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2010.03.17
[ひとりごと]

世田谷線とタヌキの地政学

急坂を下っていく世田谷線。右手がタヌキの住んでいる林

 世田谷区の住宅街を小さな電車が走っている。三軒茶屋と下高井戸を結ぶ二両編成の東急世田谷線で、全長5キロの路線の間に10の駅がある。駅と駅の間隔が狭く、ホームからは2つ先の駅のホームも見える。はじめてこの電車を見た知人は、小さな電車に、縦に一席ずつ前向きに座っている乗客の姿を見て、動物園のおサルの電車みたいだと言っていた。
 
 先日、沿線に住んでいるAさんからこんな話しを聞いた。松蔭神社駅と若林駅の間は、500メートルほどの距離だが、途中、急勾配を下る箇所がある。そのあたり、線路際に鬱蒼と茂った林がある。植木屋さんの敷地らしいが、人の手が入っておらず、雑草が生い茂り、木の蔦がからみついて昼間でも薄暗い。以前、電車に乗っていた小学生が、母親に、あっ!ジャングルと指さしていた。
 
 Aさんは、三軒茶屋行きの電車に乗って、右側に立って窓の外をなにげなく眺めていたとき、線路脇にタヌキが2匹並んでいるのを目にした。真っ昼間のことである。Aさんは、思わず、あっ、タヌキだ、とまわりの乗客に伝えようと、声を上げようとしたが、ギリギリ自制したと言っていた。確かに、大の大人が、車内で、突然、タヌキだ!と叫んだりしたら、何かおかしい。
 タヌキは、線路脇の林に住んでいるらしい。そこは、環七から200mぐらいしか離れていない。住宅街に囲まれた林、こんなところに野生動物がいるなんて!
 わたしは、このあたりで生まれ育ってきたが、はじめてというか唯一、地元で心のなごむ出来事を知った。話しを聞いてから、電車でここを通るときは、薄暗い茂みの奥を見ながらタヌキの姿を想像するようになった。
 
 ネットを調べると、この沿線には他にもタヌキが住み着いている踏切があるらしい。タヌキたちは、もともとこの地にいたのではなく、郊外から移住してきたようである。
 また、世田谷線と直接、つながってはいないが、わりと近くを通っている京王井の頭線沿いには、そこかしこにタヌキが住んでいるらしい。井の頭公園駅の近くに実家のあるB さんに聞くと、中学生の頃、玉川上水のまわりに残っていた畑で、タヌキをよく見かけたと話してくれた。Bさんは、20代半ばなので、1990年代後半のことである。
 井の頭公園駅から明大前駅の間は、緑地が残っていることから、線路伝いにタヌキたちは移動して、住みついていると考えられている。昼夜24時間、車や人がいる都会の道路をタヌキが移動するのは不可能だが、電車の線路沿いを移動するのなら容易なはずだ。
 その区域とあまり離れていない東北沢駅の近くで蕎麦屋さんをしているCさんからこんな話しを聞いた。数ヶ月前の夜、店の前にある庚申塚の敷地に、ネコのような、でもネコよりも大きな、シッポの平べったい動物がいるのを見つけ、びっくりしたという。Cさんは、それはタヌキだったのではないかと語っていた。
 
 世田谷区の南西部には多摩川に沿って国分寺崖線と呼ばれるガケが続いている。山の斜面のような地形で雑木林や竹藪、湧き水が随所に残っている。そのライン沿いにタヌキたちは移動し、住んでいるといわれる。崖線は、多摩川に沿って、立川市、国分寺市、三鷹市、調布市を通り、世田谷区を抜け大田区に入るあたりで消えている。全長約30キロほど。これが都内では、西のタヌキ生息ラインのようである。
 一方、井の頭線沿いのタヌキ生息ラインについて、Bさんの話しをヒントに考えると、玉川上水が目につく。多摩川から羽村で分かれた玉川上水の土手を通路にすると、拝島、小平、小金井、三鷹、久我山と移動してくることが可能だ。タヌキたちは、途中から、井の頭公園を通って井の頭線の線路に入ってきたことが予想できる。これが、もう一本のタヌキ生息ラインなのではないか。
 おそらく河川敷や川の土手、電車の線路を通路にして、東京の周辺から都内に向かうタヌキ生息ラインが何本もあるのではないかと思う。
 
