ALTERED DIMENSIN
トピックス
麻生 結のひとりごと
変性意識
植物の文化
おすすめアイテム
ショップ
ナチュラル・インセンス
2011.01.24
[ひとりごと]

2010年いちばんのニュース──ネアンデルタール人とデニソワ人の新事実

写真上はフローレス原人さん。下はネアンデルタール人のおじさんです。上野の科学博物館の地下にいつもいます。

  相変わらず浮世離れした話しですが、一世紀、二世紀のスパン、文明論の視点で、 昨年いちばん大きなニュースは何だったか、考えてみた。人類と異星人というか宇宙知性体との遭遇は、まだ先のようですが、その布石と言ってもいいような人間の存在を揺るがす発見があった。
 
 ひとつは、人類は、われわれ以外の人類、ネアンデルタール人と混血していたというニュースが5月に発表されたことです。
 ネアンデルタール人はアフリカで人類と共通の祖先から50万年前に枝分かれし、先にアフリカを出てユーラシア大陸の西に2万数千年前まで住んでいた別種の人類で、われわれから見れば「亜人間」ということになる。
 発掘された骨の DNA 分析から、後にアフリカを出て、北上してきた人類と10〜5万年前に中東で混血していたことが分かった。現代人の遺伝子の1〜4%がネアンデルタール人に由来しているとか。
 これまで、人類とネアンデルタール人はヨーロッパ地域で出会っていたが、両者の間に混血はなかったというのが定説だった。人類学や考古学では、何十年もの間、それが科学的な事実とされてきた。これまで定説を真に受けてきた者としては、案外、あっけなくひっくり返ってしまうんだな、と拍子抜けもしました。「99%は仮説」と本のタイトルにもありましたが、実感しています。
 
 もうひとつ、2010年の年末、やはりわれわれ以外の人類、デニソワ人と人類が混血していたというニュースも出てきた。デニソワ人は、ロシアのシベリア南部、アルタイ山脈にある洞窟から骨が発掘され、今年になってはじめてその存在が報じられた別種の人類です。今回の発表では、DNA分析から35万年前にネアンデルタール人と共通の祖先から枝分かれしたと報じられている。
 また、現在、パプアニューギニアに住んでいるメラネシア人のDNA とデニソワ人の DNAは、配列の一部が共通していることも分かった。これについては、ユーラシア大陸の東方にデニソワ人の生活圏が広がっていて、後から来た人類とユーラシア大陸の東のどかこで混血したのちパプアニューギニアに移り住んだのではないかと考えられている。
 
 少し横道にそれるが、最近までアルタイ山脈やカフカス山脈には、ヒマラヤの雪男(イエティ)と似た、人間のような動物のような存在の目撃談がある。まさか、と思うのですが、デニソワ人やネアンデルタール人の末裔だったりして?
 
 2003年にインドネシアのフローレス島の洞穴で発掘されたフローレス原人は、身長1メートルで、1万数千年前まで生存していた。この1万数千年という数字は、エジプトやインド、中国の古代文明よりは遙かに古いが、人類が農耕や牧畜をはじめる少し前のことで、わりと「最近」まで、われわれ以外の人類が生きていたのは驚くべきことです。
 前に、南方から渡来した縄文人の先祖と遭遇していた可能性について書きましたが、人類がオーストラリアに進出したのは5万年前なので、フローレス島は通路にあたる地域でもあり、当然、顔を合わせていたはずです。
 驚くべきことに、フローレス原人は、ネアンデルタール人やデニソワ人よりも、ずっと昔の人類の祖先、数百万年前のホモ・ハビリスと類似点がある。 つまり、数百万年前にアフリカで人類の祖先と枝分かれして、それから「最近」の1万数千年前まで、独自の進化をしてインドネシアで生きていた人類なのです。
 
 2010年の4月、上野の科学博物館でフローレス原人の原寸大の蝋人形のようなモデルが復元された。夏、見に行きましたが、 肌の感じが自然でよく出来ていた。 小学生ぐらいの身長で、小さな顔をしている。
  身長差があるので、わたしが向こう(フローレス原人)の顔を見ようとすると、下を見なければならないのは、妙な感じがする。向こうは、こちらを見上げている。
 うす暗い展示室は、人がまばらで、隣にはネアンデルタール人の男が、そう、樽のような体型でがっちりした鼻の大きな金髪のおじさんが、こちらを見ていた。
 
