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[植物の文化]

ザクロ(石榴)……御会式(おえしき)の露店


御会式のザクロ売りの露店。「甲州名物 虫切り妙薬」と書かれている。ザクロは昔、民間療法の駆虫薬であった。
 御会式の露店にザクロ売りの店が出ていた。御会式は、毎年10月12日の夜、大田区池上の本門寺で行われる開祖、日蓮の法要でそれにあわせた万灯練り行列が有名である。この行事は、1282年10月12日に日蓮がこの地、池上で亡くなったことに由来している。約30万人の参詣者が沿道を埋める。
  五重塔を模した、灯りのついた万灯に江戸時代の火消しの纏(まとい)を振って、団扇太鼓を叩き、題目を唱える賑やかな行列が次々に現れる。派手で威勢がいい。はじめて見たとき、これは和風カーニバルだと思った。
  東急線の池上駅の手前から本門寺まで2キロほどが万灯練り行列のコースで、道の両側にはたくさんの露店が並んでいる。その中にザクロを売っている店もあった。調べていくと法華経の守護神とされている鬼子母神の好物がザクロだということから売られるようになったようだ。
 
  5〜6年前に来たときは、ザクロの露店が何軒かあった。裸電球の下で赤っぽい肌色の瘤(こぶ)のような果実がたくさん並んでいる光景は物珍しかった。他の場所ではザクロの露店売りなど見たこともないのでよく憶えている。
  今年(2006年)は1軒しか目につかなかった。その露店をやっていたのは、山梨から来た農家の一家で、聞いてみるとザクロは栽培しているのではなく家の木に実ったものを採ってきたのだという。中ぐらいの大きさのザクロが1個350円だった。
 
  1980年代の末に出た本には「(参道の)両側にざくろや柿、火伏せの纏(小型の纏)や小型の万燈そして炒り豆・金太郎飴などを商う露店の並ぶその間を、大勢の参拝人の見守るなかでの練り行列は、秋の風情を醸し出すものでもある。」(『仏教行事歳時記 10月』/第一法規出版/1989)という記述がある。その頃は、ざくろの露店はたくさんあったようだ。
  今年、柿を売っていた露店は気づかなかった。ザクロの露店も十数年前から減り続けてきたようだ。日本のザクロは果実としてはそれほど人気がない。どうもザクロの露店は絶滅寸前のようだ。
  御会式に限らず各地のお祭りや縁日、昔からの市で、お好み焼きやたこ焼きの露店ばかりが目立つような気がする。そんな画一化が進む一方、ザクロ売りのような庶民の信仰と結びついてきた露店が消えてしまうのは寂しい。
 
●鬼子母神とザクロ

入谷の鬼子母神(真源寺)の境内にはザクロの樹が植えられている。枝にはおみくじがたくさん巻かれていた。
  鬼子母神は、インドの仏教説話に出てくる女の神様で、1000人の子供を産んだが他人の子どもを取ってきて食べてしまうというとんでもない鬼神であった。仏はそんな行いを改めさせるため鬼子母神の末子を隠してしまった。鬼子母神は最愛の子どもがいなくなり動揺し、仏に子どもが帰ってきたらこれからは人の子を食うことを止めると約束し、それからは安産の守護神になったという。
  江戸時代には子授け、安産、育児の神様として庶民の間で鬼子母神信仰が盛んになった。日蓮宗では信者の守護神とされているので日蓮宗のお寺にはよく祀られている。
ザクロを割ると、ルビーのような真っ赤で半透明の粒がびっしりくつついている。
  仏は鬼子母神に今後、人肉が欲しくなったらザクロを食べよと諭したといわれている。そんなことから鬼子母神にはザクロを奉納するようになった。なぜザクロかというと、人肉の味がすると本には書かれている。味の方は分からないが、熟すると実が裂けて内部の鮮血のような色をした種粒がびっしり見えるのは生々しい感じがして、人肉を連想するのも分からないでもない。
  日本の俗信には、ザクロを家のまわりや内庭に植えるのを禁忌(タブー)としている地域が広くある。そのなかでも「血を見るようなことがある(長野)」「身が裂ける(熊本)」「鳥取では、ザクロの実は若仏が好む、或いはザクロの実は死人の香がするという」といったものは鬼子母神の説話に由来していると思われる(『日本俗信辞典』鈴木栄三/角川書店/1982)。
 
