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2009.06.18
[ひとりごと]

テント芝居の「水」と「火」

 先日、テント芝居の劇団「水族館劇場」を観た。この劇団の公演を観るのはじめてでしたが、雰囲気、良かったです。一方、帰宅してから、なんだかタヌキに化かされたような感じもした。
 
 やはりテント芝居で、去年の11月に行ってきた「野戦の月」は、これまで観てきたこの劇団とは、どこか違う雰囲気が漂っていた。「違う」というのは語弊があるかもしれない。核にあるものが煮詰まってきた、より純化している、と言うべきだろう。そんなテント芝居の感想です。
 テント芝居や野戦の月については、以前、「ひとりごと」の「テント芝居の自由」(2007、11、27)で書いている。
 
水族館劇場──梅雨の合間、夏至も近い夕べに観る
 6月8日、梅雨空の月曜日、夕方、地下鉄の本駒込駅に着いた。今年は、5月の後半からもう梅雨みたいな天気が続いている。
 最近、まわりで水族館劇場のことを話す人が何人かいた。また、知り合いに、役者として出演している人もいて、公演の最終日、観にいきたいと思い立った。この劇団、1989年に旗揚げされ、最近は、年に一度、公演している。
 駒込大観音というお寺が目的地だが、地下鉄の駅の地図では、その場所、いまいちはっきりしない。あっちにいったり、こっちにいったりしながら、団子坂通りという一本道に出て、真っ直ぐ歩いていくと、劇団の幟(のぼり)が見えてきた。
 そこは、江戸時代に創建された由緒ある観音様だが、空襲で観音様も本堂も燃えてしまったという。いまは、本堂に、出来たばかりのような金色に輝く観音様が立っている。境内にビルというか城というか、黒っぽい塊みたいなテントと昭和の街が作られていた。
 
 テントは、大仰というか、そんなに広くない境内によくこんな大きなものを建てたと思う。境内の一角には、昭和30年代の駄菓子屋さんや床屋さんのバラックみたいな建物、脇に円筒形のポストもあったりして、わたしは、こういう趣向、遊び心、素朴に好きだ。
 夜7時の開演を待つ間、この時期、夕方が長い。梅雨空でどんよりした、灰色っぽい風景に輪をかけ、昼でもない夜でもない境目の時間をすごす。前夜の雨で、境内のアジサイの花が色づきはじめた。
 このテント、ずいぶんマニアックに作られている。どちらかというと、舞台よりも、客席の方に凝っているのではないか。もちろん舞台の方も、回り舞台とか、大量の水が降ってきたり、飛行機や気球が吊されたり、よく出来ていると思うが、それは、他のテント劇でもないわけではない。でも、ここの客席は、まあ、よく作ったものだ。
 
 入場整理券の順番は後の方で、3階席に誘導された。まず鉄パイプの梯子をよじ登り2階に、そこから工事現場の仮設階段を上り3階に、さらに足場の板を綱渡りみたいにして進んで、観覧車の座席のような席に座った。この席、足の置き場は、省かれているようで、足はブランコみたいに外の空中にぶらぶらさせるしかない。足の占めるスペースを詰めて、人間を一人でも多く入れるよう細かく計算されている。
 対面を見ると、壁に商品がとめられているような感じで、観客は縦横に、みんな足を空中にブラブラさせている。向こうからこっちを見ると、同じように見えるはずだ。この劇団、セットや会場設営の方に妙に力が入っている。
 
 芝居のことはよく分からない。第一印象は、昔の曲馬館(「野戦の月」の前身、といっても二代前の劇団)に似てると思った。
 鳥居の岩室から蛇姫さまが登場したり、別のシーンでは本物の蛇をふりまわしたり、異形の小人が出てきたり、見世物芸をしている人のショータイムがあって、「元過激派」(なんと呼べばいいのか、もし間違ってたらすいません)の人が役者になってパロディ演じてたりと、1970年代前半のアングラのノリ。
 意識的に、見世物の世界を取り込んでいる。でも、うろ覚えで記憶している昔の見世物の世界の、テキ屋というか、泥臭い、下層の、異界的な、そんな雰囲気は希薄で、きれいにまとまっているように見える。見世物の世界には、土俗的な強いエネルギーがもっとあったはずなのだが。どこか三丁目の夕日っぽく、ノスタルジーの世界に近いように感じた。
 野戦の月が削ぎ落としてきたものが、水族館劇場には残っている。でも、こういうアングラのノリって、あの時代には、それまでのものをひっくり返す、そんな衝撃があったと思うが、今は鄙びたレトロに見えてしまう。
 ……「でも」が続いてしまうのは、大筋で、わたしの好きなノリなのだが、本物のアングラのようでいて、どうも本物そっくりのイミテーションっぽくもあり、そんな妙な感じが入り混じっているからなのだが。
 
