[マリファナ]

カール・セーガンのマリファナ体験記(抜粋)

 1999年8月、米国の著名な天体物理学者、故カール・セーガン(1934-1996)が科学的な洞察や随筆などの着想に役立つとして、ひそかにマリファナ(大麻、カナビス)を愛用していたことが報道により明らかにされた。
 セーガンはレスター・グリンスプーン医学博士の1971年の著書『MarijuanaReconsidered』(マリファナ再考)のなかで、「ミスターX」の仮名でマリファナ体験を綴っている。本書はマリファナの効能と危険性を科学的に分析した最も優れた研究書であるとの高い評価を得てベストセラーとなり、1994年には復刻版も出ている。以下は、レスター・グリンスプーン医学博士からの許可を得て、セーガンの体験記を翻訳したものの抜粋である。全文は「オルタード・ディメンション」誌の7・8合併号に掲載されています。

翻訳:麦谷尊雄
※本文中の〔 〕は訳注を示す。


 すべては約10年前にはじまった。当時、私は人生を通じて最もリラックスできる時期に差しかかっていた──科学よりも実生活に多くの価値を見い出し、社会的意識と友好的な人づきあいに目覚め、新しい体験を受け入れるようになった。……
 最初はあまり気が進まなかったが、カナビス〔マリファナ=大麻〕が生み出す明らかな多幸感と生理学的依存性がないという事実から、ついに試してみようという気になった。しかし、初期の体験は完全に期待外れだった。効果が全く感じられず、カナビスの化学的作用に疑問を抱き、期待と過呼吸によって作用するプラシーボにすぎないのではないかと思いはじめていた。
 しかし、5〜6回失敗を繰り返した後、とうとうそれは起こった。私は友人宅の居間であおむけになり、天井に映った鉢植えの植物(カナビスではない!)の影を眺めていた。すると、突然、その影を輪郭とする複雑で精密なミニチュアのフォルクスワーゲンを見ていることに気づいた。私はこのような知覚に疑問を感じ、実際のフォルクスワーゲンと自分が天井で見ているものとのあいだに矛盾点を見つけようとした。しかし、ホイールキャップからナンバープレート、クロムメッキ、そしてトランクを開けるための小さな取っ手にいたるまで、ありとあらゆるものが揃っている。目を閉じると、今度はまぶたの奥に流れる映像に唖然とした。ピカッ……赤い農家のある素朴な田舎風景、青い空、白い雲、緑の丘から地平線へとつづく曲がりくねった黄色い歩道……ピカッ……同じ光景、オレンジ色の家、茶色い空、赤い雲、黄色い歩道、紫色の野原……ピカッ……ピカッ……ピカッ。心臓の鼓動に合わせて閃光が走った。閃光につづき同じ素朴な光景が映し出されたが、色は毎回変わっていた──最高に深い色合いと驚くばかりに調和の取れた配置がそこにはあった。それ以来、私は機会があるたびにカナビスを吸うようになり、すっかり楽しんでいる。カナビスは我々の眠っている感覚を増幅し、後述するようなさらに興味深い効果を生み出す。……
 ところで、私はこれらが「実際に」存在すると思ったことは一度もないことを付け加えておきたい。天井にフォルクスワーゲンが存在することもなければ、炎のなかに火トカゲ(火のなかに棲むことができると信じられた伝説上の動物)のようなサンデマンの紳士がいないことも理解していた。これらの体験に矛盾を感じることはない。自分のなかには、日常の生活からすれば奇妙に思える知覚を創り出している創造者としての部分があり、同時に観察者としてそれを見ている別な部分がある。……
 はじめのころは視覚的な体験がほとんどで、不思議と人間をイメージすることはなかったが、それも時とともに変わっていった。今日ではジョイント1本で十分にハイになれる。自分がハイになっているかどうかは、目を閉じたときの閃光の有無で確認できる。閃光は視覚やほかの知覚が変化するよりもずっと早く生じるようだ。……
 カナビス体験は、これまであまり興味をもつことがなかったアートに対する理解を大きく高めてくれた。ハイになっているときにはアーティストの意図が理解できるようになるが、それが通常の意識状態にまで持ち越されることがある。これはカナビスによって到達できる、数ある人間の未開拓領域のひとつなのだろう。
 同じように、カナビスのおかげで、音楽もこれまで以上に楽しめるようになった。私は生まれて初めて三重和声の各パートを聞き分けられるようになり、対位法(独立性の強い複数の旋律を調和させて楽曲を構成する作曲技法)の豊かさに気づいた。後になって、プロの音楽家は同時に数多くの異なるパートを容易に頭のなかに留めておけることを発見したが、私にとっては初めての体験だった。……
