ALTERED DIMENSIN
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2009.07.23
[ひとりごと]

コブラの剥製とダツラ、そしてラジニーシとグルジェフ

(一)
 インドにはじめて行ったときのこと。1970年代だった。オールドデリーの街角の食堂に入った。どこでも小学生ぐらいの歳の子供たちが働いていた。この店でも、注文を聞きにきたり、料理を運んだりしている。
 テーブルの席に着くと、10代中頃の少年が、注文をとりにやってきた。そのとき、ふとした悪戯心で、バッグから新聞紙の包みを取り出した。さっき街角でヘビ使いのおじいさんから買った、とぐろを巻いたコブラの剥製が包まれている。大きくはないが黒々としたうろこ、首のあたりが平べったい楕円形になっていて、まさにコブラといった感じ。暗い所では生きているように見えた。
 傍に立って、何をしだしたのか、と見ている少年に、包みを開き、ぱっと、コブラを出してみた。びっくりするだろうな、と軽い気持ちだった。その瞬間、少年は、立ったまま体が硬直して、目が点のようになってしまった。まるで置物のようだ。彼には、何も手を触れていない。人間は、目で見たもののショックで、これほど激変してしまうのか。
 アメリカ南部の教会では、日曜日の祈祷の際、信者がコブラやガラガラヘビといった猛毒のヘビを手に持ち、体に巻く儀式が行われている。信者は、極度の緊張、恐怖感によってエクスタシー状態になってしまう。これは、変性意識をもたらす仕組み、荒行だと思う。図らずも、これと同じことを少年にしたことになる。
 悪戯(いたずら)にしては、やりすぎてしまった、と少年に申し訳ない気持ちになった。4秒か、5秒か、少年は意識が戻ってきたようで、それは一瞬の夢のような出来事で終わった。少年は、剥製に騙されたと笑って、注文を聞き、奥に戻っていった。なんということもない、とるに足りない出来事だった。しかし、自分の中では、何かしてはいけないことをしてしまったのではという引っかかりが後まで残った。
 
(二)
 もうひとつ、これに似た想い出がある。もう20年以上前になる。ダツラ(チョウセンアサガオ)を体験したいという学生に煎じた。理工系のまじめな学生だった。カスタネダの本に影響を受けていたような記憶がある。いま思うと、探求心、そして冒険心があったのだと思う。
 それ以前に自分で、かなりの量のダツラの液を飲んで、死ぬかと思うような体験をしていた。具体的なノウハウが何も分からず、自分の体で人体実験をしていたのだ。
 肉体、要は、全身の筋肉が動かなくなっていくのだが、意識は鮮明。心臓も筋肉で動いているので、その動きが止まるかもしれない状態を自覚し続けるのは、唐突に、こんなことで死んでいくのかというなんとも無念な気持ちであったが、そんな想いにとどまり続けることなく、どんどん高く上って霧が晴れていくようなヴィジョンに引き込まれていった。意識が肩の後ろに抜けて清明な世界を見ている……。
 翌日から、数日間、目をやられて、新聞や本の文字が読めなかった。いま振り返ると、あれは臨死体験と言ってもいいだろう。
 そんなこともあって量などは調整していたが、そういう計らいを超えて彼にとって、とてつもなく激しい体験だった。このとき一晩、この学生のアパートで、つきっきりで世話をしたが、赤子(あかご)のようになった姿を見ていて、そのとき、人の魂は、人間の聖性であり、それを軽々しく扱ってはいけない、と痛感した。
 さらに突き詰めると、その核心は、人の心を試してはいけない、魂を試してはいけないということだと思う。後に、サイケデリックス体験を他者に語ったり、あるいはサイケデリック体験をしたいと言ってきた人を前にしたとき、常にこの思いが甦った。
 オールドデリーやダツラのエピソードも、すでに四半世紀以上たっている。時間がたつうちに、 枝葉の部分の記憶は薄れていったが、逆に、この核心的な思いは、より鮮明になっている。
 
