「戦争とは政治の継続」

「政治は戦争を生じせしめる。政治は知性であるが、戦争は単に手段であって、この逆ではない。従って軍事的観点は政治的観点の下位に立つことが唯一可能なこととして残る。」(8篇6章B)

「戦争とは政治の継続」は政治と戦争に関する第一の用語としては使えず、「戦争は政治の道具である」の下にある細かい説明の部分で使われている用語にすぎない。
継続から政治と軍事を同列にしたり、合理的に計算するものとの文脈から戦争肯定したりするのは、「戦争論」の拡大解釈にあたる。
国家運営術と戦争技術の主客転倒=> 「政治と軍事」


英語は意味が狭くなっている。
英語=>戦争とは政治の継続である。
ドイツ語=>戦争とは、別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である。
=>「戦略の歴史」ジョン・キーガンP14より





政治のユートピア的性格
(戦争論の政治は)社会全体の利害のすべてを代表し・・・さらに、そうあるべき政治行動(理想)をそうなる恐れのある政治行動(現実)から暗黙理に切り離している。
レイモン・アロン P84

クラウゼヴィッツの戦争理論中では理想の政治、政治家、軍人が使われていて 現実の薄汚れた世界のことは考えられていない。

政治は常に軍事の緩和要因として現れ、闘争の最中にも将来の永続的な平和の状態を考える
=>「政治と軍事」P52

戦争論中の政治は理想の政治、全社会の代表者としての政治であって、 為政者の功名心や虚栄心や私的利益などによって歪んだ状態は考えられていない。
=>「政治と軍事」P66戦争論P320

軍人も、最高司令官の命令を聞かず、巧妙心や職務上の競争心が政治に有害になるような 状態は考えられていない。






つまり、
戦争論は狭い戦争理論だけを問題にしていて、戦争論から逆に政治を論じることはできない。

戦争論の範囲=>マイケル・I・ハンデル「戦争の達人達」P44
戦争術は政治の教師ではない=>ゲルハルト・リッター「政治と軍事」P66




P14ジョン・キーガン「戦略の歴史」
戦争とは、別の手段による政治の継続ではない。・・・クラウゼヴィッツは実際には、こう記した。戦争とは、「別の調停手段を伴う政治的な取り引きのdes politischen Verkehr mit Einmischung anderer Mittel」継続である。ドイツ語の原文はしばしば引用される英語の表現より、はるかに微妙で複雑な考え方を表現している。

(ジョン・キーガンは、クラウゼヴィッツはヨーロッパ中央集権国家の専任士官階級という枠の中から出ることができず。戦争とは何かという問いに対する彼の答えには欠陥がある。「戦争とは政治よりはるかに広い領域を含み、その社会の文化的形態である。」としている。)
(しかしこの考えは、戦争論は未完成だから、付着しているごみを研究して取り退け、使える理論を拾うより、みんな捨ててしまえ。と言っているように思える。)(彼の戦争文化の研究はみごとだが...)
(政治の継続と言う書き方は、拡大解釈されて使用されているので、こういう書き方も有効かもしれないが、使えるように理論を整理すると...
戦争論で考えられている部分は狭く、戦争術が主で政治指導などには使えず、戦争の倫理や戦争を始めるかどうかということも考えられていない。(これで拡大解釈を防ぎ)「戦争は政治の道具である。」の政治は、かなり大きなもので一国のすべての挙動(政治家の行動や国民の動きなども含んだものなので文化的要因もここに含ませることができる...民主主義、全体主義、宗教政治、(合わせて国民が政治の主体か?ただの資源か?も考える必要があるが...)キーガンの非難は、拡大解釈に向けるべきもの?)


P66政治と軍事、ゲルハルト・リッター
彼がそれについて自分の考えを明白に表現しているのは、私の見る限り、1箇所だけである。

岩波(下)P320(8篇6章B)
政治と言うからには、内政の一切の利害関係や人間の存在に関する一切の利害関係ばかりでなく、およそ 合理的に考えられ得る限りの一切のものは、すべて政治において合一されまた随意に調整されるということが前提とされている。実際、政治はそれ自体としては無であり、他国に対してこれら一切の利害関係を主張する代理人にすぎないのである。政治が時に誤った方向をとり、殊更に統治者の名誉心、個人的利害関係、虚栄心などに仕える場合があるにせよ、そのようなことをここで問題にする必要はない、いずれにせよ戦争術が政治の教師と見なされるようなことはあり得ないからである。それだからここでは、政治を社会全体の一切の利害関係の代表者と見なしてよい。

・・・クラウゼヴィッツは政治の本質的任務を国民の共同体的利益の外部に対する代表として考えている・・・

P43
軍人にとって最高の徳性であるものが、政治家にとっては無責任な大胆さを意味したからである。

P42
不可能な事でも敢えてする英雄的な戦闘意思・・・それは最良の軍人的伝統である、それはプロセイン-ドイツの軍を多くの勝利にまで、それをはるかに超えた所まで導いた。
しかし、それが政治的原則となったところでは、第一次世界大戦やヒトラーの時代のように、ドイツの軍を救いようのないほどの破滅に導いたのである。