 食べ物はとても美味しく感じられ、ふだんは忙しすぎて気づかない味や香りが突出する。そして、こうした感覚に全神経を集中させることができる。ポテトの触感、質感、味はほかのポテトと変わらないのだが、それがずっと豊かに感じられる。カナビスはセックスの快感も高めてくれる。感覚がきわめて鋭敏になる一方で、オルガスムは遅延する──目の前を数多くのイメージが横切り、注意がそらされるのだ。実際にオルガスムが長時間持続するように感じられるが、これはカナビスを吸ったときによく見られる時間の拡大を体験しているだけかもしれない。……
 私は厳密には自分自身を信仰深い人間とは思っていないが、ときどき、宗教的側面をもつハイを体験することがある。あらゆる面で感性が高められ、有生無生にかかわらず、周りにあるものとの霊的な交わりを感じる。ときには、常識ではとても理解できない存在の到来を知覚することもあり、恐ろしいまでにはっきりと自分や同類の人々の偽善的行為や態度が明らかにされる。また別の意味で不合理な感覚として、遊び好きで気まぐれな意識の存在を知覚することもある。どちらとも意思の疎通が可能であり、これまでで最も報いの多かったハイでは、会話、知覚、ユーモアを分かち合うことができた。……
 ハイになっているときに過去に遡り、子供のころの思い出、友人、親戚、遊び道具、街なみ、匂い、音、味などを思い出すことができる。また、当時は半分しか理解できなかった子供のころのできごとでも心に再現することができる。すべてがそうであるとは限らないが、私自身のカナビス・トリップには、とても意味のある象徴的意義が内在していることが多い。……
 カナビスのハイには、ある種の神話として信じられていることがある──カナビスを吸うと、とても重要な洞察が得られたように錯覚するが、朝になってもう一度よく考えてみると、実はたいした意味がなかったというものだ。私はこうした考えは間違いであり、ハイな状態で得られる圧倒的な洞察こそが真の洞察であると信じている。このような洞察を次の日に平常心に戻ってから、全く異なる自己が受け入れられる形に当てはめようとすることが問題なのだ。……
 ハイになっているときに得られる洞察は社会的問題に関するものがほとんどであり、自分に馴染みの深い分野とは全く異なる創造的な学術領域である。ある日、ハイな状態で妻と一緒にシャワーを浴びているときに、ふと人種差別の起源と無効性をガウス分布曲線を用いて表すことを思いついた。ある意味でこれは明白なことだが、これまでに議論されたことはほとんどなかった。石鹸でシャワー室の壁に曲線を描くと、その考えを書き留めるために部屋へ戻った。アイデアが次々と浮かび、およそ1時間にわたって一生懸命努力した結果、社会問題、政治、哲学、人間生物学など11編の広範囲にわたる小論文を書き上げていた。紙面が限られているため、これらの内容について詳細に述べることはできないが、一般の反応や専門家の論評など第三者の評判から判断する限りでは、ある程度説得力のある洞察が内在しているようだ。私はこうしたアイデアを大学の学位授与式、全学共通講義、著書などにも使ってきた。……
 カナビスは自己滴定量の調整にたいへん優れている。少量を一息ずつ吸うことができ、煙を吸いこんでから効果を感じるまでの時間が短く、ハイになってしまえばそれ以上ほしくならない。私は効果を感じるまでの時間と過剰摂取に要する時間との割合Rを重視すべきだと考えている。(自分では試したことはないが) LSD のR値は非常に大きく、カナビスのR値は小さい。サイケデリック・ドラッグの安全性を示すひとつの基準として、このR値を採用すべきである。カナビスが合法化された暁には、こうした数値がパッケージに記されることを期待する。そして、それが遠い未来でないことを私は望んでいる。カナビスを非合法のまま放置し、平穏な心と洞察力、そして、ますます狂暴化して危険な方向へと向かっているこの世の中に必要な感性と親交を生みだすドラッグの有効活用を妨げるのは邪悪な行為である。

(この文章の全文は「オルタード・ディメンション」誌7・8合併号に掲載されています)

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