ALTERED DIMENSIN
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2009.08.18
[ひとりごと]

鯖の青は地球の青

南南インドの店先で目を引いたパスタの袋。赤、緑、グリーン、黄、ピンクと派手な色調に驚いたが青はなかった(テルバンナラマイ)。
 
鯖の青

青い色の食べ物
 
「青い色の食べ物は存在しません。これはとても単純なことですが、大きな謎です。世の中にはありとあらゆる食べ物があります。どんな色でもたいていは、わたしたちの食欲を刺激します。それなのに青い色をしたものはない。」(『暮らしの哲学』ロジェ=ポル・ドロワ)
 
 青い食べ物? ご飯、パン、麺類、野菜、肉、卵……中華、イタリア料理、和食と、思い浮かばない。カラフルなタルトケーキにも青はないはず。青菜、青汁といっても緑色。ブルーベリーは紫、ブルーチーズは草色に見える。
 唯一、生魚は青色をしている。鯖(さば)は、魚に青と書くぐらい、青々と鮮やかに輝いている。しめ鯖を作るとき、酢に漬けた後、骨を取って、背の薄皮を剥がすのだが、光沢のある青い色に見とれていた。
 それからアジ、サンマ、サバ、マグロ、カツオ……ママカリやキビナゴもきれいな青をしている。魚を刺身で食べる習慣のある国ならではの答えかもしれない。
 トルコのイスタンブール、ガラタ橋に軒を連ねている鯖サンドの店は観光名物になっている。焼いた鯖サンドは、青々とした姿とは別物。
 
鯖(さば)の青と海の青
 
 鯖は上から見ると濃淡の模様のある鮮やかな青、下の腹部は白銀色をしている。鯖に限らずマグロ、ブリ、アジ、イワシと胴体の上部は青く下部は白い。どうしてそんな配色をしているかというと、海鳥や上方にいる補食者の魚や動物の目に青色は、海の色に紛れてしまう。一方、海の下方にいる魚や動物の目には、白色は、海面の色に紛れるといった保護色になっているらしい。
 鯖の青色は、海の色に同化しているからなのだ。そして、海が青色なのは、青空を映しているからだ。曇天のときは、雲の灰色を映して鈍色に見える。さらに空が青く見えるのは、太陽の光が地球の大気圏(窒素80%、酸素20%)の細かい粒子に当ったとき、波長の短い青系統の光がいちばん散乱しやすいからだ。
 青い光は、大気中で四方に散乱するが、地上に向かった光が人間の目に入り、空が青く見える。遠くの山が青く見えるのも大気の色が青いからだ。火星の大気(二酸化炭素96%)では、空が黄色く見える。地球も最初は、火星や金星と同じように二酸化炭素の黄色い大気だったのが、水と生命の光合成で青い色に変わっていったという。
 ということで、青が地球を包んでいる色、つまり地球の色だ。宇宙から見た地球はまっ暗な闇の中に青く輝いて見える。
 
ガガーリンの見た地球の青
 
 1961年、はじめて宇宙から地球を見た人間、ソ連(ロシア)のガガーリンは、飛行中、そして帰還後、繰り返し地球の美しさを語っている。ガガーリンは、ボストーク1号で地球を一周している。飛行中の交信記録では、地球の地平線の際が非常に美しい青い光の輪になっていると言っている。帰還後のイズベスチヤ紙のインタビューでは次のように語った。(注1)
 
 「(地球の)地平線の光景はとても独特でたぐいまれなる美しさだったことを語らなければなりません。地球の明るい表面から、星の見える漆黒の空への色彩豊かなグラデーションを見ることができました。その境い目は非常に繊細で、まるで地球の球体を取り巻く膜の帯でした。それは淡い青い色でした。
 そしてこの青い色から黒への移り変わりはこの上なくなめらかで、美しいものでした。言葉で伝えることはできません。」
 
 ガガーリンは、帰還後、地球がどのように見えたか、たびたび質問を受けたが、常に青い色と美しかったことの2点を強調している。地球の大きさや形、見えた模様、あるいは変化や動きなど、いろんなものを見たはずだが、色の感覚に感動したことが最も大きかったようだ。
 高い山に登ったとき、それに通じる感覚を体験をしている人がかなりいるのではないか。これは、誰でも体験することが可能だ。北アルプスや南アルプスの山で、森林限界線(2200〜2500メートル)より上になると、平地とは明らかに異なった空の青さを感じる。宇宙体験ほどの深さ、濃さではないにしても、少し敏感な人なら空の色感から何かを感知しているのではないか。アメリカの宇宙飛行士は、自分たちが宇宙で得た認識というのは、高い山に登ることでも代替可能だと語っている。
 もしかしたら江戸時代の富士講や食行身禄(じきぎょうみろく)の精神世界も案外、宇宙体験と通じるものがあるのかもしれない。
 