 劇の中で水をやたら大量に使うのは、劇団名に由来した趣向なのだろうか。舞台のまん中にセットの波止場があり、小さなプールほどのスペースに水が満ちている。役者さんたちが、次から次に水に落ちていく。客席の最前列は水しぶきがかかるので、水避けのビニールシートが用意されていた。こういった細工も、まず普通の演劇ではありえないことで、そこがまた臨場感を盛り上げているのだが。
 そういえば、野戦の月は、曲馬館のころから劇の中でよく火を使ってきた。もう遙か昔のことだが、芝居の中で、車に火炎ビンを投げて燃やし、鉄パイプで窓を叩き割ったりしたこともあった。ああいうのを見てしまうと、一生と言っては大げさかもしれないが、凄かったなという記憶は忘れられない。あれは確か、沖縄のゴザ暴動の実演というか再現というか、そんなシーンだったと思う──これは昔話し。
 最近の芝居でも客席に座っていると、舞台裏でたいまつの準備をしているのだと思うが、よくガソリンの匂いが漂ってきた。……なんだか水と火(油)みたいな話しだ。
 
 どこか観覧車に似た形のボックス席に4人並んで劇を観ることになった。左は、白い作業服を着たおじさん。右は、落ち着いた感じのOL、ふたりずれ。はじめてテント芝居に来たようだ。
 席の上に、木の茂った枝がせり出していて、上演中、彼女たちの間に、大きな葉っぱが一枚、ポトンと落ちてきた。その瞬間、ひとりがワーッ、と言って飛び上がった。何事かとこっちまでびっくりした。ぎちぎちに詰めて座っているそのままの姿勢で何十センチか空中に跳ね上がったのだ。ヨガやTM瞑想で座ったまま床から何十センチか浮上するシッディとかフライングもこんな感じか(と言ってしまっては失礼ですね)。どうも葉っぱを動物か、蛇か、そんなものと勘違いした様子。落ち着いた上品そうな物腰で話していただけに、飛び上がった姿の激変ぶりがおかしかった。
 
 舞台の幕が閉じた後、隣りのOLふたり組の話し声が聞こえてくる。「世の中には、こういうこともあるんですね〜」と、タヌキに化かされたような感想を喋りあっていた。
 彼女たちは、これまでの人生、安全が守られ、秩序の整った世界しか知らないで生きてきたのかもしれない。舞台に本物の水が滝のように降り注ぐのに驚いたり、また、鉄パイプで組み立てられた客席に驚いたり、「なんで、こんなことができるんでしょうか?」と、芝居の感想はさておき、呆気にとられた言葉が続く。
 この芝居、彼女たちにとって予想外の非日常体験だったようだ。テント劇の面白さは、非日常性をインスタントに体験できるところにあると思っているので、素朴に微笑ましい光景だった。
 
野戦の月──寒風吹きすさぶ武蔵野の野っ原で観る

 11月上旬(2008年)、テント芝居の「野戦の月」の公演を観にいった。このところ年に一度というペースで公演が続いている。今回、上演されたのは「ヤポニア歌仔戯 阿Q転生」。
 東京の井の頭公園の一角、といってもJRの駅からはかなり歩く。林の中に原っぱのようなスペースがあって、そこに倉庫のようなブルーシートのテントが建っていた。暗いのでよく分からないが、たぶん公園の一角なのだろう。
 入口で桟敷席に上がるとき脱いだ靴を入れるビニール袋と使い捨てカイロを渡された。桟敷席に積まれた毛布をひっぱってきて脚に巻きつける。前年の公演は、台風の大雨の中だったが、今回は寒さが忘れられない想い出になった。
 かなり長い劇で、7時開演から2時間半は超えていたはず。テントのシートが風にまくられて、濃紺の闇夜が見える。テントの内も外も気温はたいして変わらない。武蔵野の野っ原の染みるような寒さがこたえる。 
 
 昔、アングラ劇団の「黒テント」と「赤テント」に在籍していた知人のAさんと一緒だった。Aさんは、この劇団の先祖に当たる「曲馬館」は観たことはあったが、それ以来で期待してきたようだ。
 公演終了後の帰り道、Aさんは歩きながら戸惑ってしまうぐらいの気迫で批評の熱弁をふるっていた。違和感が大きかったようだ。わたしは、野戦の月のファンなので、話しの行きがかり上、弁護する側になるのだけども、Aさんの言い分を聞いていると、なるほど、そういう見方もあるんだな、と気づくこともあった。
 
