戦前のエンジン技術

統制型ディーゼルエンジン(一式戦車用)
ドイツに潜水艦で輸出されましたが...
日本の精密工業の水準がばれないようにヤスリ仕上げの無い
部品を選別するのに苦労したそうで...
とても自慢できるようなものではありませんでした。

日本のエンジンは、同一部品の大量生産品ではなくて製造工作機の精度が無いので
ピストンなど高温高圧を封じ込めながら稼動する部分は、一ピストンずつ
熟練工員がやすりで少しずつ削って合わせる手作業で作られていました...
(国産機械の摺動面磨耗は米国製品の十数倍で、わずか)
(1、2ヶ月で精度が急速に低下した...)
(精密な歯車などは米国製の輸入機械でしか作れず)
(ドリルなども外国制ドリルが楽々と開ける穴を)
(和製ドリルでは数倍の時間がかかり次々に折損した)
奥村正二、月間紙「バウンダリー」連載(専門は技術史...)

(旋盤などの簡単なものは国産できたが、)
(歯切板、フライス板などの高級工作機械は模倣すらできなかった...)

当然部品間に互換性は無く、戦闘機でも戦車でも前線でこの故障しやすい
エンジン、ピストンの修理という事態になったら熟練整備兵が手作業で
やすり掛けしながら分解、試運転を繰り替えしながら精度を上げて、
研磨仕上げをしなければなりませんでした...

コンパクトなディーゼルエンジンや戦闘機の2000馬力エンジンというものは、
当然シリンダー内に、今までより高温高圧を封じ込めて、往復運度させなく
てはならず...
今までより2桁ぐらいの精度アップが必要になり...

熟練工員のやすり仕上げでは精度が出せず戦場で整備兵がやっているように...
試運転と開放検査と研磨を何度も何度も繰り替えしてようやく安定する
手作りエンジンでした。

結局...
難しい精度が必要な烈風用のMK9Aエンジンはたった二基しか製造できませんでした
「疾風」の誉エンジンは、ベテランの熟練工を軍がどんどん召集して
工場の能力を落としてしまいながら生産数を増やせと厳命したため(゚-゚)...
(動員でやる気の無い農民と商人を送り込んだ)
(受入体制に無関係に大量に集めたため混乱して)
(宿舎は飯場のようになり、賭博、盗難、が横行した)
(生産を強行できたのは工場派遣憲兵に対する恐怖心)
(だけだった...)奥村正二、月間紙「バウンダリー」連載
専門は技術史...
(元々日本の工員(低賃金で)は今日ほど一生懸命働かなかった)

精度を上げる開放検査工程を省略して出荷されてしまい(゚-゚)...
一台も飛べない疾風部隊が現れるなどの大混乱を生みました(-_-;)...

捕獲したアメリカのP40戦闘機のエンジンル−ムがオイル漏れも
無く乾燥しているのを見て驚く話などが載っていますが

逆を考えれば日本の航空機は常に精度不足からくるオイル漏れ
や故障に悩まされたことに気付かされます...

戦前の
部品の精度を上げられないという、内燃機関の大量生産にとって致命的な欠陥は、
#
#
#

兵器神話、
兵器技術者が作り上げ、戦後の経済復興とメイド・イン・ジャパン
の高品質イメージと結びついてできた...
最近では、架空戦記ものに受け継がれている...
#
#
#

のせいであまり書かれなくなっていますが...

朝鮮戦争で米軍車輛の修理を請け負ってその高性能にカルチャーショックを
受けたことが、日本の製造技術の元になっている
#
#
#

伝統の空冷ディーゼルは...
シリンダー直径が大きくなると均等な冷却が困難になる技術上の限界がありました。
(寒冷地仕様に開発されたため、南方では、オーバーヒート気味で、)
(換気格子を全開にしている写真を多数見かけます...)
#
#
#

後知恵で考えると、2000馬力級のエンジンは、ピストンの中圧を上げずに
大型化した直径の大きな物を使うしかなかった...


途中で空ものになってしまったが(-_-;)...
高出力コンパクトなエンジンもだいたい同じようなものでした...

「日米の戦車を比較すると、フォードA型(20世紀初頭の初の量産車)と
最新のキャデラックほどの違いがある。
前車はたしかに自動車に必要な機能は備えている。しかし、後者に比べて
決定的に旧式であり、性能が不足している。特に注目すべき技術的特徴は
見当たらない...」
米国調査団報告書より...

戦史研究&戦車戦へ戻る