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2009.08.11
[ひとりごと]

大麻と黄金色の輝き

麻を織っているおばあちゃんの言葉

太陽に当たって黄金色に輝いている精麻(大麻の茎の皮。繊維を作る過程で、木質部を除いたもの)
 栃木の那須高原にある「大麻博物館」の館長Tさんから大麻の布を織る技の話しを聞いた。第二次大戦前までは、日本各地に大麻の繊維から糸、綱、布や魚網、馬具、下駄の鼻緒(はなお)、それに神具などを作る伝統があった。現代では、世代が代わって、伝統的な技術は、ほとんど消えようとしている。
 福島県の昭和村には、大麻の布を織る技術を持っているお年寄りがまだいるらしい。といっても、精麻(せいま)から布を織ることができるのは三人。大麻の栽培から布を織るまでの全行程をできるのは、70代後半のおばあちゃん、ひとりだけだという。Tさんは、何年か前からそのおばあちゃんに弟子入りしている。
 
 どうやって収穫した麻の茎皮を繊維にしていくのか、Tさんは、実際に精麻を手にしながら麻の表皮やカスを取り除くアサヒキの様子を説明してくれた。昭和村に伝わっている方法は、Tさんの地元、栃木の野州麻(足尾山地南麓で栽培される麻)とは違うようで、各地ごとの伝統があるという。
 精麻の束は、何色と言えばいいだろうか、白っぽいキツネ色というかホワイトゴールドの金髪のような色をしていて、しなやかな質感がある。麻引きという工程で、茎の木質部を取り出し、茎皮繊維だけにしていく。その工程を経ることで、麻に光りが出てくる。Tさんは、手作業の様子を再現しながら、おばあちゃんから聞いた話しをしてくれた。その中で、おばあちゃんの言葉として、こんなものがあった。
  
 「作業をしているとき、太陽の光が手に持っている麻に当たって金色にきらきら光り、それがすごくきれいなんだよね」
 「麻に日の光があたって、この光に思わずアマテラスオオミノカミって言葉が自然に出てくる」
 「いい麻には光りがある」(言い伝えで、麻の質の良し悪しは、光りの具合で判断していたという)
 「麻の光りは、破邪の光り」 (破邪とは、邪悪なものを破る魔除けといった意味)
 
 なるほど、と思った。麻の紐がなぜ神事に使われるのか、本を調べたり、頭であれこれ考えてきたが、はっきりしたことは分からなかった。実体験からこういう話しをしている人がいるとは驚きだった。日光が麻のしなやかな繊維に当たり、まばゆい黄金色に輝く。そこに神々しい何かを感じたというのは、実感がこもってる。引用した言葉は、昔、麻で布を織っていた女性たちの間では、よく口にしていたことだという。
 以前から、どうして麻の紐が大幣(オオヌサ)と呼ばれる神道の祓具になるのか、その理由を調べてきたが、結論は、よく分からないとしか言えない。麻からは、祓具以外にも、注連縄(しめなわ)、鈴緒、縁起物、友白髪(ともしらが)など、カミと関わる物が作られている。当然ながら、神事に関わっているということは、麻という素材に、超自然的な力、霊威、霊力があると見なされていたはずだ。
 太陽の光に当たる麻に、神々しさを感じたのは、ひとつの仮説になるかもしれない。
 
太陽に手を合わしていたおばあちゃんの言葉 
 
 今年の2月、立春の日の午前中。冬の太平洋高気圧の真っ青な空に白い太陽が輝いていた。近所に住んでいるおばあちゃんが庭先で、太陽に向かって手を合わせているのを目にした。日光に手をかざしたり、両手を合わせ、さすったりしている。まだ空気は寒いが、日の光には春の力が感じられる。おばあちゃん、80代でも元気で、よく庭の手入れをしてるのを見かける。普段は、あまり会話はないのだが、ふと、挨拶したら、こんな話しをしてくれた。
 ──太陽はありがたい。金持ちも貧乏人も太陽は、平等に当たるんだから。太陽は、神さまみたい。こうやって手を合わせてるのは、神さまを拝んでるのと同じではないかしら。そんな話しをぽつり、ぽつりと語ってくれた。
 
