◎儀式化した戦争について

・・・ターネハイは未熟な状態だと強調するが、未開種族の戦争は狩猟技術の延長で、包囲、おとり、罠、追い込み、など戦術的に侮れない部分が多い。

人間同士の戦いは儀式化して死傷率を下げるといった方向に向いている。

儀式化した戦争は、ギリシャやローマなどの軍隊が形成された時期の方が大きな影響を与えている..。

この時期の戦争はまるで決闘のように両軍で戦う場所を決め日時を指定して集まり両軍激突して雌雄を決した..。

つまり、戦術や戦略から筋肉や肉弾戦のパワーを上げることが戦に勝つために必要だと思われていた。

だからスキピオやハンニバルが僅かな戦術を用いただけで大勝利を収めることができた。
ハンニバルの奇襲やスキピオの準備が整う前の敵軍への強襲など


戦士階級が行う戦争はこういった傾向のものだった。

武士も同様で鎌倉時代には戦場で相手の装備から地位を判断して同列の敵と一騎打ちを行った。(戦場で、勝つためには数人て一人にかかるのが簡単で確実な方法なのに..。)

武士全体がこうした儀式化した戦争の中にいた。だから、戦術的要素を重視して、奇襲や詭計で勝ちまくった、源義経の「卑怯な戦法」は、武士たちに理解されず、孤立化し味方を得られぬまま滅んでいくはめになった。

(だから現代では武士道ってやつは(指揮官に対しては)実戦には向かない遅れた考え方と言って良い。)

((戦争論、攻撃)戦場で勝つ一番確実な方法は相手より優勢な兵力を実際に戦われる戦場に集めることである。(戦略のチェス的要素)そのためにあらゆる方法が試みられる。そんな場面で正々堂々とか1対1とか言い出すやつは敵より前に銃殺しとくべきである。)


フランス革命後や孫子の兵法の書かれた時代の中国などが一時的にこの儀式化によるタガが外れて本気で殺し合った時代。

宗教戦争、信仰の力を利用した戦争もこの部分に入る。
十字軍、イスラムの拡張期の戦いなど



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