 世田谷線のちょうどまん中あたりに上町駅がある。オルタード・ディメンションの事務所は、駅の南側、住宅街を10分ほど歩いたところにある。駅の近く、北側に城山城址公園がある。クヌギの樹がたくさんあって、秋になるとどんぐりが一面に落ちている。
 公園の奥に、鉄柵で囲われ、立ち入り禁止になっている一角がある。隣は、招き猫で有名な豪徳寺。その一角は、寺の土地のようで、宅地やマンション、公園にはならずに、昔の雑木林のまま残っている。
 A さんは、ここでハクビシン(白鼻芯)を見かけたとか。地元生まれのAさんは、地域活動もしていて、街の様子に詳しい。ハクビシン? どんな姿をしているのかよく分からなった。写真では、タヌキのような、アライグマのような顔をしていて、鼻筋に白いラインが通っている。
 ハクビシンは、外来種と言われているが、江戸時代にはすでに日本の野山で繁殖していたという人もいる。雷獣と名付けられた妖怪は、ハクビシンだっという説がある。雷獣は、雷が鳴っているとき天から落ちてくるといわれる架空の動物で、全国各地に目撃例がある。新潟県のお寺には雷獣のミイラも保存されているとか。
 ハクビシンが都内によく出没しているという話しも耳にする。
 出版の仕事をしているDさんは、阿佐ヶ谷でハクビシンを見たと話してくれた。そこは住宅街で、塀の上に大きな動物がいたという。それはネコの大きさではなく、犬ぐらいある細長い動物で、フワフワした毛をしていたそうだ。見たときは、何だか分からなかったそうで、後で、飲み屋でその話しをしたところ、どうもハクビシンらしいことが分かったと話してくれた。
 先にタヌキを見たと紹介したCさんも、見たときは正体不明の動物としか言いようがなかったようで、後から新聞で都内にタヌキが出没しているという記事を読んで、タヌキに違いないと確信したと話していた。 そういえば、Cさんの見た動物は、最初、庚申塚の小屋の屋根の上にいたそうで、タヌキは、壁とか屋根とか、高いところに上れるのだろうか、そんなことも気になる。
 中野と高円寺の間に住んでいるEさんは、住んでいるアパート二階の部屋の窓から外にハクビシンがいるを見たという。近所には、昭和湯とかラーメン屋さんの昭和軒といった店があって、大通りから住宅街に入ると、昭和の雰囲気が残っている。
 タヌキもハクビシンも都市の中の、ほんの僅かな緑を見つけ、自分たちの隠れ家をよく作った。人間が完全に支配している空間(=都市)の隙間に、密かに野生の動物たちが進出していたことを知って、何かホッとしたような気持ちになった。
 
 生態系とか、日本固有の種であるかどうか、という問題もあるかと思うが、それほどこだわっていない。動物学者の間では、都市のタヌキを野生の動物といえるかといった議論があるらしいが、そういう論点は、わたしの関心から外れている。人類は、地球に住む全ての生物、資源や環境をコントロールし、地球外の宇宙空間にも進出しだしているのだから、野生動物という言葉自体、かってのような意味を失っているのではないか。
 
 以前、甲府盆地の一角でブドウの栽培をしている農家のおばあちゃんの話しを聞いていたとき、山から「マミ」が来て作物を荒らすので困っていると言っていた。マミと言われても、動物らしいが、一体何なのか分からない。おばあちゃんも足跡を見たというだけで、夜、現れる姿を見たことがないそうで、要領を得ない。
 マミ?、そうか、麻布の近くの狸穴(まみあな)の「狸」(=マミ)のことかもしれないな、と気づいたが、わたしの中では、マミは、魯迅の小説『故郷』でスイカ畑を荒らしにくる正体不明の動物、チャーのようなイメージが出来上がっていた。
 近所にキツネ、カワウソ、ヤマネコやカピパラ、レッサーパンダ、ミンク、ナマケモノがいたっていいというか、いたら楽しい。そうそう、タヌキの住んでいる林の近くの商店街を歩いていたら、電柱に、逃げたペットのイタチを探しているという手作りのポスターが貼られていた。あの林に身を潜めているのかもしれないと想像するのは楽しい。
 地元の高校生からはこんな話しを聞いた。夜、塾の帰りに、自転車に乗っていたら、前をサーッと黒い塊の動物が横切った。それがタヌキらしいと言う。どうも都市伝説っぽくなっている。おぼろ月夜、路地裏でタヌキに化かされたとか、タヌキ囃子が聞こえてきたなんて話しが復活しないだろうかと思ってきたが、もしかしたらという気もしてきた。
 
 憑きものや妖怪、もののけ、未確認動物(UMA)なんかがそこらにたむろしていたら、そこはある種のユートピアではないかと思う。政治や経済の大局とは、関係のない、新聞の三面記事で扱うような話しに、ユートピアを結びつけるのは、不釣り合いかもしれない。
 とはいえ、こんな見方もあっていいのではないか。ユートピアとか理想郷を考えるとき、経済や社会システムの問題だけではなく、人間のイマジネーション能力を十全に解放できる社会であるかどうかが鍵になるのではないか。
 妖怪やUMAの住んでいる異界が、小説やコミック、映画の中にしかなかった世界が、日常生活をしている近所にあったしていたとしたら、そんな面白いことはないし、ワクワクする。
 
 タヌキやハクビシンの存在は、あまり表だっては知られていないようだ。世田谷線のタヌキの住んでいる林の近くにある床屋さんや中学生にタヌキのことを聞くと、けっこう知っているので、誰も知らないという話しではないのだが、住まいが少し離れると知っている人は、ほとんどいなくなるようだ。
 人間に知られていないからこそタヌキやハクビシンたちは、無事に住んでいられるのだろう。公に知られることは、彼らにとっては、マイナス要因でしかない。いつまでも人目につかないまま、ひっそりと住み続けてほしい。