし、ドイツ軍の主力も細って来ていて...

グーデリアンの言葉
「彼らの損害は我々よりかなり少ない...。彼らの腕前は上がってきている。 そして第2戦車軍の戦車群が撃破されたのでモスクワを占領する望みは 急速に消え失せた...」

戦闘例3...
1942年にスターリンは冬の間に生産したT34の大部隊を 使って反撃しますが、(5月時点で戦車20個旅団に回復) 指揮官も戦車兵も全然訓練が足らずドイツ軍に包囲されて壊滅しています

「すばやく決定する能力を欠き、中隊や大隊のレベルでも、 戦術的センスが無い...」

「彼らはドイツ軍の主陣地帯のなかで、大きな集団にかたまったまま動きまわっているその動きは おずおずとしていて、なんの計画も 持っていない。お互いの進路上に出て妨害しあい、われわれの 対戦車砲の前にノコノコと現れる。 われわれの戦線を突破しても、その戦果を拡大しようとはせずに、 うごかず、ただぼんやりしているだけだ。 このころは、我が軍の対戦車砲や88mm砲にとってはかきいれどき であった。一門の砲で一時間に30台以上のソ連戦車を撃破した こともあった...

そのころわれわれは、ソ連軍はうまく使いこなせもしない部隊を作ったものだと考えたものだが、 それが1942年の冬から1943年に なるころには、もう腕前のあがった兆候が現れてきた...

大戦末期...
連合軍やドイツ軍には補給線が必要でしたがロシア軍にはほとんどそのようなものは必要 ありませんでした...

大戦末期のソ連軍の主な戦車隊の使い方は
一個旅団65台〜107台の部隊が250Km〜300km前進して一個旅団当たり
15台〜40台に消耗して止まると言う恐ろしいものでした。
その間無給油、
歩兵も食料弾薬を背負ってT34の上に鈴なりに乗りました。)
こんな無茶な作戦ができたのもT34の長大な航続力のおかげです
(米軍などは大体航続距離100マイル(160km)を基準に作られていました。)
(ドイツもガソリン車なのでそんなに航続距離が有りませんでした)
広いキャタピラは、T34をロシアの特徴的な気候「春の雪解の泥濘」の中を走れるただ1つの
戦車にしました。(ロシア軍は支援の砲兵隊までT34の車体を使って自走化しました。)

(ロシアのT34は日本の零戦に当たります(歴史を変えた兵器))
深刻な人材不足(-_-;)(大粛清(将官の九割、大佐の八割がいなくなった?)
やドイツの包囲戦で兵士の大半が捕虜に...)を解消するため工場労働者や農民まで
戦車兵として使われました西側世界と違ってこれらの人々は一生自分の乗用車を
持つことも無くましてや運転などできるはずもありませんでした。
しかし、T34の操縦はまるで田宮のリモコン戦車のように簡単でした。
左右のキャタピラの速度を調整する操縦桿右、左2本とアクセル、ブレーキ、クラッチ しかありませんでした。
(日本の戦車みたいにベテランにならなければクラッチが繋げないなんて馬鹿なことは ことはありませんでした)
(ギア・チェンジが堅くてできなくなる不良あり)
(しかし丈夫なのでハンマーで叩いてチェンジした(@_@)...)

スターリン戦車の方は将校しか乗っていないそうで(操縦が難しくてエリートしか扱えなかった) 馬鹿でも操縦できるというのは本当みたいです(゚o゚)...

まあ日本でも東北出身の騎兵部隊を機械化しようとして失敗したそうですから 普段機械を扱わない農村出身者を戦車に乗せるのは戦前では相当無茶なことでした。

欧米の基準で見ると居住性は最低で砲弾の配置なども全然考えられてなくすぐ手の届く 場所にある数発(9発)の砲弾を撃ってしまった後は加熱した薬莢の転がってるのを蹴り飛ばし ながら次の弾を掘り出す(残りの弾は床の分厚いゴムシートの下の金属の箱中) なんて真似をしなければなりませんでした。
人間工学からの効率に対するアプローチは皆無だったようです。

(西ヨーロッパの諸国の多くの戦車が吊り篭型の砲塔内の床が旋回とともに回転するように 作られているのに対しT34は座席は砲塔リングに固定で砲塔旋回すると邪魔になった。)

(主砲の高速旋回(T34は手動旋回360度を14秒で旋回させるギヤーは非常に重い)
(するハンドルの位置が変な位置に付いていて眼鏡照尺を覗きながら砲塔旋回するのは非常)
(に困難だった。)

(眼鏡照尺、潜望鏡に付いているゴムの防眼フードが不良品で巧く光りを遮ることができず)
(照準するのがむずかしかった。)

しかし、比べようにも自動車にも乗ったことの無い
乗員達にはそういうことは理解できず自国の兵器を信頼していたようです。(-_-;)...

初期型の欠点は、砲塔と車体の間に爆薬を差込むのに丁度良い隙間があったことと
(初期のT34撃破写真はこの隙間の爆薬を差込まれて爆破されたものが多く)
(砲塔が吹っ飛んでるものばかりです。)
(この方法しか倒す方法が無かっただけですが(-_-;)...)
砲塔の天蓋が前に開くようになっていて戦車長の前方を塞いでしまい...
前を見るためには横から覗きこまねばならず、無防備になってしまう
側面や後方から狙撃されてたくさんの戦車長が戦死してしまいました。
(二人砲塔で忙しい戦車長には致命的な欠陥(-_-;)...)
(両方とも初期型だけですぐに隙間は埋められハッチは小さい物の改良されています...)

ソ連戦車全体の欠陥としては光学レンズなどの品質が最低で始めから
ゆがんでいたりひびが入っているものが結構有ったそうです...
しかし、レンドリースでアメリカ製品に変わった中期から後期になると
性能はドイツ製品と変わらなくなったそうです...


43年型になると生産工程も三割ほど減少してさらに大量生産に向くように 改良されて(現代式に言うと工場のQCとか「改善」ですね) 新型戦車タイガーやパンサーの生産に手間取るドイツの戦車生産量を 圧倒的に凌駕しました


1943年12月から生産された
T34/85(タイガー1の88mm砲とほとんど同じ弾丸重量の弾を発射できる)は、29430両(異説21084?)生産されました...



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