●ザクロのイメージ

  ザクロ科の落葉樹。西南アジアで最も古くから栽培されてきた果樹で、西域から中国に伝わり、日本には平安期以前にもたらされた。観賞用、食用、薬用に栽培されてきた。昔はザクロの果実の液で鏡を磨いたという。古い時代、鏡は金属の面を使っていた頃のこと、鏡が曇るとザクロの酸で磨いた。
  種が多いことから古代ギリシア、ローマでは豊穣のシンボルだった。種が多いという特徴は、中国ではハスとともに子孫繁栄のシンボルになり、結婚式の祝宴に供された。
  古代ギリシャ人たちがザクロに懐いていたイメージが、シルクロードを延々人づてに伝播し中国人に伝わったとは考えにくい。ザクロの実物を見れば誰でも同じような連想をするということではないか。遙か遠く離れている土地でも同じ物を見たとき人間は同じような連想をするという実例だと思う。
  ザクロ=豊穣、子孫繁栄といった連想は、類感呪術のベースになっている。類感呪術は、類似したもの同士は互いに影響しあうという発想を応用して目的を実現しようとする呪術で、現代では迷信と見なされているが、古代の人々にとってはノーマルな考え方だったはずだ。
  縁起担ぎも類感呪術に含まれる。正月のおせち料理に数の子が入っているのは子孫繁栄をもたらすという呪術的な発想だ。ザクロも数の子も粒がびっしり詰まっているところはよく似ている。
 
  先ほど日本ではザクロを植えることを禁忌とした地域があると書いたが、一方でザクロを植えると繁栄する、子宝に恵まれるという言い伝えが遺っている地域もある。ある土地では不吉な木、別の土地では吉木と正反対。先ほどのギリシアと中国の話しとは大違い。
  実は両方とも鬼子母神の説話に由来しているようで、つまりザクロの実物ではなく説話という情報からもたらされたイメージだ。鬼子母神は子どもを食べる怖い神様という面と、反省した後は安産の神様になっという両面を併せ持っている。同じ情報を基にしても、どの部分をクローズアップするかでザクロのイメージがポジティブなものになったり、ネガティブなものになったりする。
 
●民主主義のシンボル

秋、ザクロの樹。果実の先に宿存萼(しゅくぞんがく)というへたがついている。
  昔のヨーロッパの王様が頭に王冠を被っている姿は絵画や劇、映画によく出てくる。山型のギザギザが付いている冠。KLMオランダ航空のシンボルマークやリヒテンシュタインの国旗に王冠があしらわれている。ともに王様が元首の国だ。王冠はザクロをヒントにして生まれたのだという。
  3000年前、古代イスラエルの第3番目の王ソロモンはザクロの実の宿存萼(しゅくぞんがく)を見て、そこから王冠を思いついたのだという。ザクロの果実を見ると、丸い瘤(こぶ)のような実の先っぽに山型をしたへたが付いている。それが宿存萼(しゅくぞんがく)。確かに形はよく似ている。ソロモン王以来、王冠は王位のシンボルになった。
アリスのかぶっている王冠はザクロのへたによく似ている。
  王冠は最高の権威を誇示しているといっても、もともとはザクロのへたのコピーだというエピソードは、アンデルセンの裸の王様のお話しみたいで面白い。
  一方、ザクロは民主主義のシンボルにもなった。王様と民主主義ではまるで正反対。どうして民主主義と結びつくのかというと、ザクロで食べるのは実の部分、へたは食べられず、おまけについているだけだからへたはなくても問題ない。というわけで、へた=王冠=王様はいらないという意味が込められている。
  時代が新しくなるにつれ、同じ形を見ても解釈次第で正反対の意味になるといった現象が起きるようになってきた。


王冠みたいに見えると地元では有名な駒沢給水塔。自転車で2〜3分のところにある大正時代の建築物。


ザクロの樹の隣に立っている石碑の上で昼寝をしていたネコ(入谷、真源寺)。

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