 わたしは何か勘違いしてきたのかもしれない。今までは演劇、芝居だと思っていたものが、どうもそうとも言い切れない、そんな感じだ。Aさんは芝居としての評価を語っている。聞いていると、たしかにもっともな指摘なのだろう。しかし、この劇団にとっては、芝居としての出来、不出来は、もう関心外なのではないか。観客の存在も、あるいは、より多くの人に見てもらいたいといった普通、芝居をしている人なら誰でも思っているであろう前提も、なくなっているのかもしれない。
 もちろん見た目は、役者がセリフを口にして、それを観る観客がいるのだから芝居なのだけど、内実は既にそうではない何かだったのではないか。
  
 テントの中で行われていたのは、20世紀、東アジアで日本国によって不本意な死を強いられた朝鮮や中国の民衆の怨霊、つまり集団我、民族霊の声、そして生き霊の声を、この世に降ろすカミ懸かりだったのではないか。死者たちの怨嗟、怒りをあの場に再現、甦らせていた。
 役者さんたちは、台本のセリフを口にしているのだが、霊の乗り移る寄り代、シャーマンのような存在だったのではないか。われわれが観ていたのは、芝居と憑依型シャーマニズムが渾然とした何かだったように思う。
 現実というのは多様な世界だと思う。シャーマンとか、カミ懸かりというと、精神世界系とか、あるいは新興宗教系とか、そんな関連を思い描くが、全く違う装いで、非常にコアにそういうことが起きているのだから。
 朝鮮半島南部のシャーマニズムの特徴として、激しい音楽と跳舞によって神懸かるといわれるが、半野外で行われるテント芝居は、その機能を果たしているのかもしれない。付随して、彼の地では、ナルコティクスとして酒の効果が大きいといわれている。そういった面からの視点もあるのではないかと思う。とはいえ、一観客なので、具体的なところは分からない。
 この神懸かりは、朝鮮半島南部の霊性の影響を強く受けている。彼の地の現世志向的・儒教的なあの世観に同化しているので、アストラル的な、死後の世界、霊界は存在しない。怨霊は、この世に生きている人間の想念の世界を住処にしている。
 夜が更けるていくと、気温が下がり、寒々とした空間だったのが印象に残っている。わたしは、仏教の敵味方供養のような慰霊の方に親しみを持っのだが。
  
 大江健三郎の「政治少年死す」(1961)という小説がある。確か一度、雑誌に掲載されたが、戦後では稀な発禁文書になった。この小説と深沢七郎の「風流夢譚」は、今もって出版タブーのままだが、歳月は、そんな関心も風化させてしまったように見える。
 だいぶ前に読んだ小説で、ストーリーもよく憶えていないが、なぜか強く印象に残った人物がいた。それは、当時、戦地から帰還して右翼活動をしていた人で、その人の世界は、戦死した仲間たちと共に生きていて、戦後の世を生きている生身の人間たちには関心がなくなっていた。
 これは実在した人物のはずだ。この人だけでなく、戦争を体験し、戦後は、表だって何も語らず、ただ死者とともに生き、亡くなっていった人たちがたくさんいるのではないかと思う。もともと、人の世とは、そういうところなのではないか。
 
 1970〜80年代、野戦の月(の前身の曲馬館や風の旅団)には、ドタバタ劇のようなエンターテイメント性や遊び心、笑いがあった。サーカスみたいなノリやハプニング性、そんなハメ外しが面白かった。いまは、そういうノリは影が薄くなっている。30年の歳月を経て、いろんなものを削ぎ落として、ずいぶん遠くまで行った。
 と、書いてきたが、偶然、1976年に発行された『曲馬館通信 特別号外』が押し入れの奥から出てきた。「特集・9・25戒厳令下 東外大日新寮興業実力貫徹に向けて!」とある。ガリ版刷りの小冊子だ。  芝居というより反体制運動のアジテーションのような猛々しい文章が並び、世の中の欺瞞性に真っ向から闘う姿勢に貫かれている。世の中の何ものも恐れない、唯我独尊といったノリは、要するに若さだったんだなと思う。その時代の反体制の風潮としては、決して珍しくはない表現なのだが、他の劇団を罵倒し、全面否定している記述が目につく。
 野戦の月は、よくここまでやってきたと思う。やせ我慢してきたのだろうなとも思う。一途であったが、笑いの失せた寒々とした世界に行き着いたように見えるのは、自分の目が曇ってしまったからだろうか。
 
 2008年10月、往時のアングラを語るシンポジウムがあって、テント芝居の赤テントや黒テントの関係者が顔を揃えたといった記事を新聞で読んだ。しかし、この劇団のことは一言もふれられていない。当然と言えば当然かもしれない。
 1970年前後、前衛的、実験的な演劇や映画を称してアングラと呼んでいた。テント芝居は、アングラの典型と言ってもいいだろう。アングラは、作品の中で積極的に世の中のタブーを、例えば、性や天皇や障害者を題材に取り上げていた。この劇団は、そんなアングラの流れの中でも極北の道、自らの存在そのものがタブーとなる、そんな希有な存在になったのではないか。