 フローレス原人のモデルと対面すると、動物園のチンパンジーとかゴリラと違って、直感的に人間だな、と感じる。どこがどうってのではなくて、人間なら誰が見ても自明な感じがするのではないかと思う。
 犬や猫を見ていると、自分と同じ犬、あるいは猫が近づくと、それ以外の鳥や人間とか他の動物とは違う反応をする。動物は、同種の存在には、本能的にそれ以外の動物とは違うものを感じるようです。
 当然、人間にもその本能が組み込まれていて、フローレス原人やネアンデルタール人のモデルを見て、同類だな、人間だな、と感じる。これは、今のわたしたちにとっては初めての体験で、ちょっと奇妙な感覚でもあります。
 世界各地に小人や巨人の伝説がある。現代では、当然ながら大人は真に受けたりはしないし、せいぜい子どもの童話の中で生き延びているぐらい、そう、稀に都市伝説としても浮上してくるかな。そういった伝説はファンタジックで、不思議な物語りなのですが、「亜人間」たちと出会った記憶が伝えれたものだと考えられないだろうか。
 人間は人間そっくりのロボットと対面したとき、「不気味の谷」と呼ばれる感情的な拒否反応を起こすといった仮説があります。あるいは、いつか人類が異星人と出会うことがあったら、どんな心理状態になるだろうか、フローレス原人やネアンデルタール人のモデルと顔を合わせたとき感じるのは、そういったテーマとつながる感覚だと思います。
 
 人類の歴史は、近年、単一起源説といって、いま地球上にいる69億人の人間は全て10万年前にアフリカから北上していったグループの末裔だという説がとなえられている。人種や民族は違っても、同じ人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)という種の一員、縄文人も弥生人も、人類が別ルートで、時間差があってやってきたという違いに落ち着きます。
 これまで、人類よりも遙か昔にアフリカを出た原人や旧人と呼ばれるわれわれ以外の人類たちがユーラシア大陸をにいたことは知られていたが、人類がアフリカから出てきた頃にはすでに滅んでいて、人類はマンモスをヤリで倒したり、無人の荒野やジャングルを歩いて広まっていった、そんなイメージだった。
 
 2010年は、人類が人の世の始まる前に別種の人類、「亜人間」と共存していたことが明らかになった年だった。調査されてない場所がたくさんあるので、今後、さらに別の人類が存在していたということも十分ありうる。
 
 自分は一人っ子だとばかり聞かされて育ってきたのが、唐突に、兄や姉が何人もいたと分かったらどんな気持ちだろうか。仕事や家庭生活とか日常の営みはそんなに変わらないだろうが、内面の人生観や価値観、深い意識に影響を与えるのは間違いないと思われる。
 この場合、人類全体の集合的無意識に影響を与えるわけで、未来の人間の心、内面は、いまのわれわれとは、変わったものになっているはずです。
 
 有史以来、誰もがこの世界で石器や火を使うぐらいに知的な存在は人間しかいないと思っていた。ソクラテスも、ブッダ、イエス、孔子も、そう考え、人の道や教えを説いてきた。
 ところが、別種の人間と共存していた時代があったという事実は、異星人と遭遇したときに人類が受けるであろうショック──アーサー・C:クラークの『幼年期の終わり』で描かれているような、それに準ずるレベルで、人間が宇宙、あるいは生物の中で特別な存在だという「公理」が崩れていかざるを得ない。その波及するところは、神や人間から人権、民主主義と広がっていく。これは、今すぐに、2011年からとかではなくても、じわじわと人間の理性、思考に影響を与えていくはずです。
 
 端折って言えば、これまで以上に、人間と人間の違いについて、多様性を認める、違いに寛容になっていく、そんな方向に人間の共同性は進んでいくはずだ。当然、それに反発する流れも出てくるかと思いますが、人類の向かっている文明的なトレンドは、そういった方向ではないか。
 
 われわれ以外の人類のことが、そのDNA を引き継いでいる人間のことが分かってくれば、第六感とか、テレパシーとか、音が色として見える共感覚とか、いまの人間とは全く異なるコミュニケーション能力、人類が自らの内では不必要になり退化させてしまった能力とか、いろんな能力を持った人間、ミュータントが現れるようになるかもしれない。
 
 
参考記事
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201012/2010122300063
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101223-OYT1T00205.htm?from=navr
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?
file_id=20101224001&expand&source=gnews