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このCDは2003年12月、カフヤリ・ツァマニが行ったアヤワスカの儀式での音楽と歌(イカロ)を録音し、スタジオで編集したもの。10曲、約74分。
シャーマンとしてのカフヤリ・ツァマニ 彼は、治療の歌とヨポ(Anadenanthera peregrina) とアヤワスカの使用に関しては、オリノコ地域のシクアニ族のフルナミラニに弟子入りして学んだという。また、アヤワスケロ(アヤワスカの呪術師)としてはインガ族のシャーマン、ルイス・フローレス(プトウマヨ地域)、ケメンツァ族のシャーマンのマルチン・アグレーダとシオナ族のフランシスコ・ピアガ(ともアマゾン地帯)から学んだという。マンベアドール(コカとタバコを神聖なものとして扱う者)としては、ヌイナネ族のホセ・ガルシアとウィトト族(アマゾン地帯)のオスカー・ロマンから学んだという。 アヤワスカについてカフヤリ・ツァマニの言葉 アヤワスカは熱帯雨林で自然に育つ植物。その名はケチュア語のふたつの言葉、「アヤ」と「ワスカ」から成り立っている。アヤはエネルギー、祖先、霊を、ワスカは蔓(つる)、ひもを意味する。アヤワスカは祖先の霊のエネルギーをもつ蔓植物なのである。
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マリア・サビーナはメキシコのマサテク族の女性シャーマン。コロンブスのはるか以前からずっと続いてきた「聖なるキノコ」の儀式を1955年、はじめて"白人"の研究者ゴードン・ワッソンに授けた伝説的なシャーマン(呪術師)として知られている。 マリア・サビーナと不思議なキノコの物語
1955年6月29日、菌類研究者のゴードン・ワッソンと同行したカメラマンのアラン・リチャードソンはサイケデリック効果のあるキノコを用いたヴェラーダ(夜の儀式)に参加した。 ワッソンは、メキシコのオアハカ州の丘陵地帯で3年間、このキノコの探索を続けてきた。待ちに待ったこの儀式はオアハカ州の辺鄙な村、ウアウトラ・デ・ヒメネスの草葺き屋根の土で作られた小屋で執り行われた。 ワッソンらはそれぞれ6つのペアのキノコ(Psilocybe caereulescens var. mazatecorum)を摂取した。約一時間後、二人は色彩豊かな幾何学パターンや宮殿、建築物のような光景のヴィジョンを体験する。マリア・サビーナは自らもキノコを口にして、夜の闇の中で呪術的な歌を口ずさんだ。彼女はアステカ時代にさかのぼるキノコを用いた呪術を伝承していた。 ワッソン夫妻は、在野の学者であったが、キノコが人類文化に与えた影響を研究する民族菌類学という分野の創始者として知られる。ウォール街の名門銀行J.P.モルガンの副社長というのがワッソンの肩書きであった。 ワッソンから少しさかのぼると、第二次世界大戦の前、1938年にこの種のキノコと西欧の人類学者との最初の遭遇があった。アメリカの民族植物学者として著名なリチャード・エヴァンス・シュルツは、その標本を調べ、翌年、ウアウトラ・デ・ヒメネスを訪れてキノコを採取した。しかし第二次世界大戦の勃発によりシュルツは戦略物質のゴム抽出に研究テーマを移すことになる。後年、シュルツは人間の精神(心)に影響を与える世界中の植物を調査しまとめあげる。 ワッソンの体験は、雑誌「ライフ」(1957年5月13日号)に「マジック・マッシュルームを求めて」というタイトルで掲載された。記事は多くの人々の関心を集め、このキノコの存在は西欧社会に知れわたった。 記事に注目したアメリカの心理学者ティモシー・リアリーをはじめ、数え切れない人たちが同種のキノコを試そうとした。1960年、ティモシー・リアリーはじめて同種のキノコをメキシコで体験して深淵な宗教的体験をする。後にティモシー・リアリーは学者を辞めLSDの世界の探求者、伝道者として「サイケデリック・リボルーション」の代表的人物となった。 マリア・サビーナは彼女のもとを訪れた外国人を無垢に受け入れ、呪術師の「秘密」(キノコの儀式)を公開したが、それにより彼女の人生は変わり、サイケデリックスと人間の歴史に大きな影響を与えることになった。 「ライフ」の記事のなかでワッソンはマリア・サビーナのプライバシーを守るため「エバ・メンデス」という名にしていたが、すぐに本名は分かってしまった。彼女の名前は世界中に知れ渡ったが、それは彼女に災難ももたらした。彼女の家は焼かれ、土着の人々の古くからの秘密であるテオナナカトル(神の聖なる肉体=キノコのこと)の儀式を外部に漏らしたとして村はずれに追放された。 マリア・サビーナはその後、何十年もの間、キノコを用いた呪術的な技法を実践し続けた。彼女は1985年に91歳で亡くなったが、メキシコの伝説的人物となった。
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