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2010.04.16
[ひとりごと]

浅草の癒しと〈町歩きセラピー〉


  浅草が好きだ。東京の西側に生まれたじぶんにとって、長い間、浅草は、遠い所に感じていた。というのは、まず、浅草は、山手線の外側というか向こう側にある。古くからある街なのにJRの駅がない。そんなわけで、どうも行きづらい。位置関係がはっきりしなくて、場所が思い浮かばなかった。
 浅草を訪れるようになったのは、この7〜8年のことだ。それまで、浅草寺にも行ったことがない。東京タワー、浅草、皇居は、観光客の行くところと決めてかかっていたこともあるかもしれない。
 
 浅草と出会えて本当によかった。生まれてはじめて、じぶんにぴったりする街と出会えたように感じ
ている。
 考えてみると、浅草にあるのは、浅草寺と隅田川だけと言えなくもない。繁華街としては寂れているし、大きな施設とか学校とか、目を引くようなスポットはない。でも、浅草寺と隅田川があるのは、とっても大きな意味を持っている。
 東京の中で、寺を中心にして出来ている街は、浅草だけだ。仲見世通り、新仲見世通り、それに六区界隈は、お土産屋さんや飲食店が軒を連ねているが、ほとんどの区域が浅草寺の土地だ。また、すぐ隣りに大きな川が流れている街も浅草だけ。大きな川って、なぜか心が和む。水があるというのがいいのか、建物がないので空が広がっているのがいいのか、気持ちがゆったりする。
 ふたつの要素が、精神的な落ち着きを、独特の雰囲気というか情緒を生みだしている。このことは、もっと注目されてもいいのではないか。
 
 浅草のいちばん大きな魅力、わたしが浅草に惹かれたのは、そこにいる人たち、人間の印象だった。
 浅草は、よそ者に優しい街だと話していた人がいた。その言葉、いいところをついている。浅草のように、誰でも受け入れてくれる街は、そんなにないはずだ。ヤマの人(山谷に住んでる人をこんな隠語で呼んでいる)でも、おばあちゃんの娼婦さんでも、ホームレスでも、ケガや病気で体を壊した人でも、瘋癲(ふうてん/定まった仕事ももたず、ぶらぶらしている人。広辞苑)でも、この街では、他の街ほどには違和感なく溶け込める 。
 
 はじめて見た浅草は、イスタンブールに似ていた。そう、イスタンブールの旧市街であり、昔のバンコックのようでもあり、オールドデリーにも似ていた。そして、ちょっと歩いてみると、路地の所々に、昭和の30年代、40年代がまだ続いているのを見つけた。戦後のヤミ市の時代も、エログロナンセンスの昭和初期も、さらには、江戸時代にもつながっている土地の気配を感じた。
 以来、わたしにとって、浅草の空気を吸うことが、心の、体の癒しになった。浅草界隈の町歩きが、わたしには、相性がいいようだ。以前、瞑想やセラピーに関心を持った時期もあったが、結局、じぶんには、この、いわば〈町歩きセラピー〉がいちばん自然な感じでなじめた。
 昨年、亡くなった評論家の平岡正明さんは、晩年、横浜の野毛にかよっていた。野毛は、大阪の新世界なんかもそうだけど、浅草と通じる、そんな匂いのする街だ。わたしは、平岡さんが、世界革命浪人とか言っていた頃、この人の本をよく読んだものだ。なるほどね、平岡さんにとって、野毛に交わることは、町歩きセラピーだったんだな、そんなふうに感じている。
 
 先日、ふと気づいた。浅草は、人の顔が他の街と違うのだ。人の顔といっても、年齢とか、肌とか、容姿といったことではなく、人相のこと。悪相の人が少ないのだ。東京の他の街でごく普通によく見る悪相がそんなに目に入らない。人間の想念、魂、意識は顔に出る。これは、経験的に多くの人が感じているはずだ。とくに年をとってくると、顔の相の違いは、際だってくる。
 誤解ないよう付け加えると、わたしが言っているのは、浅草に、悪相とは反対の、例えば、人格的に高いとか、高貴だとか、そういった顔つき、表情をしている人が多いと言っているのではない。悪相が少ないということが、街の雰囲気を変えているのだと思うのだが、この世の中、マイナス要因が少ないという特徴は、案外、気ずきずらいかもしれない。
 身なりは、必ずしもいいとはいえなくても、風采が上がらなくても、あるいは生活感がにじみ出ていても、もっと本質的なとこ ろで、人としての相がそんなに悪くない人たちがいる。ごく平凡な庶民の、人情とか優しさ、親しさ、労りといった心を持った人たちの顔だ。
 
 浅草に癒されるってことは、こうした人たちの心とふれることなのかもしれない。こんなふうに感じているのは、わたしだけではないようだ。やはり、遠くから浅草にやって来る人たちから、浅草にいると気持ちが落ちつく、ホッとする、そんな感想をよく聞く。
 山や森、自然は、人の心を癒してくれる。登山や沢登り、ハイキング、マリンスポーツ、バードウオッチング、旅行、釣り、自転車と、この手の情報はたくさんある。
 街が心を癒してくれるというのもある。先に、浅草の特徴として、東京で、寺が中心で、大きな川がある街はここだけだと書いた。そして、人と人の心のふれあいも、心を癒してくれる。こういうこと、メディアも雑誌、本も知らないのだろうか、誰も話さない。
 〈町歩きセラピー〉をもっと多くの人たちに広めていきたいな、そんなこと考えています。