資料、日本陸軍の用兵学

(日本の参謀本部...)
日本の軍部には、最近流行の逆転WW2小説のように戦略を理解する能力はありませんでした。
(あの手の逆転小説は日本軍の真実を少しもかたっていないので不安ですね)

月曜会解散事件(明治15年)

日本の軍政を巡って主流派(外征軍備推進派)、反主流派に別れて陸軍を2分して争い 反主流派の敗北、(反主流派の将軍達は左遷、退役、)その中の将軍の一人がこの 月曜会の幹事長でした。そのため、このヨ−ロッパ陸軍兵学研究団体(当時高等用兵の 研究機関は日本にはありませんでした。いやWW2終戦まで無かったような気がする) は、反主流軍人の組織として解散させられました。
結局、
軍人が自由に高等用兵を研究することは反主流派思想を生み出す原因と考えられ。 反主流の有力な将軍を現役から排除することと、高等兵学の研究を禁止するのは 同じことになりました。
研究書は一方的な上意下達の官編雑誌になり、最後(敗戦)まで日本陸軍は、 国民を軍記の鋳型にはめこんで「人格なき殺人機械」としてしたてあげる機関になりました。

軍令(明治40)

歩兵操典や陣中要務令(作戦要務令)などが天皇の統帥権の直接発動である軍令形式で 制定。(そのため批判的研究は許されず、命令または許可による以外軍事理論の個人 研究は不可能となり小さな戦術規模の研究も成立しなくなりました。)

新しい軍事理論(1927)

フラ−機甲戦略論、リデルハ−ト「近代軍の再建」など第一次大戦末期に現れた 新兵器、新戦術の研究書。 日本では、歩兵エリ−ト参謀が「歩兵、唯一の戦場の女王論」を唱えて、論敵、 をすべて現役から追い払うか黙らせました。
(これで戦車は2流のブリキの戦車に、(T_T))

             まだまだ有りますがとりあえずここまで

このページの続きが見たいとか旧日本軍の資料が知りたいとか言うご意見がありましたので 少し継ぎ足しました...

戦術編..(その1)

プロフェッサー・アルヴィン・D・クックス
(連合軍総司令部作戦アナリスト、米陸軍日本史研究部、)
ノモンハン「草原の日ソ戦」より

強調された精神的優位

日本陸軍の作戦上の思考方式は、ノモンハン事件後もそれまでと同じく基本的には 原始的で、科学性に欠け、自己満足に陥り、狭義で単純であった。道徳的特性や 心理的要因を過信していたことから、現代戦における火力、機械化、そして航空の 現実を、無神経にも避けて通ることになってしまった。

その論理的根拠として主張されたのは、日本の敵対国が所有する装備 の質と量−それに敵対国の数さえも−は、歩兵や戦車に対する近接戦闘における 高い士気、敢闘精神と大胆不敵さといった無形の要素によってのみ、埋め合わせる ことが可能だということであった。

日露戦争以来、正面攻撃はまれにしか成功しないという事実がよく知られていたにもかかわらず、 ノモンハン事件だけでなく太平洋戦争の全期間にわたって、 銃剣による自殺的な肉弾攻撃という生命を浪費する形で、その 代償が支払われる結果になった。

急降下爆撃機、自走砲、そして機甲師団という新たな時代に、日本軍は、勇敢ではあるが 丸腰の歩兵を、時代遅れにも「戦いの花形」としてなおも謳歌しつづけていた。

ノモンハン事件では言うまでも無く、すでに第一次世界大戦で観測気球のもろさは知られて いたのに、日本軍の思考方式では、すでに旧式化してしまっている観測気球にも存在の余地 があった。

1905年に203高地で、乃木大将が経験した膨大な人的損失を思い起こさせるような、 ノモンハン事件における日本陸軍の型にはまった物の考え方が、それ以後も連綿と続いて いたことは、1943年も終わり近く南太平洋のトラック島に派遣され、 「幼稚で時代遅れな」防御施設に仰天させられたある召集兵の言葉に例証されている。

ある年配の砲座指揮官が、装備が不足しているからこそ、日本軍には、その敵に勝る精神と 勇敢さを発揮する機会があるのだと述べた。馬鹿げているが、当時は普通の意見だった。 大切なのは兵器ではなく、傑出した敢闘精神だというわけである。漫画に出てくるセリフの ようだが、当人は至って真剣であった.....