P49政治の優位 彼は大きな決断をもって政治の優位を主張する。 「政治は戦争を生じせしめる。政治は知性であるが、戦争は単に手段であって、この逆ではない。従って軍事的観点は政治的観点の下位に立つことが唯一可能なこととして残る。」(8篇6章B) この事はこの書物の総合的脈略からのみ理解される。

P52
戦争はしかも孤立した行為ではなくて、それ以前の国民生活に直接つながっているのである。戦争はまた自己完結する現象ではなくて。
「戦争の後に続く政治状態が推測によってすでにその戦争に反作用しているのである」第一編一章、6
戦争の後に続く政治的状態は、明らかに政治が舵をとる平和的な継続的秩序である。 ・・・
彼は政治による戦争指導(Kriegsleitung)の在り方について、それが戦争中にすでに後の平和秩序に対して考慮を払うことを最小限度の課題として期待する。 彼は、明白かつ顕著に、戦争を孤立化した現象と考えることを(根本的に誤った観念として)拒否する。


戦争論の範囲について...(戦争発生、外交、経済、などは範囲外)
「戦争の達人達」マイケル・I・ハンデル
P44、「4章戦争の定義ー分析レベルの問題」
「孫子が主として最も高い戦略レベルにおける戦争の遂行に関心を示しているのに対し、クラウゼヴィッツはより低いレベルの戦略的/作戦的な戦闘に焦点を当てている。誤解を招きやすくしているのは、クラウゼヴィッツが、政治が最優先という彼の考え方が最もよく知られている一方で実際には、戦争の最も高いレベルの議論、すなわち、戦争の発生につながる外交とか経済環境については相対的にほとんどスペースを割いておらず「戦争論」の範囲外にしているという事実にある。」



ゲルハルト・リッターの「政治と軍事」全4巻
1740年〜1945年までのドイツ史、政治と軍事の対立関係に焦点を当ててドイツ史の見直しを目的に書かれた。
スタートは、クラウゼヴィツの歴史的命題「戦争に対する政治の優位」から始まってルーデンドルフの逆の命題に到達するまで...

新庄宗雅の部分訳、諸論、三章、八章

「政治と軍事」−ドイツミリタリズムの問題−
ミリタリズムの定義
P6
軍事の過度の優越と過大評化によって、国家運営術と戦争技術との関係が不健全になった状態を言う。
政治の闘争的側面が一方的に過大強調され、戦争遂行に必要な技術的必要(実際・自称を問わず)が平穏な国政運営の考慮に対して優位を獲得する状態。

ルーデンドルフ=>軍事に対して政治が優位に立つと言うクラウゼヴィッツ理論の逆転
アドルフ・ヒトラーの基礎とした理論
両者は恐ろしい結末と災害をドイツと世界にもたらした。

P17
この研究はその当時われわれを酷く悩ました問題、わがドイツ国民、数世紀の間 西洋諸国民に伍して最も平和愛好的な国民として過ごしてきた国民がヨーロッパ及び世界の恐怖の的となり得たこと、そしてヨーロッパの古い秩序の破壊者として歴史に生き続けるような暴力的人物と冒険者を喝采したこと、こうした事がどうして起こったかという問題を解明するに役立つことを願った。
P18
「ミリタリズム」という言葉は、我々の時代の最も曖昧な、したがってまた最も混乱を招き易い標語の一つである。真の軍人精神とミリタリズムは同じものではないという洞察、この二つは個性的態度とわがまま、勇敢な自己主張と粗野な猪突猛進、忠誠と卑屈な従属、真の力と粗野な暴力と同じように互いにはるかに違ったものであるという洞察はますます曇らされてしまった。
ここで書物の副題の中で「ミリタリズム」の意味しているものはすでに証明したところである。
それは、政治を潜称するところの好戦主義者の一面的支配である、けだし好戦主義者はすべての国家秩序の最も本質かつ最高の課題を誤認しているからである。従って次ぎのことを探求しなければならない、

ドイツにおいて国家運営術と戦争技術との自然的関係は結局まさに転倒するに至ったが−政治的戦争から戦争的政治への道(それはこのように定式化することができるだろう)−しかしいかにしてそうなったかの問題である。この道は同時に軍人の軍隊から軍事化された国民に進んだ。両者は相互に密接に関連している、しかしそれは同一ではない。けだし防御力を備えた国民と軍国主義化した国民との間にはなおやはり一つの相違があるからである。

「ミリタリズムは政治の好戦主義者による一面的支配」
「国家運営術と戦争技術の関係の転倒」
「軍人の軍隊から軍事化された国民」
「防御力を備えた国民と軍国主義化した国民」


「ミリタリズム」の説明と「軍事と政治」の解説用
第8編「政治」用の資料に使用予定...


「戦争は政治の道具である」

英単語が違うのに、レクラム版も清水訳も手段に書き換えて意味を弱めている。



清水訳、中公文庫(上)P63(下)P521、526、532
レクラム版、P46、P341


カルル・フォン・クラウゼヴィッツ
経歴... クラウゼヴィッツの誤用... フランスの将軍の悪例
二種類の戦争(Die deppelte Art des Krieges)
初版本(first edition)
第1篇 戦争の本質について
「戦争とは政治の継続」
用語=>「絶対戦争」
文章集積

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