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[サイケデリクス]

5MeO-DMTを喫煙したときの体験

S.N  

  (まず、今回摂取した物質について、僕は成分の確認をしていないが、効果が5MeO-DMTと酷似しているので、5MeO-DMTと思われる)。
 
 午前9時、ふとんの上に座り、少量を水パイプで一気に吸い込み、息を止める。3、4度むせる。10秒もたたないうちに体中から力が抜けていく。そして布団にフラッと倒れる。体を動かせなくなる。全てが止まった。思考も時間の感覚も止まり、世界の中で自分だけ完全に停止してしまったような感じだ。それをただ感じている。いやその状態に恐怖を感じていた部分もあった。「絶対に戻れる」と自分に言い聞かせたり、「この状態でずっと生きていくことになったら、やばいな」などと考えてもいたのだ。意識の大部分が停止して、まだ停止していない部分が考えていた、というのが一番合った表現かもしれないが、この状態を正確に表すのは、自分でも理解できていないし、難しい。
  体から血がサーッと引いてしまったような感じ。キーンという音の中、自分は動けな
い、冷たい感じ。その状態に抵抗しようとすると苦しくなる。
  布団に倒れてから程なくして、多分、意識を失った。気がついたときは反対方向に寝ていた。(意識を失っている間に体が動いていたとは不思議だ) 頭がサーッとした感じ。呼吸がかなり激しくなっていた。それは数分続いた。
  ここまでのトリップはかなり強烈なもので、それから僕は日常に生かせるようなこと、自分の精神を高めさせるようなことを学ぶことはできなかった。
  そしてトリップの後半……。
  もう動けるようになった。思考が消えている。マインドが考えられないくらいすっきりと澄み渡っている。しかし、トリップの強い段階と違い、自分の意思で動き、考えることができる。静かだ。同じ世界でも、自分の意識状態が違うだけでこんなにも静かに感じるのか。起き上がって座る。「ただ」座っている。「瞑想をしよう」と思い立つ。ほかの思考はない。余計な思考がないのだ。禅の本によく書かれている、「あるがままのものを、あるがままに見る」というような感覚に似ていると思った。純粋に今の行為を感じ、純粋に考える。
  つまり普段は本当に余計な必要のない思考が多いのだ。しかし、それらの思考が消えた状態にいても何も困ってことは起きていない。この状態は思考の量が少ないために普段と比べて頭が疲れない感じがする。思考にはエネルギーが使われていることを実感した。普段は余計な思考に無駄なエネルギーが費やされているのだと思う。 心は落ち着き、静かである。ひざの上に手を置く。純粋にひざの上に手を置いたのを感じる。普段は手を置きながらほかの事に気をとられているのだろう。明らかに感じ方が違う。思考がないという状態になんら不安を感じない。それから次第に普通の状態へと戻っていった。時間は20〜30分ぐらいだったと思う。
 
  夜、坐禅をする。(サイケデリクス等は使用していない)
  すぐに思考が消える。しかし強烈な状態ではなく、トリップの終わりかけの状態に似ている。
  いつも瞑想するとき、少し思考が消えても、不安、恐れ、いらだち、何も考えていないことを考えてしまい、またその状態を維持しなければというようなストレスを感じ、また思考があふれてくる。
  しかし今、思考がなくなってもそういった感情はない。5MeO-DMT体験により、思考のない状態が、安心できる、リラックスした状態であると体験として知ったからだ。何も考える必要はないのだ。先のことを意識することで苛立ちが生じる。
  「今」にただ落ち着いていればそういった感情は起こらない。
 
  「今」に落ち着くと時間の感覚は希薄になる。
  それはトリップの後半で強く感じられたが、5MeO-DMTの体験において重要なことは思考が静まることであって、時間の感覚の停止はそれに付随するもので、それ自体は重要ではないと思う。
 
  この体験から学んだ、「余計な思考を止めること」を日常生活に生かせるのならば、かなり意義のある体験だと思う。しかし僕はこの体験を生かせていない。以前と同じ生活を続けている。これでは意味がない。また、摂取するとき、僕はそれなりに真剣な気持ちでやるんだと思っていたが、トリップに少なからず危険性を感じたこと、成分の確認をしなかったこと、体験から学んだことを日常で生かしていない点で、やはり自分の今回の5MeO-DMTと思われる物質の摂取はいま振り返ると課題も残しているように思う。

[サイケデリクス]