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[植物の文化]

ひょうたん(瓢箪)……ひょうきんな実


 10月14〜15日、渋谷の代々木公園で開かれたアースガーデンに出展した。秋晴れの会場を見て歩いてたら、ひょうたんで作ったアフリカの楽器やペルーのかわいい入れ物を見かけた。ひょうたんの丸っこくて腰のくびれた妙な形は面白い。実の中味をくり抜いて水や酒を入れる容器にし、縦半分にカットすると柄杓(ひしゃく)になり、横にカットすると椀になる。調べてみるとひょうたんは人類が最初に用いた容器だった。

ひょうたんの展示をしていた「モダンひょうたん モヒョ」さん。アフリカを旅していたときにひょうたんに出会い、日本でもっと、ひょうたんを広めたいと活動をはじめたそうです。
手作りのひょうたんスタンド。灯りをともすと光と影が幻想的な雰囲気をかもしだす。
バラフォンをひっくり返すと、ひょううたんの共鳴器がたくさん並んでいる。
≫「モダンひょうたん モトヨ」
 
ペルーの民芸品を展示していた「アンデス・アルテ」さん。
とても精緻な文様がびっしり彫られている。文様の黒色は、やきごてで焦がしてできる。上部が蓋になっていて開けられる。
こんなふうに彫るという実演。下のふくろうもひょうたんです。
≫「アンデス・アルテ」

 

●ひょうたんの文化

  ウリ科の一年草。水や酒のような液体の容器に使われてきた。日本では夏の日除けに棚作りされてきた。
  栽培植物の種を入れる容器にもなった。ひょうたんは、中空で一度中に入れると出にくい形をしていたから大切な種を保存するのに適していた。
  七味唐辛子の容器としても馴染み深い。香辛料をふりかけるとき、狭い口から少しずつ出るので便利だった(現在では、老舗のやげん堀の七味唐辛子の容器は、ケヤキの木をひょうたんそっくりの形に加工したものを使っている)。
  日本では古くは「ひさこ」と呼ばれていて、それがなまって杓子(しゃくし)や柄杓(ひしゃく)という言葉ができたという。
 
  縄文時代前期、約5500年前の鳥浜遺跡からもひょうたんのかなり大きな果皮や種が出土している。南米のペルーでも紀元前の遺跡から発掘されている。人間がひょうたんの種を持って移り住んでいったのだ。ひょうたんはもともと西アフリカ原産の植物なので、そんな大昔に地球のはじまで伝わっていたとは驚くべきことだ。最古の容器の使い方は、水を汲むことだった。
  縄文人は採取・漁労・狩猟といった野山や海川で食料を取って生活していたのだが、その頃、植物を栽培して生活用具を作っていた証が出てきたのだ。ペルーのひょうたんは、シベリア経由でアメリカ大陸を南下したモンゴロイドの人々が持ち込んだということになる。
  面白い使い方として、中国では河を渡るとき腰につけて浮き袋にしたり、漁網の浮きに使われた。驚いたことに大きなひょうたんをカットして船の代わりにしたもいう。朝鮮半島では仮面劇の面をひょうたんで作った。

●ひょうたんは神さまの入れ物

  昔、日本では水神や火神を鎮める呪具であった。これは水を汲む道具だったことに由来していると思われる。中が空洞という特徴から、中国では神霊の入れ物とみなされた。日本にもその考え方は伝わっている。そんなことから、ひょうたんは神道の祭具や呪具になっている。
  室町時代の物語には、ひょうたんに乗って空に上るという話しがある。ひょうたんは神さまや霊の入れ物なので、その力を借りて昇天すると考えたわけだ。大きなひょうたんを手に持つと、見た目と違ってずいぶん軽く戸惑うことがある。ずっしりとした重さを予想していたので、まるで重さがないような、フワリとした錯覚に陥る。そんな感触を思い出すと、ひょうたんが空中に浮くようなイメージも分かるような気がする。
  実用的な面では、河を渡るとき腰につけて浮き袋にしたり、漁網の浮きに使われた。これは中国の話し。大きなヒョウタンをカットして船の代わりにもしたという。
  やはり中国では魔除け、長寿、子孫繁栄の縁起物だった。これはひょうたんが疫病神などの邪気をその中に取り込む呪力を持っているという発想に基づいている。孫悟空の物語では、名前を呼びそれに返事をすると吸い込まれてしまう魔法のひょうたんが出てくる。
 
