四式中戦車(チト)



機動力及び装甲厚
乗員  5名
全長   6.343m
(砲を含む)
全幅   2.865m
全長   2.772m
最低地上高 0.4m
接地長  4.17m
キャタピラ幅  45cm
接地圧   0.82kg/cm2
全備重量  30(30.8)t   自重24(27.27)t (PA-90/12)
機関  空冷V型12気筒ディーゼル
出力     400?(412)HP
回転数 rpm
変速器   前進、後進
出力重量比 13.19ps/t
馬力荷重 73.70kg/ps

燃料容量 400リットル
潤滑油  リットル

最大速度路上 45km
路外                km
最大航続距離
路上         250?(300)km
未整地     
登坂能力  67%
超濠能力  2.7m
渡渉水深  1.2m
回転半径  信地
燃費   km/リットル
運行時間 h

武装  五式75mm戦車砲L56(7センチ高射砲の車載改造型)
              97式7.7mm車載重機×2
弾薬数     75mm65?(77)発
7.7mm重機用、5400発

「試製7cm半戦車砲(長)二型」の貫通力
射程距離  25 100 250  500  750  1000  1250  1500  2000
AP-HE                            75mm
一式徹甲弾6.615kg_850m/s、四式榴弾

五式戦車用に開発中の7.5cm砲を急遽搭載して実験した
名前は四式戦車砲ではなくて五式戦車砲になる。
重量2221kg、砲身重量1710kg、自動錯栓式ー6.5~+20

装甲(mm)
、         前面        側面                      後面
砲塔     75mm(75度) 50/35mm(80~75度)          50mm(70度)
車体上部 75mm(72度) 35/25mm(75度)/25mm(60度)  50mm(90度)
車体下部 50mm(75度) 25mm(90度)                20mm(30度)

三次元傾斜角度()上下方向、[]水平方向可変javaScript...
, 前面 側面 後面 砲塔天井20(11)[0]mm 砲前50(80)[65]mm 天井20(12)[180]mm 砲塔正面75(75)[0]mm 砲後35(80~75)[102]mm 後面50(70)[180]mm 車体 前部天井20(18)[0]mm 前部75(72)[0]mm  左右斜35?(75)[45]mm 上部20(18)[180]mm ノーズ50?(75)[0]mm  上部25(75/60)[90]mm 下部50(90)[180]mm 下部35?(30)[0]mm 下部25(90)[90]mm 下部20?(30)[180]mm 防盾75?(75)[0]mm 上面 20mm 底面12mm 「車体正面72度、車体上部側面75度、エンジンのある後方60度、」 (車体正面は、68度〜72度の間) 製造会社 三菱重工 生産期間 試作のみ 生産台数 2〜6両
対戦車戦闘用に試作された中戦車 97式から3式まではほぼ同じ車体を採用して いましたが。これは転輪を1つ増やしキャタピラ 幅も広げた新設計です。 砲塔は(当時流行の)防弾鋳造製でした。 大きな砲塔を鋳造することは技術的に不可能だったので 3分割して作り溶接してあります。 スタイルからみて被弾傾斜や曲面を付けるわけでもないのに 防弾鋳造にするのはまったく無駄です... しかも、鋳造製は鋼板より5%〜15%防弾力が落ちます... 装甲について追加... 四式戦車から陸軍の規格を無視して三菱は装甲板の製造を独自に行ないました... つまり、陸軍規格は小口径弾の試験だけを元に決められたため... 装甲は堅ければ良い(粘りが無いと強打されると割れる)となり... 外国製の高初速の対戦車砲弾で簡単に破壊されてしまいました... さらに... 軍のニッケルを3.5%添加する規格は、他の添加元素とのバランスを崩し... 焼戻しの過程で浸炭層と内部の境に顕微鏡的なひび割れが発生させ... 軍規格の水素が拡散しやすい溶接方法は装甲板にトドメを刺し... 走行中に各部に亀裂が発生して行軍中は、毎日溶接する必要がありました... (どんな小さな分隊でも修理部隊を分けて付ける必要があった...) (手先の器用な日本人でなければこんな兵器は運用できなかった?) 無知な官僚の作った規格は恐ろしい(-_-;)... 四式戦車からやっとまともな装甲板を使った戦車が製造されることに なったわけです(゚-゚)... 2000.0720 4式75mm高射撃砲(初速850m/s)は優秀なスウェーデン、 ボフォース社製のコピーでした。 制作が難しく70門しか作られていませんでした。 量産された八八式75mm高射撃砲(720m/s)を使ったほうが良かった という話がありますが... 陸軍は最後まで新型の砲弾を作ることができなかったようなので 簡単なAP弾でも大きな貫通力の出せる初速の大きな砲を使う ほうが重要でした... こちらの高射砲も高射砲を流用したのではなくて... たまたま高射砲と戦車砲に同じ元の捕獲兵器をそれぞれ個別にコピーして 使ったためで日本陸軍では他の兵科の兵器を使うことはできなかった... ドイツの88mmやソビエト85mm、アメリカの3インチ砲などどれも 対空砲の流用ですが日本陸軍は縄張り意識が強すぎて戦車用に対空砲を 流用することができずに独自に開発したため装備が遅れた... ということらしいです(-_-;)... 2000.0307 五式7.5cm戦車砲の開発「75mm戦車砲(長)」 1943年研究開始、設計図完成1944、4月、 (初速850m/sを要求、連合軍戦車を遠距離で確実に撃破できる砲として設計された) 四式戦車の主砲を57mm戦車砲から75mm砲に変更することになったため 急遽搭載することに仮決定 1945年、2月試作車完成「75mm戦車砲(長)U」(高射砲から戦車砲に改造) 1945年、3月伊良湖射撃場で弾道性能試験(機能不全発生、一応試射は可能) この時完成していた「75mm戦車砲(長)」は二門のみ? 結局試験中に終戦になり戦力化はできませんでした... データー 五式七糎半戦車砲 7.5cmL56口径、-6.5~+20度 重量2221kg、砲身重量1710kg 自動鎖栓式 弾丸重量6.615kg、850m/s 一式徹甲弾、四式榴弾 伊良湖射撃場、命中試験、500m 徹甲弾(10発)、着弾広がり13cm~15cm 榴弾(10発)、着弾広がり17cm四方 PANZER90.12号より
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