指揮官たちには、敵の科学的、技術的優位とその兵器の優秀なことにまったく無知で、目的 達成のために、掛けがえのない人間の命を浪費してしまうことを礼賛する者がいた。 みずからを肉弾とし、生還の望みのない肉薄戦闘に、気が狂ったように飛び込んで行く 兵隊を、彼らは称賛すべき模範として持ちあげていた。

「勇気というものは称賛に値するが、圧倒的に技術的優位を占めた敵に直面して、勝利の望みを すべて勇気に托すなどは、底の知れない愚挙である」と、トラック島で生き残ったこの召集兵は話を 結んでいる。

仮にこうした発言が旧軍時代になされていたら、 もちろん物質至上主義と死に対する恐怖感から発した破壊的言辞 とみなされ、「戦場は死ぬ場所であり、それ以外のなにものでも ない」と主張されていたことだろう。

日本人と戦った連合軍の古参兵は、日本軍による「肉弾」戦術は 「日本人の愚かさの象徴だ」と言ったものであった。

ビルマ戦線に 従軍した英軍のA・J・パーカー中佐は、「決然として日本軍に当 たるなら、いつでもそのバンザイ攻撃を阻止し、 ボルトアクションの小銃でさえ、なぎ倒すことができる。 ましてや半自動か自動式の小銃なら、そうした攻撃を大虐殺に 変えてしまうこともできただろう」と述べている。

アメリカ第一海兵師団は、ガダルカナル島のマタニカウで同じような 体験をしている。ここでは日本軍は、「遠距離から、火力の優位も なしに・・・先のないバンザイ突撃」を敢行することで、 「劇的な戦術が好き」なことを示したが、その結果米軍に「火網を しいて全滅させる機会を、無料で」与えてしまったのだった。

日本陸軍の一番の敗因はこういった白兵突撃、精神主義、火力軽視、速戦即決などの 攻撃・攻勢主義そのものと硬直化してしまってこういう攻撃しかできなくなって しまった高級指揮官、参謀(こういった考えは兵隊用であって指揮官や戦争指導) (国策にまで適応するものではありませんでした。)でした。

こういった思想の元、各兵科間で派閥争いまでやったので機械化部隊は最後まで 冷遇されました...
参謀は陸大の成績順だったので貧乏士族や農家出身者などが多く...
戦車隊が騎兵隊と合同になって機甲部隊になると目の仇にされ
(騎兵の馬は自費だったので騎兵隊は裕福な家か貴族出身者の軍隊でした。)
このため戦車など全然活躍できない場所に派遣され無駄に死んでしまった
元騎兵将校などもけっこういました。
(国が危ないのにこんなことばかりやっていたんでしょうか(-_-;)...)

日本陸軍の戦術(その2)

これだけ軍事上の一般常識を無視した行動をすると...
各所で全滅して、アメリカ軍にヨーロッパ戦線と違って子供の戦いだとか 言われてしまううんでしょう...

最近発売された米陸軍のテクニカルマニアル1944の翻訳が一番判り易く この状態を説明できそうです。
(1944年10月フィリピン上陸までに米軍が日本軍についての資料をまとめて)
(極秘資料として全軍に配ったもの)

日本陸軍便覧より
(HANDBOOK ON JAPANES MILITARY FORCES)
日本陸軍の戦術
序説から

日本軍が常識に反して無理な戦闘を行うわけ...
「日本軍は最強で自軍が勝つのは当たり前である」と思い込んでいました。

他の国民であればその任務には不十分と考える兵力で、日本軍が進んで 敵陣地を攻撃するということは、彼らのいわゆる軍事的優位という自信に 基づいている。この自信の説明には日本軍の心理状態、国民特有の虚栄心、 および過去の軍事的成功の分析を必要とするが、この研究のおよぶところ ではない。

日本の将校にとって「面目」および「不屈」に対する考慮は非常に大切であり、 それゆえ彼らは、「机上の」誇張した格調に耽りがちになる。彼らは装備が 不完全な軍隊(中国軍のこと)に対しては放胆であることを証明したが、一流の優れた装備を 保有する軍隊に対しては、より慎重な戦法を選ぶのが当然のことと思われる。

過去6年間の実線が示した多くの機会があったにもかかわらず、日本軍は 常識的な戦術および戦技の一定の基本原則に違反し続けてきた。このような 違反を改めない彼らの性癖は、主として敵に対する不適切な判断、および敵も 保有する同等の軍事能力を信じないことが基礎になっている。最近の経験が 日本軍の役にたったか否かは不明である。

日本軍の戦術原則...