 話しを聞いていて、はてよ?どこかで似た話を耳にしたことがあるなと思った。江戸時代の後半、備前岡山で、冬至の朝、病の治癒を願って太陽を拝していたとき、回心、神秘体験をした人物がいた。アマテラスオオミノカミとひとつになった体験だと言われている。その日を境に病は消えた。黒住宗忠という人で、後に黒住教という教派神道の教団を作ることになる。
 近所のおばあちゃんが、黒住宗忠の逸話を知っていたとは思えない。人間の魂の本能とでもいうのだろうか、誰の内にも同じ心性があるのではないか。
 これは、おばあちゃんの教えだと思った。本の知識やネットの情報では、伝えられない教え。あるいは、国家、社会のリーダー、偉い人たち、学識のある人たち、社会的な成功者たちの言葉とは、違う次元の教えだ。女性は、太陽や月、地球の自然を直に感じる感性を育んでいるのだろうか。ごく平凡な庶民であり、そして、長く生きてきた女性の言葉は、この世のズバリ本質をつかんでいるようで凄いと思った。
 貧富の格差はあっても、今も昔も太陽は、地球の60億人、誰にでも平等にあたる。昼と夜は、万人に平等に訪れる。お金持ちにあたる太陽も、お金のない人にあたる太陽も同じ太陽だ。いくらお金を出しても太陽は買えない。いま大国が月に基地を作ろうという計画を進めているが、どこか領土拡張につながる思惑が見え隠れしている。でも、さすがに太陽に関しては、そんなこと誰も考えていないはずだ。
 太陽は、地球の全ての生命にとって欠かせない存在だ。いちばん大切なものは、人間みな平等なんだな。当たり前すぎて、気づかなかったことを教えてもらった。
 
大麻の霊威、霊力
 
 麻を織っているおばあちゃんは、麻の黄金色の輝きから自然発生的な、素朴な信仰心が芽生えることを教えてくれた。また、近所のおばあちゃんは、太陽の光りから同じような信仰心が芽生えることを教えてくれた。
 天照大神(アマテラスオオミノカミ)は、神話では、高天原の主神、日の神で、その起源は、太陽信仰にあるといわれている。伊勢神宮(内宮)のご神体が、光りを反射させる鏡なのも、それに由来している。
仏教の大日如来も、大元では同じ起源から発していると思われるし、太陽信仰は、多くの宗教の中に取り込まれている。
  
 麻に日が当たり、金色にきらきらと光るのを目にしたとき、そこに神々しさ、聖性を感じるのは、人類に普遍的な心性ではないか。これは、21世紀の今、生きている人間でも、自己の内を探っていけばつかめる、直に認識可能なことだ。
 以前は、宗教的な世界で、見神とか、神人合一とか、あるいは瞑想によってそれを見極めた、認識できた。今も、その道を歩んでいる人がいると思う。一方、20世紀の後半からは、世界中で、臨死体験をした人や宇宙飛行士、あるいはサイケデリックス体験者たちの中から、ほぼ同じ認識を得た人たちが現れている。
 大昔の人間の心は、美を感じる心、神秘的なものごとを感じる心、驚異を感じる心、信仰心などが未分化なまま融合していた。自然界にある光り輝くもの、その筆頭は太陽だが、その他にも、貝殻、玉虫のような昆虫、金銀、宝石などの煌めき、輝きを美と感じていた。
 美の感覚と神秘体験は、同じことだった。現在でも、絵画を観賞していて、神秘体験とでもいうような心理状態になる人がいるので、われわれが、その感覚を全く忘れてしまったわけではないと思う。
 それは、普段とは、違う意識になることであって、そのとき超自然的な力、霊威、霊力をありありと感じた。麻の紐がなぜ神事に使われるのか、遡れる限り、いちばんはじまりは、このあたりに由来しているのではないだろうか。
 
(参考)大麻博物館 http://www.nasu-net.or.jp/~taimahak/
大麻博物館の館長、T さんからは、いつもいろいろなことを教えてもらっています。麻に関する古老の言い伝えや民間伝承、祭事の調査、古書や作業道具の収集、そして麻織物の技の実技まで、Tさんの活動には目を見張るものがあります。