ガガーリンとニコライ・レーリヒ
 
 ガガーリンは、地球の色を語るとき、ロシアの画家、ニコライ・レーリヒ(1874〜1947)を引きあいに出している。地球の夜明けの色彩の美しさは、ニコライ・レーリヒの絵のようだと語っているのだ。当時、唯物論を国是としていた社会主義国の「英雄」であったガガーリンがこの画家の絵に惹かれていたというのは意外だった。レーリッヒの絵は、宗教性が強く、神秘主義的な雰囲気が濃厚だ。(注2) 
 レーリッヒは、シャンバラといわれる未知の国を探しにヒマラヤを探検している。晩年は、北インドのクルー渓谷に移住して、その地で亡くなっている。レーリッヒにとっては、魂の探求=シャンバラの探査であったのではないかと思われる。神智学のブラバッキーやグルジェフといった20世紀のオカルトの有名人は、シャンバラには、人間の人智を超えた覚者が存在していると語っていた。
 
 ガガーリンという人間の魂に、レーリッヒとつながるものがあったのだと思う。ガガーリンの伝記を読んでいると、そんな感覚があったことをうかがわせる箇所もある。彼は、宇宙飛行士に選抜される前は、戦闘機のパイロットだった。パイロットになって、最初に赴任したのはノルウェー国境にも近い北極圏のムルマンスクの基地だった。
 当時、米ソ冷戦の真っ最中で、そこは、北極点を挟んで、アメリカの最前線、アラスカと対峙する最前線であった。酷寒や吹雪の吹き荒れる地であったが、一方、北極圏の空は、例えようもなく美しかったと書いている。
 昨年、インドで会ったフィンランド人の若者が似たようなことを言っていたのを思い出す。彼は、フィンランドの生活でうつになって、旅に出たのだが、南インドに来て救われたと言っていた。
 日本もフィンランドも自殺者が多いといった話しをしていたとき、フィンランドの冬は、一日中暗く、長いので嫌になると話しながら、ふと、雪に覆われた真っ白な世界は、この世とは思えないほど美しいんだ、とポツリと語った。そのときの白皙で青い目をした彼のうっとりしたような表情が忘れられない。どこか病的な感じで、それは尋常ではない美しさなんだろうな、と思った。
 ガガーリンは、パイロット時代、北極圏の空を飛行していたとき、高々度からの夜明けや日没、白夜、オーロラを見ていた。どんな職種であろうと、人間は、そんな光景を目にすれば、魂に影響を受けてしまう。
 
宇宙体験と神秘主義
 
 宇宙体験を考えるとき、いろいろな視点からの切り口があるが、わたしは、人間の意識を変える、変性意識体験であるという面に最も注目している。ガガーリンの言葉は、あたかもサイケデリック体験を語っているようにも感じられる。オルダス・ハックスレーのメスカリン体験記『知覚の扉』は、文学や思想といった方面に造詣の深い著者ならではの考察がちりばめていて、その方面では素朴なガガーリンの表現とは比べようもないが、視覚体験としては、共通しているところがあるのを感じる。
 ガガーリンは宇宙から地球を見たとき、美のもたらす神秘体験した。人類で最初に宇宙に出た人間が、感じたことがそれだったとは、驚くべきことだと思う。それは、人間にとって根源的な何かであって、宇宙に進出していくであろう未来の人類は、さらに大規模に体験していくはずだ。 
 
 「神秘」という言葉は、19世紀から20世紀のイメージがあって古くさい感じがするかもしれない。宗教やオカルトを連想してしまってちょっと気が引ける。とはいえ、うまい言葉がないので、神秘というか超越的な感覚と言うしかないが、人間の魂は、究極的な美に出会ったとき神秘を感じるようになっている。これは、知識や論理的に分かることというよりは、人間が直接体験で分かることである。
 美の感情と神秘の感情は、言葉を加えると聖性、深淵、驚異、奇跡、さらに一種、恐怖の感情も含めて、それらは同一の根源に、人間の魂の深部に常在しているのではないか。それは、最もピュアーな生のリアリティなのではないか。
 
 しめ鯖を作って、皿に敷いた葉蘭の葉の上にのせた。しめ鯖の青は、海の色、空の色、地球の色だ。色には、存在のシンプルなつながりがある。物の大きさや形状、機能、性質といった要素ではない。太陽の光と地球のつながりが色として現れている。
 
(注)
 (1)ガガーリン地球は青かった原文探し旅 http://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/gagarin/
※HPを作っている人は、ロシア語に堪能であるとともに、色彩感覚に優れているようで、特に青色について言葉を費やしている。
 (2)ニコライ・レーリッヒの絵については
http://www.roerich.ru/index.php?r=1024&l=eng
http://www.roerich.org/index.html