(三)
 以前、ラジニーシやグルジェフの本をよく読んだ時期があった。この人たちの語っている言葉は、日常的な論理で追いかけてくと、途中からどうにも意味がつかめなくなる隙間があるのだけれども、大麻の変性意識にあるときは、謎が解けたように隙間がスッとつながった。つながりが、分かるというよりは、つながりに気づくのだ。ラジニーシやグルジェフの論理は、「大麻的」だと思っている。
 本は読んだが、結局、瞑想やワークの集まりに行くことはなかった。なんとなく抵抗があった。ラジニーシはまだ健在で、間近でその姿を見ると、言葉を超えた神々しさに、日常の意識とは違うハイな意識になるという話しをよく耳にした。そんな話しに惹かれる人たちもいた。今、思い出すと、好奇心一杯で、人の好いタイプの人たちだったように思う。一方、わたしは、その手の話しは、そりに合わなかった。いま思うに、ラジニーシもグルジェフも、グル・ヨーガ(これは勝手な造語です)といったもので、そのあたりが馴染めなかった。
 
 この人たちには、普通の日常世界を超えたリアリティ、そこから生まれた洞察があった。精神世界の教えを求めていたヨーロッパ、アメリカ、アジアの多くの人々を引き付けるものがあった。
 20世紀の後半から、世界中で、臨死体験をした人や宇宙飛行士、あるいはサイケデリックス体験者たちの中から超越体験ともいうべき報告が次々、寄せられている。登山家のメスナーの手記にもそんな記述がある。そういえば、世界に8000メートル以上の高さの山が14座あるが、その最初のアンナプルナ登頂は1950年だった。
 これまで神秘主義を育んできた宗教的世界が縮小していったのに代わって、科学文明が同質の体験をもたらした。臨死体験、宇宙体験、サイケデリックス体験を人間の意識、心、魂の問題としてとらえたとき、共通しているところがある。そして、それを解釈しようと試みるとき、ラジニーシやグルジェフは有益なピントを与えてくれる。
 例えば、宇宙体験をした人たちの発言を読んでいると、宇宙から地球を見たことが、とても大きな心理的出来事だったと述べている。自分が生まれ、人類も生命もそこで生まれた地球を対象物として見るとうことは、これまでにない、はじめて体験する出来事で、そのリアリティに戸惑うはずだ。これは、結局、「観照」(ラジニーシ)の意識、あるいは「“自己”想起の状態」(グルジェフ)を直接体験したということだと思う。
 
(四)
 一方、ラジニーシやグルジェフは、ワークやセラピー、瞑想の師であったが、彼らの評伝や自伝を読んでいると、その指導は、危なっかしいやり方も見受けられる。弟子たちの魂を実験材料することも躊躇わない、そんな姿勢が見える。
 意識の世界の探求者が、自分の身を実験材料にするのは分かる。解脱とか、大悟とか、覚醒とか、いろんな言い方があるだろうが、そういった何かを求める行為は、古今東西、洞窟で瞑想するとか、回峰行とか、断食とか、ひとつひとつ挙げていくと切りがないほど種類がある。そしてサイコアクティブの摂取も含め、それらはみな、自分自身を実験材料にしているのだと思う。
 つけ加えると、どうも気張った修業めいたことばかりを列挙しているが、仮にその何かを求めるにしても、そんなことをしなくても、その何かに達する人もいるようなので、あまり形にはこだわっていない。
 ラジニーシもグルジェフも、自分自身の魂の遍歴については、探求者としての自分については、それほど語っていないのは、妙な気がしないでもない。とはいえ、独覚というか、きっと何かに達していたのだろうと思っている。
 わたしは、自分の人生の経験から、この人たちが、他者の魂をどのように扱ったかということに目がいく。
 
 ラジニーシとグルジェフを読んでいると、二人とも悪戯(いたずら)っ気、ヤマっ気のある人物だったと思う。今のわたしは、この人たちの到達点よりは、出発点の方に関心が移っている。この人たちは、わたしがオールドデリーの食堂で心に引っかかった疑問を感じたことがあったのだろうか。