「日本軍は最強なので必ず攻撃すること」(-_-;)...

日本軍は戦術原則上、(日本軍)固有の攻撃の優位性に強く固執し、作戦要務令は断固として 攻撃にでるべきであると述べている。すべての作戦行動の目的は、局所的に予期された日本軍 の優位が最大限に実現されるよう、迅速に敵に接近することである。 敵兵力が明らかに優勢なとき、また日本軍の指揮官が一時的に防御にまわったときでさえ、彼は 攻撃の機会を得て、主導権を握るためにあらゆる努力をすることを期待される。日本軍は攻撃には ある特殊な効果があると信じているようであり、防御戦闘は、明らかに優勢な敵に直面したときに おいてのみ採るべき消極的な行動の形態と見なされている。

防御の場合でさえ、攻撃の原則が強調される。この教育の結果および攻撃に対する信念の双方から 日本軍将兵はすべての伝統的な戦術によれば、状況が明白になんらかの形態の防御活動を要求する 場合においても、しばしば攻撃の決定に達する。

彼らの戦術思想では、時間および空間の要素にほとんど重きを置いていないことが判明 している。結果として、しばしば、努力の結集および全兵種の共同が軽視される。

包囲、日本軍は包囲がより好ましい作戦行動であると思考している。包囲のときは断固として正面 から圧迫をかけ、同時に主力による側面攻撃をして包囲を遂行する...

一般に主張されている戦術原則とは反対に、日本軍はかなり数字上の優位性が無くても進んで二重 包囲を試み、時おり奇襲、および欺瞞に頼らねばならない劣勢の兵力のときでさえ、包囲できると 見なしている。...

陣地攻撃においては、日本軍は攻撃を推し進めて戦果を得るため、死傷者の数をまったく無視している。

防御、 一般に日本軍にとって防御体制の戦闘は不愉快であり、いやしくも帝国陸軍がこの戦闘隊形を 強要されることを彼らは非常に認めたがらない。彼らは防御を好まないことを、そのように宣言している ので、この戦闘形態を説明している戦術的研究問題は極端に少ない。

防御の目的は、優勢な敵軍隊に対して火力により、または兵力を地形および人工防御工事の後方に適切 に配置して多大な損害を与え、最初の兵力の劣勢から攻撃への移行を正当と認める点まで変化させる ことにある。

防御は死にいたるまで保持される主陣地に基礎をおいて...

日本軍の規則および軍事著作物によれば、防御は消極的形態の戦闘であり、本質的に、また精神上、 非日本的という烙印を押されているので、将校が喜んで防御解答を提唱するような戦術研究問題を 書くことは非常に困難であった。研究した問題では、将校学生の攻撃に対する情熱を抑制するため、 授業上の方策として、事前に師団長による防御の基本決定がなされていた。

このように防御が強制されたときでさえ、日本軍将校は攻撃に復帰したいという考えが真っ先に頭に 浮かび、規模の大小を問わず、協同であると否とにかかわらず、ほんのちょっとしたことで腹を立て、 手早く反撃をしかけた。

地上演習では、彼らは塹壕の前で攻撃者を銃剣で迎え撃つため、事前調整した 歩兵の火力組織をいつでも喜んで放棄した。このようにして実施される防御の欠陥は...

日本軍の戦術関係の研究は欧米の研究者のまとめたものがベストなようです。
日本人の書いたものには、上官や戦友のしがらみから一度出版されても増補、改定時に まるで検閲を受けたかのように変質するものも多く...
真実をはっきり書けない風潮が強いようです...
公刊戦史が旧軍人のみで編集されたための悪影響も有りそうです。
(これを例に書かれている物が多い...)

日本陸軍便覧
この本はとても面白く(ディフィカルト)て良い本なのですが
定価6000円でとっても高いです。
本屋さんにはしばらく積み上げてあったのですが、売れなかったらしく いつのまにか無くなってしまいました。

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