●ひょうたん楽器と念仏踊り

  ヒョウタンは中空なことから空洞を共鳴器にした楽器が世界各地にある。太鼓、弦楽器、西アフリカの木琴バラフォン、ブラジルの格闘技カポエラで演奏する弓の楽器ビリンバウもそう。カポエラを日本で教えているブラジル人から黒人奴隷たちは唯一の楽しみだった仲間どうしの歌やダンスの時間にカポエラを練習したという話しを聞いた。今も練習をするとき弓にひょうたんがついた楽器ビリンバウを引いてリズムをとっている。
  ジャッキー・チェンの映画の酔拳では、腰に酒を入れたひょうたんをぶらさげ酔った千鳥足を思わせる動きで敵をやっつけるシーンがあったけど、奴隷の格闘技カポエラも似たところがある。酩拳は酔っぱらってるふりをして、カポエラは奴隷で手足を縛られていると、ともに相手の油断を誘って、隙を突くといったところ。そんなトリッキーな技とひょうたんは似合ってる。
  平安時代の日本で念仏踊りが大流行した。空也上人が京都市中ではじめたもので、念仏に合わせて鉦、太鼓、鉢、ひょうたんを面白い節で打ち鳴らして踊るというもの。それまで仏教の念仏は庶民の間にそれほど広まっていなかったのだが、このパフォーマンス性が受けて狂躁的な信者が生まれたといわれる。
  ひょうたんとは少し離れるが、日本の歴史では間隔を開けて念仏踊りのような現象が起きている。近世では幕末のええじゃないか、昭和のはじめの東京音頭があった。
  ひょうたんを打ち鳴らして踊る姿を想像すると、いまから1000年以上の前のことだが、人々が面白がって夢中になっていた気持ちが分かるような気がする。最近、ひょうたんでスピーカーを作ったり、スタンドを作ったりしている人たちがいる。ひょうたんの表皮にドリルで穴を開けるとき、壊れやすいので大変だといった話しをしていた。
  アースガーデンにもそんな人たちが来ていた。話しを聞くと、みんななぜかひょうたんに惹かれる、面白いと言っていた。
 
●ひょうたんとタコ

  ひょうたんと海のタコ(蛸)の間に何も関係はないけど、どこか姿形が似ていて、おかしげな、変なイメージ。「変な」というのは、つかみどころのない感じ、曰く言い難い感じ。でも陽気で喜劇的な雰囲気なのでおおかた人々に好まれてきた。ひょうきん(剽軽)は、「剽」(ひさご=ひょうたん)と「軽」いで、まさにひょうたんは軽いっていうこと。
  ひょうたんにまつわる諺(ことわざ)や俗信にも変なものが多い。「ひょうたんで鯰(なまず)を押さえる」とか「ひょうたん鯰」といったことわざがある。鯰は体がヌルヌルしていて手で捕まえるのが難しい。そんな鯰を磨き上げてツルツルのになったひょうたんで取り押さえようとするとどうなるか。想像するにヌルヌル・ツルツルしてどうにもしょうがない。そんなわけで、要領の得られない言葉や態度のこと。そういえば蛸は軟体動物でグニュグニュして、ヌルヌルしている。
  タコは茹でると赤くなるが、ひょうたんは酒を入れて使っていると光沢のある赤褐色になっていく。それも似てるかな。
  「ひょうたんの川流れ」ということわざもあって、浮き浮きしていて落ち着きがないさまのたとえ。言われてみれば的確な描写だと思う。
  「屋敷にひょうたんを作ると変な事がある」とタブーにしていた地域が全国各地にあった。『日本俗信辞典』(鈴木栄三)という本の一節だ。変な事とは具体的にどんなことだったか書かれていないので、それ以上は分からない。
  ひょうたんの茎は巻きひげで他のものにからみつく。そのあたり足が8本、吸盤でからみつくタコと似ている。ひょうたんやきゅうりなど蔓性の植物の栽培を禁忌(タブー)にしていた地域は多かったという。足をとられるといった縁起に関係しているという説もあるようだ。
  また、昔は「ひょうたん送り」といって、5月の端午の節句の日に農耕したり機を織ったりした者に村の制裁として、ひょうたんや使用した道具などを負わせて追放したという禁忌があった。
  その他、しゃっくりが三つ出るまでにひょうたんのことを思い出すとしゃっくりは三つでやむとか、ひょうたんを持っていると転ばないなんていう言い伝えもある。



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